はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『龍野』、『網干』、『相生』を参照いただくようお願いいたします。 2006. 2. 4. 土曜日 晴れ 気温寒い
1月に
黍田富士に
登ったとき、頂上から北方面の展望を楽しんでいましたら、妙に低い山塊が目に飛び込んできました。その向こうは
的場山から亀山へ延びた大きな山塊がそびえています。その低い山塊は2号線に接する表山から始まって、
低い標高のままダラダラと北東へ延びて揖保川近くで終わっています。
見るからにMTBで遊べそうな匂いが漂っていますがM氏も同じ匂いを感じ取ったようで鼻をヒクヒクさせています。
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黍田富士から見た表山〜養久山の山塊 |
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家に帰ってから『点の記』を調べてみると三角点のある養久山には古墳があるらしい。 ということはその周辺は調査のための踏み跡ぐらいは残っている可能性が大です。 てなわけで、通い慣れた揖保川にまたもややって来ました。 山陽自動車道の竜野西インターの裏道を走っているとため池があり、わずかに車が一台止められるスペースがあった。 風の通り道なのと水のほとりのため恐ろしく寒いがここで準備をする。とりあえずリュックも背負わずMTBだけで 表山を目指してみる。9時40分。地形図にない鉄塔があり、そこへの巡視路を利用する。すぐに 『相生支線 4』の鉄塔へ着くものの、そこからいきなり竹藪となり巡視路は不明瞭となる。
谷にあるため池の横から巡視路に復帰して三叉路に着く。左右に巡視路があってどちらに行こうか迷う。 右に行くと山頂から離れてしまうが、念のためにMTBを置いて歩きで行ってみることにする。 『相生支線 5』を過ぎると表山からの主稜線と出会う。なんとはなくここは古墳のような土盛りが ありこんもりとしている。 ここから表山へは楽に登れそうだった。しかし、MTBを三叉路に置いてきているので仕方なく戻る。 一旦戻ってしまうと、またぞろMTBを担いで先ほどのポイント(別途地図の『い』)まで行く気にはなれない。そこで、こんどは 反対方向にMTBを押していく。しばらく進んだところで再度MTBをデポして、そこから斜面を よじ登っていく。道はないが簡単に登って行けて稜線に出ると予想通り『い』地点からと思われる 踏み跡があった。ずいぶんと広くフラットな所で周囲をぐるっと取り囲むようにある小さな段差は 曲輪跡か?ってことはここは山城跡? 表山三角点はそのちょっと先にあった。三等三角点、標高143.1m。10時32分。膝下まである枯れた笹に覆われて 展望は無いが明るい。ここまで来たついでに2号線の見える尾根の先端まで行って見る。 シダ藪をかき分けて前進を続けると、 全開の展望とは言えないが西方面にそこそこの展望を得ることが出来た。 まあまあこんなものかと納得してMTBデポ地まで戻る。 |
表山尾根の先端まで行ってみる |
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デポ地から次の鉄塔『相生鵤線 18』へ。ここからようやくMTBに乗れました。駐車ポイントまでは ほとんど全乗りで下っていけます。車には11時17分着。ギョ!!もうお昼になろうとしています。 のんびりとしていたらここでお昼をするはめになってしまうやん!! とりあえずお昼ご飯などを詰め込んだリュックを担いで次の山塊を目指します。 『相生支線 4』への登り口の反対側に巡視路の入口が見える。 MTBで走れるのは最初の10mほど。その後は竹藪になり谷を回り込んでプラ階段を登り切ると 『相生支線 3』鉄塔に着く。11時38分。前方をみると『相生支線 2』、『相生支線 1』の鉄塔がそれぞれの枝尾根に 突っ立っている(写真ではわかりにくいので地図を見てね)。ここから揖保川町と揖西町との境界尾根に乗っかろうと 予定していたのだが、「道も踏み跡もないで〜」と探索していたM氏があきらめ気味に言う。 ならば仕方ない。次の『相生支線 2』鉄塔へ向かうか!!
『相生支線 2』には11時50分(刻一刻と昼食の時間が迫ってます)。ここからも町界尾根には乗れなく 巡視路で下山。えーい、やけくそや〜『相生支線 1』へのプラ階段を空腹でフラフラになりながら 登っていく。で、12時10分着。(鉄塔の手前に大岩と祭壇のような所がある。今はなにもないが 何かが祀られていたような感じだった)
予想はしていたがここからも町界尾根に乗れそうになかった。身体一つならどれほどの藪でも 入り込んでいけるが、MTBが一緒なのでそこそこの道幅がないと無理な進入は出来ません。 てなことで、ここでようやくお昼にします。ちょっと風は冷たいけど展望が良いのが救いです。 しかし、3本の鉄塔のどこからも尾根に乗れないってのは合点がいきません。 北側からのアプローチはダメでしたが、きっと南のどこかからは道があるはず・・・。 巡視路を下って県道に出る。いよいよ養久山の山塊に突入だが、M氏は県道を進んで 揖保川町本條の住宅地に入っていく。うろうろするが道は見つからず、近くにいたおばちゃんに聞くと 「そうそう、この山には古墳もあるし、道もちゃんとあるよ。入口は・・・・」と、教えてもらう。
最初見つけたのは山の中に続いている舗装された階段。近所の人に確かめてから登ろうと言うのに M氏はさっさと進んでいく。案の定そこは行き止まりの神社だった。引き返して ちょいと東に行くと「あった、あった〜〜!!」道にデカデカと『養久山遊歩道総合案内板』という 地図がありました。それには稜線上にある古墳、城跡、石仏、展望台、下山分岐など 詳細に記述があります。古墳においては40基ほどあるみたい。すごっ! まずはこの案内板の裏にある小山が『養久山19号墳』。小さな木工所?の右手がその古墳、左手が 遊歩道の入口。行ってみると竹林の中に でかい土盛りがある。ぐるっと周囲を歩けるようになっているのだが、正面には二つの 入口があった。これは一つの墳丘に二つの石室があるのという珍しい古墳だそうだ。 (これまた、勝手は想像をすると夫婦で埋葬されたんじゃないやろかね・・・) 木工所を正面に見て左手から遊歩道を13時25分スタート。それはまさしく遊歩道そのものでした。表山や、先ほどまでの巡視路とは うってかわって快適です。これが最後まで続くようであれば・・・・うしししし、思わず笑みが。 5分も登れば稜線に出ます。ここからももちろんええ道が続いています。さらに2分ほどで『養久山1号墳』 に到着。
『養久山1号墳』は全長32mにもなる前方後円墳だそうだ。石室は埋まっているのか入口は なかった。昔の写真を見ると周囲が松林になっていてちょっと暗い感じがしたのだが、現在は ちょこっと展望もあり明るい。ベンチがあり、周囲は竹垣で囲まれている。芝の小山(古墳)は公園の一風景のようだ。 養久山の三角点は遊歩道のど真ん中にあった。四等三角点、標高99.5m。 よそ見をしていると足をひっかけそうな感じです。2、3、4、5号と 続け様に古墳が現れる。19号や1号のように立派ではなく、気を付けなければ 通り過ぎてしまいそうなものだった。 この稜線上には送電線も通過している。『西播龍野線 38』が遊歩道の真上にあるのですが、 な、なんと、その鉄塔は古墳の真上に立っています。四本の足の ど真ん中に古墳がありますが、さぞかし電磁波を浴びていることでしょう。南無・・・・。
養久集落への下山分岐を過ぎて登り返すと乙城という城跡に着く。 詳しい案内板があり、それによると1334年に築城されて、その後は 主を転々と変えた後250年を経て廃城になったとあります。 龍野城のサテライトのような地位だったのでしょうか? 城跡からちょっと下ると東屋がある。標高は低いが揖保川流域を一目で見渡せる好位置です。 ベンチとテーブルも汚れていなくて休むには絶好のポイントと言えるでしょう。
東屋から一気に下った鞍部には石仏があった。それは地蔵菩薩立像で『弘化四未年(1847)』の銘がある。 地蔵をじっくりと眺めてみるとなにやら両手で抱いています。どうやら子供(赤ん坊)のようです。 顔の部分が欠落しているのが残念です。 鞍部には北に向かって下る道があった。遊歩道の地図には記載されていなかったが村と村を結ぶ 古道だったのかも。 養久山遊歩道のちょうど真ん中ぐらいまで来ました。藪ならばどれほどの時間がかかるかわかりませんが、 遊歩道なので逆にゆっくり行かなければあっという間に下山になってしまいます。 写真を撮りあいながらのんびりと行きましょう。古墳も数が多すぎてどれほど通り過ぎたかまったくわかりません。 『養久山1号墳』は前方後円墳でしたが、『養久山18号墳』は全長25mの前方後方墳だったらしい。 知らずに通り過ぎました(^_^;)。
大きなアップダウンのない稜線上の遊歩道でしたが、終点が近づくにつれて下りの傾斜が大きくなる。 それはそれで面白く乗れます。最後は揖保川の支流である中垣内川の堰堤に降り立ちます。 14時15分。ここにも総合案内板が設置されていました。 前半に時間がかかりすぎたので、肝心の養久山に来たときには縦走は無理かと案じていました。 しかし完璧な遊歩道のお陰で、逆に早すぎる下山にならないようにゆっくりと走ることに勤めました。 やはり山には登ってみないとわかりませんなあ。 (たまたま誰にも出会いませんでしたが、地元の人の散歩道なのでMTBで遊ぶ場合は気を付けましょう。 人に出会ったら止まって挨拶!!出来ないバイカーは登るべからず) 今回の表山〜養久山の地図は こちら(約210k) でごらんください。 |