脇川山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『天神』を参照していただくようお願いいたします。

2006. 4.23.  日曜日  曇り  気温ふつう
3年ほど前にMTBで三木市細川町にある古道(地元の人は 『兵庫道』と呼んでいました) を走った時のことです。山の中に続く古道を気持ちよく走っていると、ちょうど分岐のポイントに道標の石仏を発見!! それが下の写真のものです。目を凝らして文字を眺めると脇川山と読めました。ん?!脇川山って山の名前でしょうか? 山と名が付くとどこにあるのか気になりますね。

その後も小野市の民家脇とか、三木市の県道沿いとか、いろんな所でこの名前を目にします。 地形図で探してみると三木市細川町に脇川という所があります。そこへ行けば答えを得ることができそうです。 さらに、『播磨 山の地名を歩く』の巻末にある山名総覧を見ると脇川山(標高157.4m)と記載もありました。
細川町の山中にあった道標小野市小田町にあった道標細川町道路沿いにあった道標

実際にそこへ行ってみるとお寺がありました。『脇川山 教海寺』です。
教海寺は白雉二年に法道仙人によって開基されたお寺ですが、延暦十四年弘法大師 (当時、教海と名乗っていた)がここで三年におよぶ修行をされたことから その名前を寺号にしたらしい。大きなお寺だったらしいが、秀吉の三木城攻めのさいに 焼き討ちされ四十八坊悉く焼失したらしい。

さらに、脇川山の山号の由来もわかりました。お寺は道路によって東西に分断されるようにありますが、 東にあるのが本堂で西にあるのが庫裡、住居になっているようです。 その庫裡のちょっと南にあるのが『念仏水』と呼ばれる湧き水です。
大師がこの地になってきたとき、年寄りに水を所望すると快く差し出してくれた。 そのお礼に持っていた錫杖で山裾の凹みを突き刺すと清水が湧き出たという。 それが現在もこんこんと湧き出ており、遠くから汲みに来る人もいるらしい。

水が湧き出てそれが川になって流れていく。すなわち脇川・・・・。な〜るほど。
その念仏水を見てみる。たしかにきれいな水だが、なにか竹筒のようなものから出ているのなら 飲んでみようかと思うが、側溝に直接流れているとどうも・・・・。 手だけ浸けてみるが冷たくて気持ちよい。

近くにイラスト地図があってこの念仏水を含むいろんな見どころが周囲にあると書かれています。 脇川山を探すついでにこれらをすべて回ってみましょう。まず『念仏水』はクリアー。 横手にある『衣池』も覗いてみるが単なる普通の小さな池。でも名前からしてなにやら由来はありそうです。
念仏水 (^_^)vみころもの滝 (^_^;)

『大師みころもの滝道』彫られた石柱があった。階段が下に向かってある。 降りたった所、そこは断層になっていて高さは6〜7mぐらいあろうか。 先ほどの念仏水の横手がこんな断層になっているとは思いもしなかった。 断層の中程に不動の石仏があって上から水がポタポタとしたたり落ちている。 たぶん衣池の水が地層の間を流れてここに落ちているのだろう。到底滝とは呼べない感じだ。(^_^;) 衣池とみころも・・・大師の衣をここで洗濯したとか??

次なる名所は『眼洗地蔵(閼伽の井)』だ。(だんだんと紹介する自信がなくなるわー) 教海寺の北にある小径を行くと『参道・・・』という標識がある。これの右を行くのが正解。 間違って明確な道である左を登っていくと墓地になる。古い卵塔などがあるが、 小さな石の祠あってその中にはさらに小さな五輪塔が入っていた。見ると微かに『寛文十二壬子年(1672)』と読める。 元禄よりさらに古い、江戸の前期と言っていいかも。道を間違ってお宝発見。

最近パソコンのやりすぎで眼が疲れています。『眼洗地蔵(閼伽の井)』のお世話にでも なりましょうかね。ちなみに、閼伽(あか)とは仏様に捧げる水のこと。英語で水に関係するアクアもこのあかも 語源は古代サンスクリット語からきているらしい。小径の奥には地蔵菩薩と大師の石仏があり、その横手に確かに湧き水がありました。 これもきれいな水ではありますが、眼を洗うには勇気がいりそう・・・・。
眼洗地蔵(閼伽の井)(^_^;;)鏡岩 (^_^;;;)

道を挟んで東にある本堂のほうへ行ってみましょう。この裏手の小山が標高から言っても脇川山の 可能性が高いです。本堂の横手から八十八箇所と三十三箇所の二つもの巡礼路が存在しますので それを利用して登っていきます。 その入り口付近にあるのが『鏡岩』(いよいよ怪しくなってきました)。表面が鏡のようにツルツルになっていると思いきや、 そばに近寄るまでもなくボコボコの表面が見て取れます。 きっと昔は鏡のごとく平らだったのでしょう・・・。
指さし道標八十八箇所巡り

『是より八十八ケ所道』と彫られた指さし道標が入口になる。石仏を見ながら次なるポイントの 『洞ヶ岩』を探す。どうもオリエンテーリングをやっている気分になってきましたよ。 洞ヶ岩とは八十八箇所霊場の北にある七廻り池の湖岸が大きくえぐれていて、 それが洞穴のようになっているところです。

池に向かってちょっと飛び出た所がある。そこから身を乗り出して洞ヶ岩を探してみるが 水位が高いので洞が水の下に隠れているようだ。さらに樹木や池の倒れかかった倒木やらで ここだ!という所が見いだせない。ちなみに池の対岸から見てもわかりづらかった。
反対方向から洞ヶ岩を探す身を乗り出して洞ヶ岩を見る (^_^;;;;)

木が池に向かって少し張り出している。それを足場にして再度ここと思われる湖面を覗き込んでみる。 肉眼ではすぐそこだと判るのだが、カメラに撮してもわかるようなポイントがなかなか無くて 雑伎団のような格好でカメラを構える。足を滑らすと「お池にはまって、さあ、たいへん♪」となる。 ここから見ると倒木の左側が確かにおおきくえぐれて洞のようになっている。もう少し水面が下がっていれば なお判りやすいだろう。あるいはボートに乗るか・・・・。

この近くに『独鈷(どっこ)の松』があるらしい。ところがこれは枯れてしまって独鈷の松の遺跡と地図に 書かれています。 これは見つかるはずもない。まさしく「どっこにあるのかわかりましぇーん」状態です。そういえば 水前寺清子も昔歌ってましたね『一本どっこの歌』。
コバノミツバが咲き乱れる巡礼路

この巡礼路、池の近くはショウジョウバカマが多かった。登って行くに連れて今度は コバノミツバツツジが頭上に現れてくる。この時期は虫もいないし、蜘蛛の巣も無いし、 花もあるしですこぶるよろしい。

八十八箇所の石仏は一番から順に置かれている。その60番から63番ぐらいが一番標高の高い 地点です。左手のちょい藪っぽい所が脇川山山頂と言って良いでしょう。 地形図を見るとこの付近に点線ルートが書かれていて、それは脇川から金屋へ抜ける 峠道だったようです(下山後、聞き込みで確認済み)。

ところがその道はゴルフ場で分断されてしまっています。気を付けていると 巡礼路から枝分かれしている峠道も発見できました。試しに、ゴルフ場の所まで 行ってみればよかったとちょい後悔。そのゴルフ場の敷地内にある調整池の縁にも 『黄金塚』と呼ばれるポイントがあります。

名前が示すように黄金が隠されているという言い伝えがあるらしい。いわゆる 埋蔵金伝説ですが、この付近で埋蔵金ってことは、秀吉に滅ぼされた別所家の 軍資金かなにかでしょうか?ゴルフ場の敷地内なのでフラフラと入り込むことも 出来ず。残念至極。しかしそれが黄金でなくて単なる雑巾だったらどうする? MY雑巾(まいぞうきん)なんちゃって。

この峠道分岐のある最高地点付近からはMTBでも乗れ乗れの下りで一気に88番まで の下りです。そこから今度は三十三箇所の霊場巡りがあります。それもクリアーして 最後の名所へ行ってみます。それはちょっと離れていますが『腰掛け岩』というものです。

七廻り池の堰堤端から村道と離れるように地道があります。入り込んでみると すぐに行き止まり。どう見ても道はありません。ヤブに突入してみましたが 鳥の巣のようにヤブが絡み合っていてどうにも進むことが出来ませんでした。 そもそも腰掛け岩にはどういういわれがあるのでしょう。 弘法大師が腰掛けたのか?あるいは弁慶が腰掛けたのか?真実はまさしくヤブの中。 謎が残ったままですがこのヤブです、探し出すのはよしつねにしましょう。

今回の脇川山の地図は こちら(約50k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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