太山寺周辺

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『前開』を参照いただくようお願いいたします。

2006. 4. 1.  土曜日  曇り  気温ふつう

今週も北部の山で残雪ハイクを楽しみたかったのですが、帰宅時間が決められてしまったので 急遽MTBでの里山ポタリングを楽しむことにしました。コースは神戸市西区にある古刹太山寺を起点として 『太陽と緑の道』を走ります。ただし、私の個人的興味として、道中にある石仏はもちろんですが、WEBで 紹介されていないような不思議ポイントも盛り込む予定です。

太山寺は長い間ご無沙汰で、そのあいだに周辺には新しい道路なども出来ており、家から30分ほどで 到着できるほどの近場になっています。途中に稲美のため池台地を通過しますが、そのため池の 堰堤にある道標石仏には『太山寺・・・』の文字も彫られています。 加古川付近からも参拝するようなお寺だったことがうかがい知れます。

駐車をどこにしたらいいのかわからずにうろうろする。本堂の方向に有料の駐車場があるという 看板を見てそこへ進める。止まっている車は二台ほど。後からやって来た人に「お金はどうしたら いいんでしょ?」と聞くと「ここは無料やで」と言われて安心して準備をする。 (参拝者用の駐車場は別にあるらしい。WEBで調べてね)9時20分スタート。

自然歩道とは反対方向になる太山寺隧道へ向かい、その隧道手前を右に折れる。 隧道が無かった頃はこの道が正規の道路だったと思うが、現在は自転車道となっていて 100m先で車は通行が出来ないようになっています。
太山寺隧道手前を右に折れる
緑の矢印は磨崖仏の案内板
正面に車止めがあり
左手に『たいしやくかんのんみち』

車止めのある所の左手は西国三十三箇所の石仏が安置されていて霊場巡りが出来る 『たいしやくかんのんみち』があります。時間があれば霊場巡りで石仏を眺めながら ここのピーク(三身山と帝釈山)にも登ってみたいのですが、まずはこの自転車道の途中にある 磨崖仏を確認したい。

神戸市の作った立派な案内板があった。それをここにコピーします。
『兵庫県下最古の磨崖仏は、太山寺の東側を流れる伊川の上流約300mの左岸ある。対岸の旧道から見る 花崗岩の岩壁は伊川に迫る。その高さ6m、幅4mほどの岩面がやや平坦になった部分に、 上下236cm、左右135cmの舟形の彫りくぼみが作られ、その中に像行175cmの厚肉彫りの 不動明王立像が立つ。・・・・』 タイピングがしんどいので以下略じゃぁ!!
太山寺磨崖不動明王

兵庫県最古の磨崖仏と最初にうたっているのは、この磨崖仏に年号が彫られていたのが平成6年の 調査であきらかになったからである。弘安の年号が検出されたもののそれに続く銘文は解読できなかったとある。 弘安といえば『弘安の役』ということで、私は学習院中等科時代に学んだ年号です。それは鎌倉期後期(1278〜1288)というから 恐ろしく古い。下を見ると鎖場もあるが、現在は水は汚くゴミだらけでとても行場とは思えません。

とにかくお宝を見ることが出来て幸先がよろしい。本来なら今回のルートの最後にこれを鑑賞する予定でしたが、 この先どうルート変更があるやもしれないので、まずこれを見ることにしました。 では、Uターンして自然歩道に突入しましょ。

太山寺を素通りすると目の前に分岐がある。県道沿いには『なでしこの湯』という温泉があるが、 右へ入り込む村内の道を行く(兵庫ボルト株式会社が目印)。すると今度は『太陽と緑の道 寺谷・木幡駅・木津』という 神戸市の道標があるので、それさえ発見出来れば80%完走できたようなものである。そちらの方向へ進む。9時40分。
自然歩道の入口にある墓地

目を見張るほどでかい五輪塔があった。調査したいが急がねばならぬ。目の前に墓地があって そこからさらに細くなる。墓地だから当然石仏もある。立派な寶篋印塔の横に阿弥陀如来の立像。 さらにその横には六地蔵。阿弥陀如来は舟形に放射の頭光、印は来迎印のように見える。 (ひょっとしたら釈迦如来という可能性もある) 横手に『天明三癸卯(1783)十月・・・』とあった。

墓地を過ぎるとようやく山のシングルトラックの様相となる。枯れ葉をシャカシャカ 言わせながら自転車を漕ぐ。この瞬間がなんとも言えずええんです。 しかし落ち葉の道は長く続きません。すぐ舗装となってその先に橋が見えています。
さあ、乗るぞ高速道の上に架かる橋

一般の人が歩かない、ハイカーだけの橋と言って良いでしょう。下には阪神高速 北神戸線が走っています。 山間部の高速道を走っていると、こういう変な橋を時々見かけます。 橋の両端にはあきらかな道が見えないのに橋だけが存在していることがある。 なんのための橋か、だれが渡る橋か、想像するのもおもしろいです。 今日はMTBのイケメンが渡っております。 (動物たちを道の反対側に移動させるための橋とか隧道などがあります)

昔、何度もMTBしたこの自然歩道ですが、10年以上訪れていません。そのあいだに大きな変化がありました。 山が削られて新設の道路が出来ていることと、ゴルフ場が出来たことです。 それまでは乗れる山道だったのですが、どう変化しているか心配です。 おーっと!最初の変化が目の前に!!
ま、また橋があるやんゴルフ場バイパスの道

新しくできた県道?がこの山を削ったために、ここにも橋が出来ています。 銘板を見ると『平成11年』『権太郎小橋』とあります。しかし、えらい名前やなあ。 階段を下って、橋を渡って、階段を登って・・・・。う〜ん、昔は乗れたのに・・・。 橋から道路を見下ろすとローダーが走っておりました。

さらに変化が。鉄柵で通せんぼされています。その向こうにはだだっ広いゴルフ場が。 う〜ん、こいつが自然歩道をつぶした張本人か。その通せんぼの右手に擬木の階段がある。 これがバイパスになっているようだ。ゴルフ場のグリーンやらフェアウエイと平行して バイパスがあるなら快適に走れそうだ。

ところがぎっちょんちょん。擬木の階段はいきなり谷底へ降りてしまう。 仕方ない、谷を走るか・・・。しかし、谷底の道は何度も階段のアップダウンがあって走るどころの話ではない。 (上の写真はええ感じの所を写した) 頭上からはゴルファーのあほ声が聞こえる。足元にはOB(自然歩道)に打ち込んだゴルフボール。 拾ってポケットに入れる。おっと、もう一つ拾った。

谷の左手には大小三つのため池がある。そこには大勢の人がいる。 いわゆるバスフィッシャーって奴かな?数えたら20人以上いそうだ。 彼らは釣りに夢中でイケメンライダーの私に気が付かない。 最奥の池から擬木階段の急登りで尾根に乗る。もう汗びっしょり。 神戸市もゴルフ場のために苦肉でこのバイパスを造ったのがみえみえ。 ぜんぜん楽しくない道です。

234mピークの手前で擬木階段が左に下っている。道標もそちらに矢印があるが、 正面の極細シングルに入ればアップダウン無しにショートカット出来そうだ。 人の歩いた形跡もあるのでそちらに入る。乗れないのは残念だが予想通りに 竹林の中の自然歩道に復帰できた。そこから一登りで看板と出会う。

看板にはこうある。
『標高234mの高畑山山頂には、文明18年(1486)に伊川荘の代官職に任命された 明石氏が構築した高畑城があった。・・・』 タイピングがしんどいので以下略じゃぁ!!
高畑城趾の看板林道出合い

看板の右上が234mピークの高畑山で、看板にある高畑城趾がある。 それも見たかったが時間の関係で通り過ぎる。その山腹にある 竹笹のシングルを登っていくと段々と稜線が近づく。すると城跡の形跡である 掘切らしいものが二箇所確認出来た。 昔、MTBした頃はこの近辺の道沿いに小さな五輪塔があったのだが、ゴルフ場建設で無くなったのかもしれない。

『西神戸明石線bP0』の送電線鉄塔横を通り過ぎて三叉路に着く。10時50分。 消えかけた道標がある。『太山寺2.8km』『仏谷池1.4km』『寺谷バス停2.6km』と 三方向に矢印がある。ここは仏谷方向に走る。城跡看板からはほとんど乗れるのがうれしいのだが 、ゴミがやたらと多い。ハイカーが捨てるのか、誰かが持ち込んで捨てるのか・・・。

足元に『環境局5020』という石柱が笹に隠れるようにある。ここは分岐になっていてい左を選択するのが正解。 右に下ると『西神戸ゴルフ場』のクラブハウス近くの舗装路に降りることができる。そこには巡視路を示す 火の用心マークがあるので、木見峠経由で太山寺への帰路にここから自然歩道に復帰すると、 再度シングルトラックを楽しむことも可能です。

左を下って貯水タンクの横を通過するといきなり林道に出会う。ここから寺谷牧場の敷地になる。 昔は無かったが大きな看板があった。それは これから探そうと思っていた堂屋敷洞窟(どやしき)の案内だった。それにはこうある。
『谷字滝ケ谷の最奥に櫨(はせ)谷川の源流岩渕池の東南500mに位置し、その頂上付近にはハイキングコース 「太陽と緑の道」が通っている。洞窟の入口は高さ1.5m、幅2m、奥行き15mほどあり、 奥に行くほど広くなり、・・・』 タイピングがしんどいので以下略じゃぁ!!
洞窟の入口かがまないと入れません

看板の下には『右側の山道を降りてすぐ左へ』とあるが、これは林道を下から登ってきた場合の 方向を示しているので写真のように左の黄色へ行くのが正しい。 そしてすぐ左の急坂を下っていくと耕作地があって、そこにも看板がある。 耕作地からは洞窟は見えないが、道標通りに畦を歩くと真っ黒な入口があった。

リュックからライトを取り出して中に入ってみる。案内通りに中は奥に行くほど広くなっていた。 左の岩盤は人工的な石組みがされており、その延長に石仏の安置された祭壇があった。 若干気味が悪いので前垂れを外して何の仏か確かめる気分にはなれない。 とりあえずフラッシュを焚いて撮影をする。誰かがお詣りをしているようで、馬酔木の花が添えられていた。 洞窟の湿度と低い温度のためかずいぶんとみずみずしい。
とりあえず真っ暗です

播州では超有名な?法道仙人もここで修行をしたという伝説がある。 櫨の木で造った地蔵菩薩を如意寺の本尊としたのがこの地名の起こりらしい。 法道仙人を真似て真っ暗な中で瞑想していたかったが、そうもしておられず看板のポイントまで 戻る。ここで大いなる勘違いをしてしまう。堂屋敷洞窟の他に仏谷洞窟という洞窟もあるはず なのだが、二つは呼び名が違うだけで同じものだと思いこんでしまったのです。

近くに二つも洞窟があるのがおかしいという思いこみもあって、あっさりと納得してしまう。 で、ここから後半戦に挑む。木津にある磨崖仏を見に行きます。ここから牧場内の林道を下れば あっさりと県道に出てしまいますが、それではMTBの面白みがありません。 ここから三叉路分岐まで戻って『寺谷バス停』コースを下ってみます。 そのまえに昼ご飯。

展望は無かったが送電線鉄塔(番号未確認)でお昼にする。 無線のSWを入れてみる。標高が260mほどだし、土曜日だし、都会に近いので混信などもあるだろうと 期待していなかったが、高松市移動のLWZさん、笠形山のVXIさんと繋がる。 VXIさん とは久々の交信である。早々に食事を済ませて三叉路分岐まで戻る。12時05分。 もちろんここまで乗れ乗れです。
三叉路分岐に戻る寺谷バス停コースを下る

さーて、ここのコースも10数年ぶりです。気持ちよく下っていくと道の崩落した所にでる。 ここは見た瞬間記憶がよみがえりました!!いつだったかの台風で道が崩壊してしまい、横手に 迂回路がある。そこだけ担いで自然歩道に復帰。何年もそのままになっていますが、この崩落ポイントがあるおかげで モトクロスバイクに荒らされずに済んでいます。

そこからしばらくでいきなりダブルトラックに合流。 えっ?昔もそうだったかな??記憶が混乱してますが、そうだったのでしょう。 そのままダブルトラックをダウンヒル。12時20分里に降り立つ。ゆっくり下りましたが、 それでもあっという間やね。

舗装の県道を走って神鉄の木津駅付近を目標に走る。峠越えの舗装路を上って行くが 途中でランボルギーニにぶっちぎられる。う〜ん、さすがに速いわい。 寺谷牧場の入口を過ぎて峠でスポドリを飲んでいると、今度はローダーに抜かれる。 今日はローダーの5人ほど見かけたがMTBはおらんなあ・・・・。

荒涼たる宅地造成地の真ん中にある舗装路を走る。この造成地やら山陽自動車道が 無い頃は、木津の磨崖仏までなんらかのハイク道があったと想像するのだが、 とりあえずこの道で行くしか思いつきません。木津の駅前にある細い村道に出るには 神鉄と木津川を越えなければいけません。木津駅からの階段で降り立ちます。 村はずれの道標石仏(大正14年)をのぞき見ると『右 藍那神戸道』とあったので そちらの方向に走る。
木津磨崖仏

川の右向こうには神鉄の粟生線が走っている。目の前に堰堤が現れそれを越えると水のまったくない 川池が現れる。どこかのファミリーがその堰堤でお弁当を広げていた。 そして問題の磨崖仏に出会う。12時55分。
すばらしい!!

案内板があってこう書いている。
『この道は、平清盛が神戸の福原に都を置いた頃(1168)、都から鵯越を経て、 三木方面や姫路方面への主要街道になっていました。1184年には、源義経が この道をとおって鵯越に出、一の谷で平家を討ったのは平家物語で有名になっています。
この街道を行き交う人の旅の安全を祈って刻んだのがこの磨崖仏です。
木津フレクシャーと呼ばれている断層の一部の礫岩壁に、縦32cm、横2.2mくぼみを彫り、 中央に阿弥陀如来坐像、左右に三体ずつの地蔵菩薩を浮き彫りにしています。 「丁亥 石大工兵衛 文正二天(1467年−室町中期)」と刻銘が残っており、 神戸付近で規模が大きいものでは、この磨崖仏と太山寺の不動明王の磨崖仏の2カ所だけです。』 ふう〜っ、全部コピーしたぞい!!

阿弥陀の顔部分は欠落していますが、地蔵の表情は残っていてとてもかわいい表情をしています。 それにしてもこんな彫りにくい礫岩の岩盤に石仏を彫るなんて・・・・。

あとは木見峠をヒーヒー言いながら登りきって太山寺へ一気に下りきればゴールです。13時45分。 ちなみに、途中から西神戸ゴルフ場へ登って行けば、前述のように自然歩道に復帰することが出来ます。 擬木階段のバイパスコースをパスしたければ、三つのため池から農道を 下ればダイレクトに太山寺へ戻れます。

予定通りに早い帰宅が出来ました。その夜、WEBで調べてみたら、なんと、堂屋敷洞窟の近くに 仏谷洞窟がちゃんとあることが判明。軽率な判断で捜索しなかった事を悔やむ。 そこで、翌日は小雨模様だったが、近くを通ることになったので車で調査することにしました。

牧場の入口は『神戸ファミリー乗馬クラブ』と書かれた看板が目印になる。 車をどんどん奥へ走らせていく。途中にある牧草地には牛が放たれていている。 周囲に道標がないか注意深く走って最奥のサイロまでやってきた。すると そこには『仏谷洞窟』の道標が!! (この道標に出会う手前には『木津駅』の道標が東方向に下る道にある。木見の集落から 自然歩道があるようです。それと、この付近は一般者立ち入り禁止という看板がありましたが、許可はもらいました)
道標に従って下るで、出た〜。すごいぞ

昨日の堂屋敷洞窟の案内板より牧場方向へ少し下った所が仏谷洞窟の入口だったわけです。 そこにはよさげな小径が下っていました。雨のために滑らないように下ります。 向こうには西神戸ゴルフ場のグリーンも見える。右の谷に鋭角に折れて下りきると グジュグジュな湿地の谷だった。

周囲は礫岩の岩盤で深く切れこんだ谷です。うっすらとガスがかかっており 霊的空間を感じる。その最奥には・・・・。 洞窟と言うより岩盤が深くえぐられたようになっている。どこかで見た感じだと 思ったら、生野の洞滝 の谷がちょうどこんな感じだ。
実際はガスがかかっていて暗い

そのえぐれ部分は大きな庇を形成していて、小雨の雨宿りにうってつけ?? その上部もえぐれた空間があるがよじ登って、確認するのは難しそうだ。 右に回り込んでみるとお堂と、奥に滝がある。礫岩の岩盤はそこだけ削られたように Vの字になっていて、少量ながら水が流れ落ちる滝になっている。横の岩棚には不動明王の石仏もあった。
小滝がある

お堂は新しくて現在でもお詣りがされている様子だった。昔なら滝に打たれての行なども あったかもしれませんが、現在ではやめておいた方がよさそうです。 なぜって、この上は牛舎があって、牛糞が雨に溶けて流れ落ちている可能性がありますから・・・。

今回の太山寺周辺の地図は こちら(約330k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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