はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『三岳山』を参照していただくようお願いいたします。 2006. 9.23. 土曜日 晴れ 気温さわやか
去年のちょうど今頃、この
三岳山に
初めて登りました。ほんとうはこの山に登るなら縦走をするべしと考えていたのですが、
その時は地形図を持ち合わせていなかったのでピストンに甘んじています。
それから丸一年、念願の縦走をその時のメンバーであるたぬきさん夫婦と共にやってみましょう。
まずはゴール地点に設定している旧坂浦峠に向かいます。細い一車線の舗装路だが現在では 峠の真下にある坂浦トンネルのおかげで車の通行はほとんど無い。そのため所々に太めの木の枝が 転がっていたり、左右から生え延びているブッシュがあったりする。 峠のちょっと手前に石碑のある広場があった。そこが駐車ポイント。ずいぶんと広い広場には相当な樹齢の 樅の木と数基の石碑だけが目立つ広場だ。昔はいったに何があったのだろうかと思わせる不思議な所だ。 父たぬきさんが広場の奥にあるプレートに気が付いて行ってみると、近くにクマの罠を仕掛けているので注意せよと 書かれていると言う。やはりこの山域にもクマはいるようです。
やまあそ号をここに置いてたぬき号で登り口のある「三岳山の家」へ向かう。 山の家の駐車場には数台の車があるが、それより一段上にある登山者用の駐車場には一台もいなかった。 準備を済ませてスタート。9時40分。 登りはじめはいきなりの急階段だ。(前回のレポートの写真をご覧下さい) 水利施設を過ぎると階段は無くなり地道のシングルトラックとなる。山仕事によく使われる小型キャタピラー車 のわだちが登山道に続いている。「これって植林仕事に使ったんやろか?どこまで続いているんやろ」 途中の植林帯で伐採された形跡がないので、たぶん神社に向かっているのではと想像する。
植林帯が終わると雑木の林となる。途中には歯抜けではあるが丁石仏がいくつか安置されています。 それらが何丁か確認したり、寄進者の名前を見たりしながら急斜面の登りの辛さをごまかす。 それにしても父たぬきさんは快調に飛ばしています。まもなく神社になるころ、木々の間から 展望がかいま見える。案外遠くまでクッキリ見えるので頂上が楽しみになる。 神社には10時25分着。崩れそうな古い石段はそのままだったが、神社の境内を取り囲む 石の垣根は一新されていた。狛犬も真新しい。どうやらキャタピーラーはこれらの 工事のために通行していたのでしょう。石段の左右の木々も伐採されているのだが、 中には銀杏の大木まで切り倒されている。なんとももったいない気がしたが、その丸太で 彫り物が作られて神社の前に飾られていた。 神社で小憩後、三岳山の頂上を目指す。神社裏手のメインコースを利用すればすぐに 頂上なのだが、今回は左手奥から行者神社(前回途中で撤退しているので)を経由して頂上に行くつもりだ。 崩れそうな斜面のトラーバース箇所やら、小石が落ちてきそうな急斜面、とんでもなくでかい岩が現れて、 横手をよじ登りながらここは修験の山だと再認識する。そして所々にある赤テープやらトラロープで 行者神社への参道だとわかる。
父さぬきさんが先行して登りきった岩場から「祠がある〜!!」と声がする。もう一登りだが、こちらも 発見があった。母たぬきさんが岩の割れ目に石仏を見つける。近寄って見ると舟形光背の不動明王だった。 微かに『願主 二□左ゑ門』と読める。
岩の上によじ登るとそこはフラットな棚になっていた。周囲は小ぶりな石で 石垣が形成されている。そして祠の中には役行者と後鬼(前鬼は無かった)。 祠の前には金属のプレートが埋め込まれている。それには 『光験山記録寺 丹波修験山岳道場』とある。丹波修験道場といえば篠山の三嶽周辺を思い出しますし、 西光寺山もそうだと聞いています。それらの流れを汲んでいるのでしょうか。 地形図でこの神社の位置は特定出来ました。頂上まではわずかなのでがんばりましょう。 祠の裏からある踏み跡には赤テープも残っている。トラバース気味に登っていくと 三岳山から西に延びている尾根に数分で到着する。すると 「おお!すごいで」と父たぬきさんが吼える。 後に続いて到着するとそこには大展望が待ちかまえていた。 |
西方向 |
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同じ場所から北方向 |
山頂ではなくこんな所で展望があろうとは思ってもみませんでした。 空気が澄んでいるので遠くまでクッキリと見えています。さすがに大山は見えませんが、 氷ノ山の向こうには東山のシルエットも確認!!山ではありませんが『但馬ドーム』も見えます。 身近なところでは、MTBで縦走した 三国山から 登尾峠の山塊が真っ正面だ。 |
烏帽子岩。こちらはさらに大展望 |
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「いやっ〜、よかったねえ」と興奮醒めやらぬまま登っていくと、烏帽子のような大岩が目の前に
はだかる。それを右に回り込んで登るとそこは先ほど以上の展望だった。先ほどの展望プラス
南方向にも開けている。たぬきさん曰く「270度や〜」とのこと。
たぬきさんの庭である丹波方向が丸見えで「あれが○○で、あそこが○○・・・」とおなじみの
ピークを同定する。
そこからわずかで三岳山の頂上となる。前回正規ルートで登ったときに今回の踏み跡が 気になっていたのだが、予想通り行者神社から頂上へ続いているルートでした。 11時25分、三等三角点、標高839.2m。 時間もちょうど良いので前回同様頂上でお昼にする。風が強くてコンロの火力が弱い。久しぶりのアルミ鍋のうどんだが、 涼しいのでおいしくいただけました。おなじみの無線仲間のOAPさんは島根の三瓶山、TQFさんは宍粟の一山。 さすがに三瓶は繋がらないが、一山とは楽勝で交信出来ました。向こうも大展望を楽しめたようです。
コーヒーも飲んでいよいよ縦走開始。12時15分。反射板の向こうはタケニグサがはびこる 歩きにくい所だが、それを抜けると下草のない涼しく歩きよい植林の尾根になる。 高度差の無いフラットで思ったより狭い尾根を行く。下降点が分岐になっているがコンパスで 確認して北東へ下る。 788mの標高点までやって来た。全体的にみて尾根の右は自然林で左は植林だ。 その右側の自然林から立派な鹿の成獣が飛び出してきて我々の前を横切って行く。 あわててカメラを構えるがあのスピードには対応出来ない。 788mから大きく下りきるとそこにはブナがあった。 わりと立派な幹をしていて、切られずに残されているのがうれしい。 この付近、足元一面には足首までの笹が生い茂っている。ふと前を見ると前方のピークが段差を伴っている。 ひょっとして砦跡だろうか?近づくと馬返しと思われる掘切があり、その先には曲輪も存在していた。 あきらかに砦跡だった。ここからなら上野条、下野条、行積、の三叉路、さらには坂浦峠も見えたに違いない。
砦跡から下り基調の右ドッグレッグで650mピークを目指す。途中には○○○(あえて名前は伏す)の 葉っぱも生えていた。650mピークには13時15分着。ここも笹原で左手の自然林が心地よい。 ここより再度北に方向を変える。尾根は左右に別れていて、その分け目の向こうには赤石ヶ岳が見える。 左の方がルートが明らかだが、正解は倒木地獄の右ルートである。倒木の向こうには 麓からも見えていた電波塔があります。
倒木を乗り越えるのは無理なので、右斜面を巻きながら下っていくと 案外簡単に電波塔に着いた(写真の矢印から)。そこには立派な林道が開通していて、その方向からして 雲原にある山谷の集落から上ってきているようです。もちろん、そこに下山はしないでそのまま 稜線を下っていきます。 次の目標は520.5mの三角点ピークだ。その三等三角点『掘切』には13時55分着。 三角点の横手に木の杭が立っていて、墨書きでなにやら書かれているが判読は出来ない。 なにか登山の記念だろうか?さらにそこには腐食してボロボロのレンサティックコンパスが落ちていた。 それは米軍放出のポーチに入っていて、本体にも『US・・・・』と彫り文字が微かに読める。 『掘切』を跡にしてゴールを目指す。植林の尾根をコンパスと高度計、そして周囲の地形を 読みとりながら右に左と下っていくと、いきなり竹林になる。さすがに京都だけあって 立派な竹ばかりである。春になるとタケノコがすごいだろうな。 竹藪になるといよいよ里が近いと感じる。
竹藪を抜けて植林帯に入る。 「もうすぐ地形図の点線ルートと合流するはずなんやけど・・・」と言ったが早いか、 いきなり奇妙な平坦地に降り立つ。ここだけ杉が植えられて無く真っ平らな所だ。 見ると道が横切っている。これが地形図にあった点線である。ここから右に向かうと ゴールの坂浦峠だ。
現在はさすがにヤブっている所もあるが、往時はずいぶんと歩かれた道のように思える。 左右が壁のようになった深い溝状の道をズンズンと下っていくと、左手に電柱と道が見え隠れしてきた。 地形図どおりに道が付いていたなら坂浦峠の反対側に下るはずだが、ちょっとずれているのか 駐車ポイントにドンピシャで降り立ちました。14時40分。 倒木箇所が数カ所あったりして、方向などがわかりにくいポイントもいくつかあったが、 頂上手前の大展望やら、ブナがあったり、砦跡があったりで、 面白い尾根歩きができました。 今回の三岳山の地図は こちら(約130k) でごらんください。 |