鏡山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『市島』、『菟原』を参照していただくようお願いいたします。

2006. 5.28.  日曜日  晴れ後曇り  気温蒸し暑い
去年、京都府三和町(現在は福知山市)にある 万灯山 に登りましたが、その時に「次回は鏡山やね」とたぬきさんと話をしました。 鏡山も同じく三和町にある山です。名前と位置だけは判っているものの、 どんな山なのか、登路はあるのかなどまったく情報はありません。

単独なら踏ん切りがつきませんが、たぬきさんの「明日行ってみる?」という一言で急遽決定する。 かねちゃんもいずれは鏡山と思っていたそうなので四人でGO! 複数の車で行くので縦走を計画する。たぬきさん夫婦と氷上で合流して 下山予定地になるであろう三和町大身にある墓地の空き地にやまあそ号を駐車する(もちろん近所で許可を得ます)。 そのまま今度は登り口があるであろう三和町梅原へ向かう。 梅原の農場で出会ったお兄さんが言うにはこの先から登れると言う。よっしゃ!!これで万事OK。 かねちゃんとの待ち合わせの三和町役場に向かう。

今日は暑くなりそうなので自販機でお茶を買い足す。かねちゃんも到着して梅原の登山口へ向かう。 準備をして10時05分スタート。地形図にある点線は未舗装の林道だった。獣除けのゲートを開けて 中に入る。しばらく歩いていると何やら地面に動く物が・・・・。小さなカニだった。 それがワサワサうごめいてます。TVで繁殖期のカニが町中にあふれかえっているシーンを 見たことがあるが、それのミニ版って感じ。「気を付けんと踏んだらあかんよ」と、母たぬきさん。 気を遣って歩いているつもりだが、時々足元でせんべいを割るような音がする。思わず「南無阿弥〜」

林道が枝分かれしている。小さく判りづらい分岐も含めると4分岐ぐらいになる。 正面に『町有林・・・』と白い看板がある。最初、この看板の裏手にある踏み跡を 登り始めたが周囲の地形と道の方向からして間違いに気づく。元の分岐に戻って 少々うろついた後、白看板の左手に林道が正解だとわかる。
カニがいっぱいの林道その林道もこうなる

登り傾斜の具合とか方向からしてこの林道が正解でした。しかしこのままでは終わりません。 途中から倒木が現れ始め、それらを乗り越えたりヤブをかき分けたりで少々難儀をする。 どうにもならないような倒木帯でなかったのが救いだった。 後ろで「痛〜い!」と言うので振り向くと母たぬきさんがタラの木を掴んでいた。そら痛いわ。 林道終点には10時55分。そこから左手斜面の獣道を登る。 点線のルートは消失しているような感じだ。

ここをよじ登れば三つの点線ルートが合流している標高300m+の鞍部『C』に着く予定である。 そこから東に稜線を登っていけば迷うことなく鏡山の山頂にたどり着くことが出来る。 そう思いながら登っていくといきなり切り開かれた空間に出た。
山仕事の広場にでる

斜面ではあるが、人によって開かれた空間なのは間違いない。 目印になるような杉の大木、シュロの木、柿の木もある。足元に炭化した木片があったので 周囲を探すと大きな炭焼き窯跡もあった。山仕事に使われた広場だったのだろう。 ひょっとしたら小屋などもあったかもしれません。

そこからも道も消失しているので各自勝手に登っていく。たぬき夫婦は左の枝尾根に 取り付いているようだ。私とかねちゃんは炭焼き窯跡から斜面をよじ登る。 すると鞍部『C』手前で右手から道が来ている。その方向を見ると大岩の下に 続いているようだった。最初、先ほどの広場から来ている道かと思ったが、どうも 別途地図にある『い』の道ではないだろうか。
峠には石仏があった

そして鞍部に着。11時10分。まず目に付くのは思ったより広い鞍部だということ。 真っ平らでまばらに木が生えている。正面には地形にある『ろ』(下川合に降りる道)も あった。どうみてもここは峠に見える。ならば石仏はあるだろうか?目を凝らすと 不思議な石組みが目に入る。近寄って前にある木を除けてみると・・・・。 「せきぶつや〜!!」思わず大声を出す。たぬきさん達もこちらへ駆け寄る。
馬刺し峠。石仏を見る三人

舟形に彫り窪められた箇所に手に宝珠を持った地蔵菩薩の立像がいらっしゃる。 石組みは祠だったようです。その祠が崩れそうになっているので、中の石仏を祠の入口に 出しているのでした。さらにその石仏の前に生えている木はお茶でした。 よくそえられたシキミが根付いているのを見たことがありますが、 お茶というのはおもしろい。

帰宅後、調べてみるとこの鞍部は『馬刺し峠』といい、下川合と菟原を結ぶ 峠だったらしい。ということは『い』と『ろ』が正規の峠道で 我々の登ってきた道は山仕事の道だったと考えてもいいかもしれません。

『馬刺し峠』とは奇妙な名前だが下川合にいわれがあるようだ。 ずいぶんと昔の話になるが、義経が兄の頼朝から逃げて菟原の下一にいるとき、 上川合から刺客がこの峠を越えて菟原へ行こうとしていた。 ところが義経方にこの峠で馬を刺し殺されてしまったという。 それがこの峠名の由来になっているらしい。 その後、農耕の牛や馬が次々に死ぬことから、そのたたりを 鎮めるために下川合に宇麻谷神社(宇麻=馬)が建てられたという。

11時15分峠を立つ。祠の裏手から登っていく。 林道を歩いている時は周囲は植林で、その林道もヤブになり 気持ちもドッとへこみかけた。しかし、この峠付近からは雑木が ひろがり上から降り注ぐ新緑がまぶしい。急な登りも苦にならない。 えらい違いである。
緑にあふれる雑木斜面を登る鏡山三角点ピーク

「鏡岩ってどこにあったんやろ?」母たぬきさんが言う。それを聞いてギクッとする。 そうやった、そうやった。鏡山のどこかに鏡岩があると聞いていたのです。 それも見つけられればいいなと思っていたが、すっかり忘れていました。 峠の手前にあった『い』の道に見えていた大岩がそれだったのではないだろうか? もう引き返す気分にはなれずひたすら頂上を目指す。

稜線上も雑木になったり、植林になったり、岩があったりでゆるやかな登りが続く。 途中にはまったく展望箇所がなかったので頂上にそれがあるとうれしい。 11時55分頂上に着く。三等三角点、標高480.4m。 ちょうど2時間ほどで山頂に立てるとは程良い山ですね。 しかし、期待は外れて展望も食事できるようなスペースも無かった。

「もうちょっと先に行ってみよか?」あっさりと山頂を後に東へ進んでみる。峠から山頂までよりも、山頂から 東へ向かうほうが道が良い。しかし、食事に適した所が見つからず、あきらめて適当な所で食べることにする。 単独で登るときは寂しい食事だが、大勢だといろいろと話題もあって楽しいものである。 父たぬきさんは無線を試みるが、標高も低いためか応答はなかった。
大きくうねる植林の尾根

12時50分再スタート。地形図を見ると、鏡山の頂上からはゆるい下りでうねうねと 左右に尾根は方向を変えていく。進路の確認が難しそうに思えたが 実際はそうでもなかった。見通しの効く植林帯なので、曲がる方向も見えているし 大波のようにうねっている稜線が面白い。「これ、植林じゃなくて自然林なら ええ雰囲気やろね」と、かねちゃん。
そして着いたのが権現平

地形図にある逆Vの字の尾根にやってきた。そこは標高差もなく真っ平らで、しかも広い。 不思議と言うよりも不気味な雰囲気だった。そういえば天気も徐々に悪くなってきて ポツリと雨粒が落ちてきている。雨雲が上空にあるのと周囲を木々に覆われ ていることもあって、真っ昼間だというのに真っ暗になる。それが不気味の原因かも。 それにしても一人で歩くのは遠慮したい。カメラで周囲を撮そうとするが 光量不足ですべてブレてしまう。あるいは霊のせい??

下山後、たまたま話しかけた老人が言うにはそこは『ごんげん』と言い、権現の塚があったという。 「子供の頃にはよう遊んだもんや」って、いったいいつの頃の話だろうか?「あそこがごんげんと 知っている人はもうおらんなあ・・・」すかさずたぬきさんが「そういう話は残していってください」と言う。 確かに先ほどの『馬刺し峠』といい、残しておいて欲しい名前や事柄がいっぱいある。 でも大丈夫、やまあそがちゃんと書き残しましたから。(^_^;)

そんな塚があるとは知らずに『権現平』を通過して地図の460P手前の鞍部にやってきた。地形図には点線ルートが 下っているが、見える感じでは明確な踏み跡はなかった。雨が降りそうだったので、もし踏み跡があれば そのまま下っていたかもしれない。「460標高点を通過して次の下山ルートを見つけよか」 地形図にはその先にも点線ルートが下っている。それに期待しよう。

460Pも過ぎて地形図にある次の下降点にやってきた。母たぬきさんが懸命に見つけようとするが それらしい踏み跡はない。この下降点、不自然な所から下っているので、案外その先にある鞍部から 素直に道があるのではないだろうか。そう思って先を行くとドンピシャ!! きれいな道が下っている。(地図のF地点)
F地点付近にてG地点にて。点線矢印にも踏み跡あり

450Pを巻くようにゆるやかに下っています。やがて450Pから南西に延びている 細い枝尾根の上にやってきました。(地図のG地点)私はその枝尾根に 道があって南西に降りていると想像していましたが、そのとおりに道らしきものがあります (写真の点線矢印)。 ところが先ほどまでの巻き道は途切れることなく東方向に向かってます。 そうなるとそっちの方へ行ってみたくなる。

降り始めるとこちらもええ道です。ずんずんと降りるのでこのまま下山かと思いきや、 あるところから左に方向を変え山腹と平行になって進んでいきます。登るでもなく、下るでもなく、なぜこんな所に こんな明確な道があるのか不思議です。しかし、この雰囲気はなんでしょう。 大木があるわけではないし、花畑があるわけではないし、ただただ雑木が生い茂って いて、その中に一本の道があるだけなのに・・・。 「この道を歩くだけにやってきてもいいなあ」とかねちゃん。
360度緑の世界

いつのまにか大身と加用を結ぶ峠道(地図の『は』)に乗ったようだ。 平行道から下っていくとTVの共同受信施設の広場に出た。 地形図で位置を確認する。さらに下ると左に見える谷には棚田跡があるようだった。 里が近くなってきた証拠だ。 「良い山だったけど花は無かったね」と言ったとたんに足元にキンランが。
ごんげん神社?に下山

やがて神社が見えてきて、その裏手から社殿前に飛び出る。14時30分。 鳥居にある名前が読みとりにくかったが『○○権現』と読めそうだった。 稜線にある権現塚となにか関連があるのでしょうか。そうだとしたら あの道も意味がありそうな気がする。

村内を通過する舗装路を歩く。途中に日向(ひなた)という所を通過する。 地形図を見ると川向こうは日後(ひしろ)と言う。日が当たる所と日陰に なる所という字なのでしょう。さらに鏡山周辺を見ると日向が三箇所、 日後が二箇所もあった。都会はだんだんと味気ない町名になっていくが、 ここでは字一つにもいろんな由来があるんやろねえ。

今回の鏡山の地図は こちら(約210k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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