はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『音水湖』を参照していただくようお願いいたします。 2006. 9. 2. 土曜日 晴れ 気温ふつう
今年の4月と、一昨年の4月にも登った、
三久安山の
隧道から登るコースは大展望の好コースでした。その展望ポイントから見た阿舎利山方向には、標高差がなく東西に
まっすぐな伐採尾根があるのが確認出来ました。「あそこを歩いて阿舎利山に登ってみたいなあ・・・」と、眺めながら
つぶやいてみる。
願望はいずれ現実になるものです。今回はふと思い出したそのルートを探索してみることにします。
その伐採尾根に行くまでの取り付き地点も考えていました。それは阿舎利の集落から溝谷の集落へ 抜ける溝谷坂と呼ばれる峠を利用しようというものです。 この峠は阿舎利の子供達が溝谷にあった学校へ通っていたと以前聞いたことがあります。 長い間使われていないこの峠道ははたして残っているでしょうか。 阿舎利の集落で駐車ポイントを探していると一人のご老人に出会う。代々阿舎利に住まわれている Kさんという方だった。ちなみに阿舎利にはKさん以外に都会からやってきた2家族がいるだけで 古いことを知っているのはKさんだけということである。「道は残っていると思うが、川を渡らんといかんよ」 ううっ、橋が無いのか・・・。とりあえずお墓の空き地に駐車して9時スタート。 廃屋になった民家への橋が残っているので、それを渡って川に沿って歩いてみる。そのまま峠への谷に 行けると思ったら行き止まりで引き返す。考えが甘かったか・・・。覚悟を決めて予定の地点から 靴を脱いで川を渡る。たぶん登りはじめでうろうろとするやろうと予想していたが、そのとおりで なんやかやでここまで30分経過。
峠道はすぐにわかる。残っている踏み跡とたどって歩く。峠までの距離は短く、標高差も90mほどしかない。 所々にいやらしい倒木があるので迂回しながら歩く。注意深く周囲を見ていると等間隔に古い電柱が倒れているのを 発見。それはコン柱ではなく木柱でツタなどが貼り付かないように樹脂製の網が巻き付けられていた。 しかし、キツツキのたぐいだろうか、その樹脂製の網をも食い破って巣穴を作っていた。 横手に転がっているホーロー製の板には関電のマークと『アジャリ187』その下には『'65(昭和40年)』とあった。 ということは昭和40年までは電気のないランプ生活だったのだろうか?あるいはそれ以前から電気はあって、 単に電柱を掛け替えたのが40年だったのか。それらの詳しい年代は聞き損ねたのだが、Kさんが言うには 溝谷の集落から電気を引くために工事は自分たちの負担だったという。 まもなく峠だ。目の前の明るい所がそうだが、道は大きく迂回するようにゆるやかな コースを取っている。昭和20年後半から30年にかけて、阿舎利には20人ばかりの 小学生がいた。そのうち幼稚園から3年生までがこの道を通って溝谷の小学校へ通っていた。 その子供達が歩きよいように直登ではなく、わざとゆるやかな道にしているのだと想像する。 |
まもなく峠 | な、なんと石仏発見 | やさしい地蔵でした |
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雪の季節には親が朝と夕方に雪を踏みしめて歩きよいようにしたという。古き良き時代とはこういうのを 言うのだろう。せっかちな私はその峠へ向かって斜面を直登する。9時50分着。 小さく狭い鞍部で目の前に鹿避けネットがあって溝谷へは通せんぼをしている。 見ると溝谷の峠入口にある民家も見えている。その向こうには藤無山(このあたりでは志倉権現山と言う)が 大きい。 ふと足元を見てびっくり。なんと石を積み上げた小さな祠があるではありませんか。無名、有名と問わずいつも峠 に来ると石仏がないかと辺りをうろうろする。なのに今回はまさかあるはず無いだろうと思いこんでいただけに 驚きも大きい。 中を覗き込んでみると小さな祠に似合った小さな石仏がありました。舟形光背の地蔵菩薩立像。向かって右手には 『三方町』左手には『せく 年女』とある。どういう由来の物かはわかりませんが、きっと子供達の 通学を見守ってきたと信じます。今回の山行きはこれで満足やなあ・・・。まあついでということで 阿舎利山まで歩きますか。
地蔵に登山の安全を祈願して出発。峠から地形図にある700m、844mの標高点を経て 950mの尾根にたどり着けばそこが伐採の展望尾根という段取りです。 道中がどういう感じかまったくわからないままで峠からの再スタートでしたが、 やはり宍粟の山はふところがでかい。播州にありがちなシダやらイバラなどのヤブは無く 快適に登っていけます。 右に左にと曲がりくねっていますが、登りなのでさほど難しくない。所々で現在位置の確認さえ 怠らなければ大事には至らないでしょう。まもなく伐採尾根に飛び出ると思われる頃、いきなりの 激ヤブになる。杉の幼木をくぐり抜け、ブナの幹の横をすり抜けてようように 伐採尾根に飛び出しました。11時ジャスト。 |
展望の伐採尾根に出ました |
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思った通りの大展望です。目の前には三久安山があって、登りに使ったあの展望尾根を今日は逆にこちらから見ることが 出来ました。もちろん下山に使ったシャクナゲの尾根も確認出来ましたし、林道の崩壊場所もよく判ります。 段が峰、フトウガ、須留ヶ峰の左には御祓山のピークがちょこんと見えています。 三久安の左奥をと見てあれば、兵庫と鳥取の県境の山々が望めます。涼しい風に吹かれてしばし休憩。
伐採尾根を歩きます。足元には伐採時の木っ端やら丸太やらが転がっているので案外歩きにくいです。 尾根の真上にはポツンポツンとブナがある。きっと植林前はブナの山だったのでしょう。 途中に三角点がありました。苔だらけの4つのブロックで守られた4等三角点 『蓮華』です。まったく無傷で苔も生えていません。 ここでOAPさんと無線が繋がる。三室山の頂上ということはここから見えているわけやね。 お昼の準備をしているということなので、三角点をちょっと過ぎた所で私もこの展望を楽しみながら食事をすることに。 熱い汁ものはまだ早いかと思いサンドとアイスコーヒーにした。食後にオカリナで一曲。雄大な風景を見ながら吹くと 気持ちよい。11時40分再スタート。 標高差のない尾根なので足取りは軽い。この平坦尾根の終点は注意しなければいけません。 というのも、そこから北へ下ると引原越えという峠があるからです。 溝谷の集落から谷に沿って登っていくと蓮華滝を経てこの峠にたどり着きます。 そこから西に下ると引原ダムに至るという寸法です。
どこがその分岐ポイントになるかと注意していると『六四』の石標のあるピークがそれだった。 さらには大柿さんの赤布もぶら下がっている。もっと特徴的なのがそこから 左手は今まで通りの植林の斜面、右手はうっとりするような自然林が広がっているのでした。
これが山頂まで続いてるのだから最高です。この阿舎利裏ルートはお勧めですね。 頂上から200mほど手前で気になるプレートを発見。それには『阿舎利集落→』と ある。地形図で確認すると確かに集落へ続くセト谷へ向かっているようだ。 一応頭の中に入れておいて目の前の頂上へ向かう。 |
阿舎利山の山頂 | そこから北が見える |
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三等三角点の頂上には12時40分着。標高1087.2m。誰もいない静かな山頂である。 昔は足元に熊笹が生い茂っていたような記憶があるが今は下草もない。 さらに北方向にこぢんまりと伐採されていてわずかばかりの展望がある。 引原ダムの音水湖も半分ほど、国道29号線と鹿伏に出来た新しいトンネル、 その上には戸倉スキー場の小屋らしきものが見えています。ということはその延長にあるピークは 赤谷の頭やね。氷ノ山の避難小屋も双眼鏡ではっきりと見えました。 |
山頂去りがたし | おぉ!登ってきた尾根が見えます |
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山頂でもオカリナを一曲奏でる。無線でOAPさんを呼んでみるが、もう三室から 下山しているようだ。私もそろそろ下山をしようと思うが、あのプレートのルートが気になるので どんな具合か試してみることにする。 したがって裏ルートへ200mほど逆戻り。 先ほどのプレートをよくよく見れば釘で木の幹に直接打ち付けられています。 この人、山登りは好きなようですが、自然を愛でる心は持ち合わせていない 気の毒なお人のようだ。プレートから少し下ると左側が明るい。覗き込んでみると 登りに使った尾根とその向こうの山々が見えた。あの伐採尾根のこちら側は整然とした 植林が広がっている。 今は明確な尾根だが地形図ではやがて急斜面になる。左に平坦地があるので そちらへエスケープする。山仕事の人が歩いた形跡もあるのと大岩があるのが 目印となっている。歩きやすいところを捜しながら下っていくとやがて 谷に降り立つ。谷には細い流れがあって顔を洗ってさっぱりする。 右に見える斜面は倒木が凄く、長い距離ずーっと倒木帯だった。 この谷は『セト谷』と呼ばれている。セトとは両側の山が迫っていて狭い谷という意味だ。 その通りの狭い谷を下っていく。するとなるく広がった所に出た。見ると炭焼き窯跡が 点在しています。中にはずいぶんと大きな物もあった。この阿舎利にはたたら場があったという。 ここはその炭を供給する場所ではないだろうか。
谷道はずいぶんと荒れている所がある。倒木あり、崩れている所ありで少々危険な所もある。 その途中に石の道標があって驚く。それはずいぶんと新しくて『左 山道 右 引原』とあった。 実は朝方お会いしたKさんが若い頃に担ぎ上げた道標で、この引原方向へ登っていくと ずばり引原への道があるという(前述の引原越えと合流するのだろうか?あるいは別の下山道が あるのか?)。「昭和33年だったか、引原ダムが出来たときにこの道で見物に行ったんや」と 下山後におもしろいお話しも伺った。プラスチックの無粋なプレートはいただけないが、こういう 道標はうれしくなる。 荒れた谷道を下っていくとやがて林道に出た。その林道に沿っても両側に何段もの 石垣の列が続いている。棚田かあるいはたたら場の跡だろうか。見当はずれの想像かも しれないがそれも楽しい。
林道入口には14時15分着。Kさん宅を通り過ぎようとすると、縁側で座っているのが見えた。 「朝方はありがとうございました。」「無事降りたんか、こっちおいで」と手招きしてもらい、 いっしょにコーヒーを飲むことに。ご夫婦と昔猟師をしていたご老人の次から次へと出てくる面白い昔話を 聞きながらコーヒーをいただく。そういう話を聞けるのも山行きの楽しみの一つだ。 15時駐車ポイント着。 今回の阿舎利山の地図は こちら(約105k) でごらんください。 |