倉尾愛宕山〜皆坂の滝

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『上郡』を参照していただくようお願いいたします。

2005. 5. 8.  日曜日  晴れ  気温涼しい
上郡町には標高の高い山はありませんが、地形図をじーっと見ているとなんだか 楽しそうな所がいくつもあります。このあいだの 苔縄城跡から峰尾池へも不思議と はっきりとした道もあったし、古い鉱山跡などの発見もあった。 ならば、この近所にはさらなるお宝ポイントがあるのでは??
と、捜してみると近くの山中に石仏があるらしい。なぜそんな所に石仏があるのか? 実際に行ってみたら理由もわかるかも。そして、そこからさらに山に分け入ってみよう。

上郡町の倉尾集落に車を進める。畑仕事のおばちゃんに石仏が在ると言われている 尾根を指さすと「ああ、あそこには石仏あるよ」といとも簡単に言う。
「なら、あそこって山の名前は あるんですか?」
「あそこは愛宕山って言うんや」
あっけなく山名もわかりました。なるほど!石仏のあるのは愛宕の参道途中なのか! あらば頂上には愛宕社もあるかもしれません。

すぐ近くに大避神社があるのでそこに駐車する。8時55分スタート。倉尾の集落内の道端には 近畿自然歩道と書かれた小さな看板が金網にくくりつけられていた。 垣内橋という小橋を渡って、さらに鉄板を敷いた耕作地へ向かう橋も渡る。 奥へ進んで畑仕事をしているおじさんに聞くと登り口はここではないらしい。 鉄板の橋を渡ってすぐぐらいで右にあぜを歩いて行くと確かに登り口があった。
鉄板橋を渡って右に折れる足元には水路。金網を越える

登り始めてすぐに水路が横切っている。それはいいのですが獣除けの金網が厳重に行く手を遮っています。 針金の結び目をほどいて金網を広げて身体をすり抜ける。もちろん再度針金で元通りにします。 そこからも明確な登り道がまっすぐ上に続いています。これが愛宕山への参道。
シダに覆われてところもある頂上手前にあった石仏

お年寄りにはちょっと辛い登りかも。登るにつれてシダが多くなってくる。それをかき分けて 行くといきなり幅広で平坦の道が現れる。正面には愛宕山の尖ったピークがすぐそこである。 周囲にはツツジが多く今の時期はモチツツジが綺麗だ。こんどは岩場の道となる。 なんだか苔縄城跡に登ったときとまったく同じような道の変化である。

岩場から後ろを振り返ると岩木の集落から千種川の流れ、生駒城趾までがよく見える。 どこに石仏があるのかと注意深く辺りを見ながらここまで来たがそれはすぐ先にあった。 板状の石を積み上げて祠にしている。中には舟形光背の地蔵菩薩立像が安置されている。 どこを見ても年号も文字も彫られてなかった。右手に持った薄肉彫りの錫杖がくっきりと 残っていることからさほど古いものではなさそうです。ところが左手に持物が変わっている。 普通は宝珠などだが、これは五輪塔かあるいは宝塔のように見える。もちろん初めて見る像様です。

四等三角点のある愛宕山には10時05分着。標高305.8m。それほど広い山頂ではないが 曲輪状に段差がある。当然というか、残念というか展望は皆無。さらに残念だったのは、 愛宕社見あたらないことです。 毎年7月の決まった日にお参りに来ると言うことだったのでてっきりお社はあるとばかり 思っていました。ひょっとしてまだ先にあるのかな??

いきなり道不明瞭となるのでこの先に愛宕社があるとは思えません。しかし、最初からの予定でしたから ずんずんと進んでいきます。手入れの入っていない痩せてひょろひょろの檜植林を抜けると、 こんどは松葉を敷き詰めた松林の尾根とめまぐるしく植生は変わります。 再度薄暗い植林になると目の前に掘切の鞍部が現れました。ところが左右にはそれらしい道もなく よく見ると手堀の坑口跡のような穴が数カ所あります。
掘切かと思ったが試掘跡のようだずーっとこんな道。いいでしょ?

この右下には旭日鉱山がありましたからそれに関連した試掘跡だったのかもしれません。 山中でめずらしい花を見つけるのもうれしいですが、なぜかこういった変なものも心ワクワクするんです。 ほんとの鞍部はこのちょっと先にあり、左下からソマ道が登ってきています。 それはそのまま私の進行方向に進んでいますが、倒木が多くてその道は利用できず。 仕方なく横手の小ヤブを突ききって登っていくと倒木も収まっていました。フッーっとため息一つ。

汗をぬぐってさらに尾根を登っていきます。さほど広い尾根でもないのになぜか道が二本。 それは交互に交わっては離れ、離れては交わって、やがて394ピーク手前の広くフラットな 高原様の林に入ります。地形図を見たときには道もなく迷いそうな所を想像していましたが、 予想に反して明確な道が一本、進行方向に続いています。394ピークを右に見るようにして それは続いていました。お腹がすいたので途中でおやつ休憩。周りは雑木があるばかりで ちょっと不気味な感じすらします。

予想していた分岐に到着。10時55分。足元にちょこっとだけ頭を出している石柱あり。 左右にしっかりした道あり。コンパスを見るまでもなくここは右を選ぶが左もどこまで 続いているのか気になるところ。マツタケを摂りに来る人がいるのかジュースの缶が あちこちに落ちているのが気に掛かる。これも予想していた次なる分岐に到着。

右に行けば目的の峠。左に行けば404.9mの三角点。時間もまだまだあるので三角点まで行ってみよう。 道はずーっと同じような感じで、周囲の雰囲気もまったく変化無し。倉尾のおばちゃんが「山の中は 迷いやすくて危ないよ。八塔寺(岡山県吉永町)まで行ってしまうよ」と言われたことを思い出す。 点名小屋尾には11時30分着。具合のよかった道はここで終点のようです。この先 道があったとしても目的地からどんどん離れることになるので、先ほどの分岐まで引き返す。
赤土の展望ザレ場で食事

分岐から峠目指して進んでいく。さて、どこで食事をしようかと思案していると絶好の場所がありました。 赤土のザレ斜面でしたが、松の木陰もあり、正面には船岩ピーク(養鶏所が目印)と黒石集落の民家の屋根までが はっきりと見える所です。ざるそばを食し、コーヒーを濾しながらオカリナを吹きまくる。 気分良く吹いていると足元のコーヒーがひっくり返っているのに気が付く。オーマイガー!! 仕方なく出がらしに再度お湯を注ぐ・・・。

蜘蛛の巣やら、尺取り虫、枝の張りだしもきつく、倒木もあったが、ひょっとして冬に来ると MTB乗れ乗れでは??と、いつもの幻想を抱いてしまう。さて、 展望地から少し行くとまたまた分岐。もちろん下っている右を選択。すぐに鞍部に着。12時30分。 鞍部からさらに北に向かって道が続いている。どこまであるのか?まったく謎です。 右を覗いてみるとちょっとガレた谷道。左に行ってみると・・・・・。
不思議な空間が広がる
恐ろしく広くゆるやかで、まるで平地のような谷だった。周りは木、また木・・・。 空が見えないほど雑木が枝を張り巡らせ、その新緑がすごい!!谷の源頭付近だが 足元には小川(深く地面をえぐった)が流れている。写真を撮るがこの不思議な雰囲気は 実際に来てもらわないとわからないでしょうねえ・・。

地形図を見てもらうとわかるが、この無名峠から右(東方向)に下ると皆坂(かいさか)という集落に出る。 逆にこの不思議な林を通過して左方向に下っていくと、終点はこれまた皆坂という同じ名前の 集落である。上郡の人達はこの偶然を知っているのでしょうか? 調べることは出来なかったがなにかしらの関連があるのは間違いないだろう。
ガレた谷道滝神社の参道奥にある行者小屋

峠から東の皆坂へ下ります。こちらはガレガレの谷道で楽しくもなんともありません。 倒木もあるし、石で足をくじかないようにしましょう。 ここも良い道だったらいよいよMTBを持ち込みたくなるんですけど。 竹林に入ります。足元には猪が食い散らかしたタケノコの残骸が散らばっています。 目の前に道が横切っていてそこには『近畿自然歩道』の標識が・・・。13時ジャスト。 右に行くか左に行くか・・・。身体のゴミを払って足元のスパッツも取り去りながら考える。 地形図を見ると近くに神社のマークがあるのでそれを見てみましょう。

ということで左を選択して歩いていると『皆坂の滝』という標識と石段があった。 普通の神社とばかり思っていましたがこれはめっけものです。石段を登っていくと 『滝神社』という額のかかった鳥居とさらに奥には行者小屋が見える。 足元の参道は先ほどのガレガレの谷道を変わらないぐらいひどい。
皆坂の滝

『落石のおそれがあります』と書かれた看板があるが、実際今にも崩れてきそうな岩壁が 参道に沿ってある。肝心の滝周辺にも落石してきたと思われる大岩があって、滝が良く見えません。 その滝は見える限り二段に落ちていて落差は20m、どちらかが雄滝でどちらかが雌滝です。 行者小屋はぼろぼろですが、ここを拠点に滝に打たれる修行が行われたそうです。

舗装路に出ました。駐車ポイントまで歩きます。ところがいきなりの通行止めポイントに遭遇。 崖崩れで舗装路が封鎖されています。車はもちろんだめですが人間は通れるみたい。ってことは、 さきほどの皆坂の人達は買い物などはどうしてるんでしょうか?? 土砂崩れを通過した所には数台の車が止められていて、ドアミラーに新聞受けがぶら下げられていた。 配達が無理なのでここまで新聞を取りに来てるかな??

ここには旭日鉱山といって金の摂れた鉱山があったらしい。映画館もあったというから相当の大きな施設が 残っているのではと期待しながら歩いていたが、道から見える範囲ではほとんど残っていないようだった。 道ばたに石柱がある。それには『國民精神總動員記念』『昭和十三年六月一日』『旭日鑛山』などと彫られている。 この周辺を分け入れば坑口跡などもあるかもしれません。
鉱山施設のホッパー?鉱山事務所?

維新の立役者大鳥圭介の生家があった。具体的にどういう偉人かは知りませんが 相当にえらい人だったらしい。(^_^;)
その前を通過して県指定文化財のコヤスノキ叢林がある大避神社には14時15分着。 鉱山跡の探検が出来なかったのが心残りだが、また来ることにしよう。

今回の倉尾愛宕山〜皆坂の滝の地図は こちら(約140k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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