法沢山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『須田』を参照していただくようお願いいたします。

2005. 9.18.  日曜日  晴れ  気温蒸し暑い
多忙のため、ほぼ1ヶ月ぶりの山行きとなりました。どこへ登りましょうか?二、三日前から 秋風も吹き始め、空気も澄んできました。ならば、展望のある山に登りたくなるのが人情。 ということでちょっと遠いですがまだ登ったことのない法沢山を選んでみました。 出石から一般的な登山道もあるみたいですが、地形図をにらんで他に登れそうなコースは ないかと探します。事前のこういう作業も楽しみの一つです。

法沢山は兵庫県と京都府の境界にあるピークです。今回はあえて京都府側から登ってみることにする。 久美浜町の布袋野を起点として、まずは駒返峠を探検してみる。そして、そこからから法沢山へ登る。 下山は県境尾根を東に進んで適当な所から布袋野へ下るという計画です。

豊岡市からイザミ峠(駒返峠の北にある舗装路の峠)を経て久美浜へ入る。布袋野の集落手前に 駒返峠への旧道入口があるのだが、それはすぐにわかった。都合の良いことに道路沿いに 適当なスペースもあるのでそこに駐車をする。9時10分スタート。

旧峠道はどんなんかな?と恐る恐る入り込んでみると路面は真っ平らな車の通れる林道でした。 去年の災害で傷んでいたのでしょうが、復旧の工事がされているようで、砂利を敷き詰めて ローラーで押し固めています。この谷もご多分に漏れず古い棚田跡が道に沿って 奥まで続いています。
拍子抜けするほどきれいな林道しかし、やがて路面はこうなる・・・

このままこの路面が峠まであれば楽勝だなあと思っていましたが、そうは問屋が卸しません。 大きな谷分岐から悪路になりました。まあ、歩くのですから別段困難はありませんけど・・・。 徐々に高度を上げてまもなく稜線も見えてこようという頃、地形図にない分岐が現れる。 それまでにも脇道はあったがこれは道幅も同じなのでちょっと迷うが右を選択。

右には谷がある。その源頭部を右に回り込みながら登れば峠のはずです。 この林道は大正の頃には府道久美濱出石線として登録されたぐらいですからここまで 快適で幅広い道だったことはうなずけます。ところが、ところが、突然道はなくなります。

そのときは考えつきませんでしたが、谷の源頭部が崩壊していて、巻き込んでいくはずの道が 無くなってしまったのでしょう。道はなくなっていますが、踏み跡は上に続いているように 見えたのでそれをたどります。ところが、ところが、それも無くなってしまい (古い炭焼き窯跡で終点でした)仕方なくヤブ斜面をよじ登る。

10時05分、着いたところは峠よりちょっと法沢山よりの稜線。 京都府と兵庫県の境界尾根である。笹が生い茂り鹿避けネットの 残骸が稜線に沿ってある。どこかで鹿が駆け下りていく音がする。 峠はすぐそこのはずなので反対方向に下ると2分ほどで峠だった。
石仏のある駒返峠(出石側から見る)

小さな切り通しの峠でした。布袋野側にはなにもなく、あきらめ気分で 出石側に行ってみると!!なんと石仏がありました。石の台座に 二体の舟形光背の地蔵菩薩石仏があります。一体は倒れていたので起こしてあげました。 見るとどちらも『奥小野村(出石の村)』の銘があります。向かって左のは『明治七戌(1874)十一月』 右のは『元治二乙丑(1864)年』、どちらも右手にミニの錫杖、左手には宝珠、表情もそっくりの 双子のようです。(余談ですが、元治二年というのは4月6日まで。翌日から改元され慶応元年となります)

駒返峠の名前の由来はなんでしょう?諸説あるみたいですが、布袋野側のどこかの谷で、昔鉱石が採れたそうです。 それをこの峠を越えて出石に運びます。峠の手前まではなんとか馬で行けるのですが、そこからは 急なため人が荷物を担ぎなおして馬は返したそうです。で、ここを駒返峠と名付けたとか・・・。 馬どころか現在では人も容易にたどり着けない峠になってしまいお地蔵様も寂しそうです。

10時20分、法沢山に向かってスタート。稜線にたどり着いた時点でわかっていたが、 熊笹の藪が行く手を阻んでいます。ひどい所は胸ぐらいまでの笹で、かき分けるのが うっとおしい。靴の中にゴミが入らないように、それとマムシに咬まれないための スパッツ、長袖のシャツを羽織るつもりだったが、どうにもめんどくさくて そのまま突き進む。
笹藪の稜線です頂上直下付近

頂上までこのヤブなら困りものだが、それも途中までであった。一箇所、法沢山の見えるポイントが あって、それ以降は笹藪も姿を消しそこそこ快適と言える踏み跡が現れる。 とは言ってもそうとうヘロヘロでペースは超スローです。思ったより暑く、水を充分持ってきていなかったので、 喉が渇いてもガブガブと呑むわけにはいかず苦しい思いをする。

やはり一ヶ月もブランクがあるといけません。それでも一歩一歩進んでいけばそのうち頂上に着くのは間違いない。 道の真ん中で、小さな蛇がカエルの飲み込んでいる。座り込んで見ていると蛇(色も鮮やかなヤマカガシ)は食事の邪魔とばかりに カエルをくわえたまま逃げていきます。まさに焼き肉定食の世界・・・・、 間違いました弱肉強食の世界です!!
法沢山山頂高竜寺ヶ岳方面
山頂には11時40分着。標高643.5m、三等三角点。中央に数本の木の杭が突き立っているだけで 木陰がない。ここは遮るものがないので暑い!!先ほどまでの稜線歩きは暑いと言っても 日差しにさらされることがなかった。とりあえず空腹を鎮めるために昼食にする。

う〜ん(>_<)、あまりの暑さで食欲がありません。涼しければホットコーヒーを飲もうと思って 用意をしていましたがとんでもありません。食事もそこそこに展望を楽しもうと立ち上がります。 しかし、これも良くありません。南は大きく育った木のために見えません。 北にある小天橋もカスミでだめ。西方向もまったくだめ。わずかに東の高竜寺ヶ岳が そのシルエットを見せています。

私以外に誰も登ってくる様子はありません。無線機で千が峰に登っている知り合いの局と お話をして、オカリナで数曲奏でて、やるべきことはやりました。 で、そろそろ下山をしましょう。その前にぐるっと山頂を回ってみます。 私の登ってきた駒返峠への稜線は山頂からはわかりにくい。メジャーな登山道として 知られている出石からの道は急傾斜だが広い。出但トンネルへ向かう南の尾根も なんとか歩けそう。

そして、今回下山に利用する東に向かう県境尾根へ12時45分突入する。 あら〜っ、すごく良い道です。しかも先ほどまでの熱暑がうそのように涼しい。 地面に白いプレートが転がっています。見ると『法択山頂へ あと100m・・・』と 書かれていました。その後も『これより小法択・・・』などと書かれたやつも ありました。
高竜寺への稜線は快適矢印で林道へ降り立つ

どうやらこの稜線は久美浜からの登山道のようです。よく踏まれていて快適です。それと 法沢山の山名についてちょっと違和感があったのです。仏教に関する命名なら『法択』か 『法託』ではなかろうかと想像していたのですが、このプレートを見ると まさに『法択山』となっています。書かれた人が勝手にその漢字を使ったのか、 あるいは久美浜側ではこの山名で通っているのか・・・。 いろいろと想像するのも面白いですねえ。

希望では円城寺峠まで行ってそこから下山したかったのですが、残りの水の量とか、久しぶりに 山行きが猛暑だったためのスタミナ切れでエスケープに設定していたルートで下山をします。 その箇所にやって来ました。目印は『一七』と彫られた石柱と近くの木にぶら下げられた ビニールの袋。ちなみにこれ以降の稜線を覗き込んでみるが踏み跡が薄くなっていた。 円城寺峠まで行くのはたいへんかな??13時05分。

ここから枝尾根を北に下ると林道と出会うはず。先ほどのビニール袋の目印も それを示唆しているのでしょう。踏み跡もしっかりしています。 その林道までわずか5分。登山口を示す目印でもあるかと周りを見るが それらしものはなかった。ここからは林道歩きである。
荒れた林道その1荒れた林道その2荒れた林道その3
降りたった林道はそれなりの路面だったが、下るに連れてその路面は七変化をする。 ようするに使われなくなって久しいためほとんど自然に帰りつつある途中です。 車はもちろんだがバイクでも通行は無理。

地形図にある三本の林道が交わる付近は特にひどい。 崩壊した林道と周囲の倒木でなにがなんだかわからない。 下りに使ったから迷わずに行けるが、登りに使用したらどこに道があるのか わかる人はいないだろう。つまり今回の周回ルートが正解だったということ。

だんだんと川の水量も増えてきました。汗でダクダクだったので ここで全裸になった水浴びをする。誰も来る奴はいないし、見られても まったく平気である。汗も引いてすっきりして下りを続けます。
布滝

おーっと!滝がありました。 見ると2段になっています。上段は6mぐらい、下段は2mぐらい。 ツルツルの岩盤を一条の布が垂れ下がっているようで名前の通りです。 全体がうまく撮せるポイントがなく滝に落ちそうになりながら またもや汗びっしょりです。 写真の矢印ポイントは岩盤がきれいにえぐれており、石仏が安置されていたのでは? と思わせます。

この滝からは車も通行できる路面になっています。 歩くのには楽ですが舗装路はとにかく暑い。 またまた汗まみれになりながら駐車ポイントまで戻ってきました。14時30分。 自宅から近い山域ならば無理してでも円城寺峠まで行きたかったが これぐらいの下山時間が帰宅にはちょうどいいぐらいだ。

それと出石にちょっと寄り道をしたかった。 それは、2003年の6月に出石の 大高山に 登ったときにお世話になったおばあさん宅に寄ってみたかったからです。 幸い去年の水害も無事だったらしく、2年前の事を言うと思い出してくれたみたいです。 その時のレポートをプリントアウトして持ってきていましたので進呈しました。 こんどはいつ逢えるでしょうねえ。

今回の法沢山の地図は こちら(約170k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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