禅師山〜大富豪山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『安志』を参照していただくようお願いいたします。

2004.12.12.  日曜日  晴れ後曇り  気温あったか
2週間前にMTB登山を担いで登った山崎町の点名『上牧谷』の山名がわからないまま途方に暮れていましたら、 同町のTAKUさんと言う方からメールで『戸倉山』だと教えてもらいました (そういやあ、下山した所で出会ったおじさんも『戸倉』だと言ってたね。これで納得や)。 そのメールの文中にあったのがこの大富豪(オオフゴ)山です。名前だけは聞いたことありましたが 地形図で確認するとなんか面白そうな山域です。

よっしゃ!明日の山はここに決定やと、いきなり決めてしまう。これが単独の気楽なところ。 山の会なんかに入ってしまうとこうはいきません。好きな所にも行けずに好きなように歩けずに 私みたいな人間はきっと息が詰まります。ということで、清貧ハイカーのやまあそは身分違いにも大富豪を目指します。 大富豪だけでは簡単すぎるので南となりにあって山頂に寺跡のあるという禅師山にも寄りましょう。 ルートは?もちろん変化に富んだ?やまあそルートです。

登り口に設定した安富町の塩野にやってきました。集落に入ってすぐに目に付くのが『塩野六角古墳』です。 山腹に公園のように整備されています。禅師山から大富豪山を経て、この公園まで馬蹄形に周回できたら おもしろそうです。川沿いにある道を行くと分岐になっていて『安富町 一般廃棄物処理場』という看板があります。 右を行くと禅師山への正規ルートである川戸峠ですが、ここは矢印に従って処分場方向へ向かいます。

犬を散歩させているおじさんに出会って禅師山と大富豪山の話をしてみる。 『健康遊歩道』と称して川戸峠から禅師山の廃寺跡まで道が整備されているので、それを利用するように 勧められましたが、やまあそとしては面白くありません。車を奥の道脇に駐車して、 巡視路があると思われる谷の林道へ入り込みました。8時55分。
砂防ダムを過ぎるとこうなってますうまく巡視路に乗れました

この林道の先には『宮の下堰堤』という大きな砂防ダムがあります。その手前に巡視路の『火の用心』プレートがありました (ここまでは小規模倒木)。 やはり巡視路の入口はこの奥のようです。ところがダムを越えてしばらくすると 大規模な倒木帯になっています。それを乗り越え、くぐり抜けますが『火の用心』プレートは見あたりません。 たぶん倒木でぺしゃんこになっているのでしょう。上を見上げると鉄塔と送電線が真上に位置しています。 これ以上は進めそうにありませんし、この辺りから登り始めると鉄塔まではさほどのことはないでしょう!9時20分。

最初は道のように見えなかったのに、いきなり明確なソマ道の様になる。あの倒木帯から離れられるだけでの うれしかったのにプラ階段も現れました。なんや、ちゃっかり巡視路に乗ってしまってますよ。 人生もこうありたいものです。 12月とは思えない暖かさで汗びっしょりになる。『播磨線57』の鉄塔で小憩を兼ねて汗をぬぐう。 ここははさほど展望もなくがっかり。

快適な巡視路で町界の尾根に出た。9時55分。南方向を見ると尾根には道らしきものもある。 目的方向は北なので歩き始めると、巡視路は正面のピークを避けるように右巻きにある。 それを行けば禅師山養法寺廃寺跡だが、パスしてピークに登ってみると・・・。
最高地点にある反射板三角点から見る

そこは今回のルートで一番高い標高で450+mほどあり、関西電力の反射板が設置されていた。 ここもさほど展望は良くない。とりあえず地形図に従って三角点のある方向へ歩いてみる。 尾根は平らで歩きよい。すぐ北隣の尾根に廃寺があったのでここもなにかがあったのかも しれません。尾根の先端に点名『宇原』の四等三角点がある。標高434.3m。

三角点以外にも旧電電公社の『宇原無給電中継所』の反射板跡地もある。さらに大柿さんの プレートもある・・・・ん?!なんでこんなところに大柿さんのプレートが?? 見てみると11月27日とある。あれまあ、2週前に先を越されてしまったようです。

ここから廃寺跡へは反射板のある最高点ピークへは戻らずに谷の源頭を回り込んで行くことにする。 出てきたところは真っ平らな杉植林の平地だった。ここが話に聞く寺跡のようです。 一段下にはさらに大きな敷地跡がある。これはすごい!!
養法寺廃寺跡。黄色の矢印からやってきました。
上段にもこの下段にも礎石と思えるような平らな石もある。ここには『鐘掛けの松』いう松が あったらしい。名前の通り梵鐘を枝にぶら下げていたのでしょうか?重量のある梵鐘をぶら下げられる ぐらいですからさぞかしの大木だったのでしょう。残念ながら古い標識には『昭和14年枯れる』と 書かれており、その株跡だけが残っています。

株跡には植林された杉が幹を伸ばしていました。せっかくの松の株跡があるのですから、 ここにも松を植えて『鐘掛けの松 二世』とでも命名すれば良いと思うのですが・・・・。 ふと見ると二基の一石五輪塔が株跡に置いてあります。 こういう寺跡には案外なにも残っていなくて平らな地面だけってことがほとんどなのですが、 こうしてミニの五輪塔があったりすると妙にうれしくなったりします。
鐘掛け松の株跡と一石五輪塔
(黄色の矢印)
快適尾根で〜す
(鉄塔56をすぎた頃)

こういう規模の大きいお寺には水場が必要不可欠ですが、先ほどの点名『宇原』とこの尾根に挟まれた谷が あやしいです。しかし、水が湧いていたにしてもそれほどの水量はないでしょう。塩野の集落では、昔お寺のお坊さんが お風呂に入れたもらうために里まで下りてきていたというお話も残っているそうです。 (お寺まで戻ったらまた汗びっしょりになっていると思うのですが・・・・)

寺跡には先ほどの『鐘掛けの松』の案内ポール以外にも立派な石碑もある。それには『禅師山廃寺跡(養法寺)・・・』 などと彫られているがいずれも山崎町の宇原集落のものです。塩野の建てたものはありませんが、 川戸峠からのルートは塩野が整備して案内板も塩野集落のものです。 この敷地は両集落の境界になっているのでお互いが自分の所の遺跡だと思っていたりして・・・。 塩野の里には『塩野廃寺跡』と彫られた石碑があって、宇原のものとは名前を違えているのも なんかこだわりがありそう・・・。 (廃寺跡の石碑には標高が434mとありますが、それは点名『宇原』の標高です。ここは 地形図で読みとる限り420+mほどです)

この山は揖保川と林田川の両方の街道が見える所に位置し、戦国時代なら軍事的にも重要な山だったようです。 中国自動車道の近くに三森というピークがあるのですが、そこからだとダイレクトに山崎の長水山へ のろしの合図などが送れません。そこで三森から禅師山、そして長水山へとリレーでのろしを上げたそうです。 そういった軍事的な要所であったためか、天正八年に秀吉によって攻め滅ぼされます。 きっと多くの人が亡くなったのでしょう。先ほどから人の歩いている足音が聞こえるのに姿は見えません。 山の寺跡ではちょくちょくこういうことがありますね。 10時35分ここを離れます。

『播磨線56』は大きな赤白鉄塔なのが下界からも確認出来ていたので展望を期待していたのだが ここもだめでした。(この後に出会う鉄塔もすべてバツでした・・・・)
ここから送電線の系統が変わりますが、とりあえず峠までは巡視路なのでお気楽モードで行けるでしょう。 『山崎線5』を過ぎてしばらくすると町界の尾根を離れて山腹を下っていきます。 『山崎線6』を通過して峠まであと5〜60mほどの所まで来ました。
大倒木を乗り越えて川戸峠へたどり着きました
ところがここがとんでもない倒木帯でした。幾重にも重なって倒れ込んでいるので下を くぐり抜けることはできません。かといって倒木杉の幹はとても滑りやすくて乗り越えていくのは 少々危険です。峠を見ると石仏のある祠も目視できます。ほんとすぐ向こうなのになあ・・・。 どうやって行こうかと思案していると峠のむこうから鈴の音が聞こえてきました。

「へえ〜、ハイカーかなあ??」私も熊除けの鈴をリュックに付けているので疑うことなく そう思ってしまう。「峠からこの倒木を見たらあきらめるんやろか?よし、どうするか 見届けてやれ」倒木杉の上で待ちかまえていると、峠にやってきたのはなんと二頭の猟犬でした。 鈴は熊除けでなくて、猟犬が迷子にならないように付けられたものです。

見届けるどころか、こっちにやってこられると困ります。しかし、犬も倒木が嫌なのか峠を 川戸方向に下っていきます。やれやれ今のうちに倒木を乗り越えて峠に行きましょう。 11時15分峠着。塩野側に小ぎれいな祠があり、中には地蔵菩薩の石仏がある。 それには明治七年と彫られています。実はこの祠の上には石垣のある平坦地があります。 ひょっとしたら昔はここに祀られていたのかもしれません。 そして道はと言えば塩野側に道は明確、対して川戸側は荒れていました。

さて、猟犬が戻ってこないうちにここから大富豪(オオフゴ)山を目指しましょう。 ここも巡視路の続きですから路面的には問題はありません。心配だった倒木もそれほどではないみたいです。 『山崎線7』の鉄塔近くにはヌタ場もあるので、臭いをかぎつけて猟犬がやってくるかもしれません。 早足で通過します。尾根がゆるやかになり、大富豪への急登りの手前から左に巡視路は巻き始めます。
『山崎線8』へ向かう巻き道『山崎線8』から北を見る
真下は中国道
ダイレクトで頂上へ行くよりも寄り道で鉄塔へ寄ってみましょう。 巻き道の入口部分は倒木でわかりにくいですが、ちょっと上から入り込めます。 するとそこからは気持ちの良い雑木の巻き道が続いていて寄り道は正解のようですよ。 峠付近から猟犬の吠える声がここまで聞こえてきます。う〜、くわばら、くわばら。

『山崎線8』も展望は芳しくありません。11時50分着。どうせ頂上もヤブでしょうから ここでお昼にしてしまいます。今日のメニューは題して『一人焼き餅パーティー』です。 コンロに上にアミを置いてさっそくお餅を焼き始めます。火は小さめにしないと すぐに焦げてしまいそう。あんこときなこ、それに砂糖醤油で頂きます。 カップには熱い緑茶です。きなこはおいしいけど粉っぽくて山には合いません。 糖分補給にはあんこはぴったり。でもなんと言っても砂糖醤油がおいしいなあ。 焼けたやつを砂糖醤油に浸してもいちど焼きます。すると醤油の焼けたところが さらに香ばしくなっておいしいのです。一気に5つも食べてしまいました。

このあいだ手作りした新しいオカリナも吹いてご機嫌。12時35分にここを離れます。 ちなみに巡視路の続きは北方向の中国自動車道へ向かって一直線に降りています。 そこには山崎町の材木置き場が見えていますから、そこから登れば一番手っ取り早いでしょう。 尾根を登り返して大富豪山へは10分強で到着です。
今日は餅三昧で〜す牛に引かれて禅師参り

頂上はとんでもない倒木の嵐が吹き荒れていました。そのために頭上は明るくはなっていますが、 肝心の三角点が見あたりません。地面を這いずって四等三角点(422.6m)を発見。 かろうじて倒木の下敷きを免れていました。周囲を見渡して もし植林されていなければここはフラットで広い敷地です。 ひょっとして大富豪の豪邸があったのかもしれませんぞ!!な〜んて。 この倒木を目の当たりにして、これより先には行く気にはなれません。 (大柿さんは禅師からここへ来て、さらに奥まで行ってます) かといって川戸峠方向も倒木なので、先ほどの山腹を行く巡視路で峠まで戻りました。 13時20分。

ありがたいことに猟犬の気配はまったくありません。そのまま快適な峠道を下っていくと峠から わずか3分ほどで林道の終点に着きます。そこには塩野自治会が平成15年10月に建てた 『健康遊歩道 お地蔵さん迄約200m 廃寺迄(鐘かけ松)約1000m』という 立派な看板がある。ぜひあの峠付近の倒木は排除していただきたいですね。

林道から農道へ、畑仕事のおじさんたちに挨拶を交わしながら駐車ポイントには13時40分。 ちょうど雨が降り始めてきて、早い下山は正解のようでした。

今回の禅師山〜大富豪山の地図は こちら(約140k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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