ナースバシ

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『谷川』、『篠山』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 2. 1.  日曜日  晴れ  気温ふつう
山の本とか、登山口にある看板などでどんな山があるかなあと山名を見たとき、とんでもない山名に出会うことがある。 たとえば生野のフトウガ峰、フエバノ峰、ヒシロガ峰・・・・。どんな漢字が当てはまるのか、どんな意味があるのか まったく判りません。同様に篠山市の西端、山南町との境界近くにこの『ナースバシ』があります。 こいつの意味不明度も横綱級ですが、なにせ『ナースバシ』です。看護婦の大好きな私としては放っておけません。 きっと頂上には看護婦さんがいるのでしょう!!さあ、レッツゴー!!

地形図を見ながらぐるっと周回できるコースを考えるが。登り口は川代公園が良さそうだ。ここは断崖絶壁の 渓谷だが、一カ所だけ登り口に使える所がある。ところがここは進入禁止の場所で、入り込んだとたんに とんでもない事件を起こしかけてあえなくギブアップ(詳細は語れません・・・)。 仕方なく別の登り口を探すべく山南町の阿草に車を進める。

すると『山中岩大師』と書かれた木柱と、その上部には大岩らしいものが目に飛び込んでくる。 「M氏!あれ、おもしろそうやで」と車を止めてもらう。そこから山へ向かって道があるかどうかは別にして、 とりあえずリュックを担いでそそくさと向かっていく。10時20分。
山中岩大師岩大師から道があった

入り口には真新しい東屋があり額が掲げられている。それはこの岩大師をたたえる御詠歌(すごい長文です)が 達筆で書かれていた。読んでいると日が暮れそうなのでとりあえずデジカメで撮しておく。横手には簡単な 案内が書かれていた。『旧京街道端であり、旅人が足の無事を祈願したといわれる。特に足の病に霊験があり、 神経痛、癌完治や受験御礼等に各地から参拝する人があとをたたない。高さ7mの岩に大師の像が浮かんでみられる。 像の足許から湧き出る清水に霊験がある』

石の階段を登ると小さな祠が二つ、その上にはトタン屋根のちょっと大きめの祠。中には舟形光背の弘法大師の 石仏があった。肝心の岩大師とはその背後にある大岩らしいが、どう見ても大師が浮かんで見えることはありません。 下部の岩の裂け目にはけっこう汚い水が溜まっていて、これが霊験のある清水らしい。 M氏!頭に振りかけるか、飲んでみたらぁ??ボケ封じにいいかもよ。

ラッキーなことに祠の左手奥から踏み跡があるようだ。傾斜は急だが踏み跡は途切れることなく 上へ上へと続いているし、上へ行くほど道は明確に、そして傾斜も緩やかになってきた。 これなら難なく稜線へたどり着けそうだ。なんでこんな道があるのかと思ったが、どうやら この山全体が松茸山のようです。

黄色のネットが行く手に現れる。鹿避けネットかと思ったが、糸の芯部分に鉄線が撚られてなく ふにゃふにゃの安物のネットだった。単になわばりの境界に使用しているように思われます。 ネットをくぐってしばらくで稜線と合流する。Ca.410m、目印に空き缶が木の枝にぶら下げられていた。 10時50分。

ここから南に向かえばナースバシだが、まずは北にあるCa.430mピークに寄ってみる。地形図には 岩マークがあるからひょっとして展望があるかもしれません。しかし、ここから見る限りはピーク全体が 松に覆われていてその岩の存在すらわかりませんが・・・・。(^_^;)
Ca.430mピークから見た周辺の山々

そこには岩らしい岩はありませんでしたが、ラッキーにも一カ所だけ西方向に開けた所がありました。 山南の高山、猿藪(今年の干支の山として大人気!!)から天狗山、その奥には黒田庄の妙見山も 見えています。肉眼では笠形山、千が峰、笹ヶ峰もばっちり!!

このピークから北方向へは急にヤブっぽくなっていた。当初はそれを登ってくる予定だったので 岩大師から登ったのは幸いだったようです。ここを後にしていよいよナースバシに行ってみましょう。 こんどは南向けに白髪岳と松尾山がチラッと見えました。

稜線上も松茸山の縄張りを示すPPロープが張り巡らされており、しっかりした道も存在している。 ナースバシに近づくにつれて道もどんどん良くなっていくのでペースも快調。ナースバシは山南町と篠山市の 境界尾根のピークからちょっと東に寄ったところにある。道はそのピークの西山腹を巻いており、行き過ぎて しまったので引き返すかたちでピークに立つ。
稜線も道はバッチリナースバシ山頂

そこからちょっと登るとナースバシの頂上である。標高438.6m、三等三角点、11時55分。 狭いピークでここも周囲は松林、したがって展望は皆無。残念ながら看護婦どころか白衣もなかった。 「ナースはどこやっ〜??!!」 無かったと言えばいつもはうるさいぐらいにぶら下がっている山名プレートも皆無でした。 ちょうどお昼なので昼食をここで摂る。

コーヒーも飲んで、無線もちょこっとやって、周囲を観察すると ちょっと下にVHFのアンテナが見えた。木柱に縛り付けられている 針金は新しく、このアンテナはまだ現役で使用されているようだった。 背丈より低い高さでしかもこんな松林のど真ん中で受信するのでしょうか??謎です。

さて、ここからどうしましょう。時間はたっぷりありますから、ここから南にある峠に下山するのは もったいない。このまま尾根を東に進んで味間の大国寺へ降りるのが良いのではないでしょうか。 12時35分。
MTBが欲しい〜

進み始めてびっくり!!MTBに乗れるような道が連続する。途中ちょこっとヤブっぽい ところもあったが、いつもさまよっている様なヤブ山に比べたら極楽のような道です。 鎌と鉈で軽く整備をすると全乗りコースに変身するでしょう。 北方向を眺めると樹間から馬頭、金山、黒頭峰、夏栗山等が見えます。 夏栗頂上の展望台も見えそうだった。

406pは南に迂回する巻き道でパス。そこからボブスレーのような溝状の道で気持ちよく下って着いた 鞍部には明確な下山路があった。
406Pの東にある五差路の鞍部

それは変則の五差路の交差点だった。それまでにも下れそうなポイントはあったが ここが一番判りやすい下山路だろう。ナースバシからの道、味間へ下る道、北の林道へ下ると 思われる道、これから進む稜線の道、北山腹に平行にある巻き道?の五本が交差していた。 大国寺まで行くつもりなので正面の稜線道を選択する。

次の目標は点名『大ヶ谷』だが、登り返したピーク手前でちょっと立ち止まる必要がある。 そのまま踏み跡通りに進んでしまうと大間違いだよ〜ん。地図読みセンスのある人なら 簡単に見つけるでしょう。我々は長年培った野生の勘ですんなりとクリアー。 点名『大ヶ谷』には13時25分着。ここの四等三角点はいつものてっぺんに十字の 彫られた石標ではなく、金属標です。しかもピークでもなんでもない尾根も途中にちょこんと ありました。

この辺りは道がちと悪い。歩くには問題ないがMTBでは面白くない路面が続く。やがて害獣除けの 金属柵が行く手に見えたらそれに沿って右に下っていけばちょうど大国寺のはず。 『開放厳禁73』の扉を開けて少し行くと大国寺の境内に降り立ちました。13時45分。
大国寺道路からナースバシを見る

あとは県道をてくてく歩いて帰ります。この付近は畑は勿論ですが茶畑も多くあります。 ナースバシは谷の奥にあるのでなかなか県道から見えません。ようやくその姿を今度は下界から 眺めてみますと優しく柔らかみのある姿でした。やはりナースですねえ。 ちょうどその先でおじさんが二人立ち話をしています。良いチャンスなので話しかけてみました。

「さっきその奥にあるナースバシって山に登ったのですけど・・・」と、恐る恐るこの山名を切り出してみる。 すると「あぁ、ながすらしね」と、おじさん達。「ええっ??」最初聞き取れなかったので聞き直しましたが 確かに『ながすらし』と言っています。昔あの山から木材を切り出したらしく、そこを『ながすらし』あるいは 『ながすだし』と言ったそうです。

林業の用語で『すら』とは修羅のことで、木材を伐採現場から搬出する装置(細い木を組み合わせた滑り台の ようなもの)の事です。『すだし』とはすらによる 出材のことでしょう。これでなにもかもがはっきりしました。でも個人的にはナースの方がええなあ・・・ (まだ言ってる)

「山の本にはナースバシって名前になってるんですよ」というとおじさん達も苦笑い。「最近は役所の連中も 勝手に字を書き換えてしまうから昔からの呼び名が変わってしまってるんや。しかも公文書で残ってしまうから 始末が悪い!!」と思い出した様に憤慨してました。そういう勝手をするバカ公務員が多いんだよね、最近は。 おじさん達にお礼を言って別れる。

そういえば丹波には『長都羅志山(ながずらしやま)』、『コケズラシ』という 山がある。まさにナースバシと同じ由来だと想像できる。あーだ、こーだとおしゃべりしながら着いたのは 篠山市と山南町の境界の小峠(ちなみにこの奥の黒石ダム手前の峠は大峠と言います)。14時20分。 もしMTBでナースバシを行くなら、この小峠から登るのが最適でしょう。 峠で散歩中のおばさん二人とちょっとお話しして岩大師には14時50分でした。

これぐれも松茸シーズンには入山しないようにしましょう

今回のナースバシの地図は こちら(約170k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


ホームにもどる