神池行者山 行者堂

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『市島』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 6. 6.  日曜日  晴れ  気温あったか
5月29日に登った市島町神池の神池行者山は、 登り始める1歩目は正解だったのですが、2歩目から間違うという失態を演じました。 石の灯籠のある林道が参道兼登山道だと思いこんでいたからです。当然の事ながら 山頂へは藪の急斜面を登るはめになるし、山中にあるという (最初、山頂にあると思っていた)行者堂も見つけることが出来ませんでした。

山頂にあった岩混じりの饅頭のような土盛りは慶佐次盛一氏の著書によるとお堂跡ではないかという 見解でしたが、私が実際見たところではどうみてもただの土盛りとしか思えません。 神池の集落で出会ったおばあさんは確かにお堂があると言ってました。そうなると是が非でも探し出してみたくなります。 たぬきさんが後日調査したところでは参道は灯籠の近くにあるらしい。

この日神池に着いたのは15時45分。お昼からドライブがてらにここへ来たのでこんな時間になってしまいました。 灯籠の付近を見てみたがそれらしい踏み跡はありません。林道を1mほど入って左手を見ると 細い踏み跡が斜面を登っている。一見仕事道のようだが、ひょっとしてこれか??

どうやら間違いなさそうです。少しUの字にえぐれた道が登っています。すぐ左に大岩が現れ、 行者堂への道しるべのようです。登りきると大きな炭焼き窯跡があり、そこからは水平に左手方向へ 進んでいきます。この時点で周囲は薄暗く夕方の雰囲気。
水平道を行く目の前に大岩と石仏が

水平道もまもなく終わりそこからは激登りの連続となります。湿度も高くここから一気に汗が噴き出してきます。 これはちょっときつい。お年寄りの足ではお詣りは無理でしょう。前方がちょっと平らに見えてきたので やれやれ祠があるかと思いきやまだまだ道は続いています。
これは迫力あります

こうなったら祠が見つかるまで登ったるで〜。気合いを入れて次の登りに掛かりはじめる。 すると灌木の向こうに大岩が屹立しているのが見えた。「あれやっ〜!!」 大岩は高さ6〜7mぐらいだろうか。縦長なのでまさに屹立状態である。 近づくと石灯籠の残骸と舟形光背の不動明王石仏があった。 デジカメを手持ちで写すが真っ暗な為、息を止め心臓も一瞬止めてブレないように写しました。

祠は聞いていたが石仏があるとは聞いていなかったのでこれはうれしかった。 光背部分には『宝暦八寅(1758)十一月日   三ケ村連中』とある。 宝暦八年はもちろん江戸時代で九代将軍家重の時代です。 三か村とあるのはどこを指すのでしょうか?まず神池はまちがいありませんが 他の二つが特定できていません。

この石仏発見で安堵していましたが肝心の祠が周囲にはありません。見るとまだ奥へ 道は続いています。ど、どこまで行くんじゃあ!!と観念して登りましたが 、これはあっさりと終点になりました。別にピークでもない変なところに祠はありました。 16時15分。
祠も発見中には役行者木像

先ほどの大岩と同じような灯籠がある。祠は小さく中には木像の役行者と前鬼がおりました。 (後鬼はどこかに転がっているのかも)ここは前回プチ展望があった岩場のすぐ近くのはずです。 ということはあの岩場周辺も行場だったのかもしれません。

古くから村人に語り継がれながら訪れる人もなく、山のガイド本にも載っていないこういう所を発見するのが 楽しくうれしいですね。兵庫の低山にはまだまだこういうい所がたくさんあるはずです。
地図

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


ホームにもどる