遠阪峠〜小風呂〜千原峠

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 3.28.  日曜日  晴れ  気温あたたか
遠阪峠は氷上郡青垣町と朝来郡山東町を結ぶ峠、そして中央分水嶺の峠でもあります。 ここを起点にして南に向かえば粟鹿峰、北から東に折れれば小風呂のピークを経て 兵庫・京都の県境を歩くことになります。どちらにしても単独では周回のやりにくい ところですが、たぬきさんがご一緒していただけるので車二台で楽ちん周回を計画をたてました。

地形図を見ると小風呂からの分水嶺は下り基調です。これなら距離も稼げるだろうと、 下山予定地を烏帽子山南にある梨木峠入り口に置く。再び遠阪峠へ戻るが、ここは車が止めにくい 所で山東町側へちょっと下ったところにある道沿いのスペースに割り込ませる。10時。

峠には宿泊施設があるが、グランドゴルフとか屋内のゲートボール場施設があるため、一種老人達の 憩いの場となっている。ふつうのホテルならとっくに廃業になるような場所なのに 今日まで生き残っているのはそういう特化した営業が功を奏しているからではないでしょうか?
石碑の横から登る植生界の急登り

ほんとの峠からはコンクリートののり面になっている。そこから登るとダイレクトに 分水嶺の尾根だが、我々は 手前の石碑から取り付くことにする。山腹にあるソマ道が登りながら稜線に近づいていくので それで中央分水嶺にまんまと乗っかる。

植生界の急登りが連続する。途中にずいぶんと古いTVの受信施設の跡があったが、たぶん先ほどの 宿泊施設のものだったのではと想像する。10時35分、兵庫と京都の県境三叉路に到着する。 ここまで一カ所だけイバラヤブがあったが横手を迂回したので案外楽勝でした。 ここから西に向かえば最終ピークは小倉にある尻山(別名小倉富士)で〜す。
頂上に近づくと展望も良くなってくる

分岐ピークには展望はありませんでした。しかし小風呂に近づくにつれて展望が開けてくる。 しかも県境の尾根はいたって歩きよい。同じ稜線を尻山に向かって登ったときは 鹿避けネットなどが邪魔になりうっとおしかったのですが、こちら方面は嘘のように快適です。
さらに氷ノ山方向も見えてきました

写真ではうまく撮せませんでしたが夜久野方面にあるおなじみのピークたちも楽しめました。 そして小風呂には11時ジャスト着。三等三角点、標高597.7m。小風呂という山名はなにかの本に 載っていたと記憶している。点名は夫婦岩という。ということはこの山頂付近のどこかに夫婦岩と 呼ばれる岩があるのだろか?地形図を見る限りは岩のマークすらなかった。 (この三角点ピークとこの先にあるCa.580mのピークとで夫婦岩を表しているという説もあるが・・・)

さらにこの小風呂は湯舟山とも言う。風呂と湯舟とはこれまたなにかしら関連がありそうだ。 さらに、さらにこの山頂に転がっていた発泡スチレンの白い板には比治山ともあったが こいつはどうも怪しい。

最初の分岐ピークにもあったのだが、『ホワイト・バード 兵庫分水界縦走隊 篠山三国岳から江良峠』という プレートが桧の苗木にくくりつけられていた。兵庫の分水界縦走とは同じようなことを考えている人が いるということだ。しかし、苗木に針金で厳重にくくりつけているのはどうもいただけない。 たぬきさんとそれをほどいて、捨ててしまおうかと思ったが、思い直して近くにあった丸木の杭に付け直す。 それにしても江浪の浪の漢字が間違ってるよホワイトさん。もっと勉強したら??
小風呂から小峠へ向かう小峠直前の激下り

さて、分水嶺の二つ目の峠である小峠へ向けて下っていきます。ゆるやかな下りの先端にある 分岐は右を選ぶが、そこからは激下りとなる。387の小ピークへ登り返しはあるものの すぐにまた激下る。右下からは県道を走る車の音がすぐ近くで聞こえはじめる。

左手は採石場跡の断崖で、右手は植林の急斜面となっている。尾根は片足乗せるのが精一杯という 刃渡り状態。こんな所で落石したり物を落としたりするとたいへんだぁ・・・と、そのとたんに 愛用の杖を落としてしまう。あっという間に猛スピードで植林斜面を落下してしまい 小峠に着いてから落下地点を探したが見つかりませんでした・・・・(T_T)

たぬきさんも後ろで悲鳴をあげている。一大事とそばへ駆け寄るとなんと鹿の足が地面に 転がっていた。ほとんど骨になっていたが、つま先の蹄と肉球?部分は残っていて握手ができそう。 「やめて〜、気持ち悪いやん」と、たぬきさん。
小峠から稜線を辿ることは不可能?
よって赤コースは やめてブルーコースで登る
上空から小峠付近を見るとこんな感じ

小峠には12時ジャスト着。すぐ横を遠阪峠への舗装路があり、その舗装路から見ると小峠は 採石場への入り口にしか見えません。しかし石仏を祀った祠もあって古い峠だったことが証明されています。 石仏は地蔵菩薩で光背には『大正四年 末 衣川太郎右ヱ門』『左 すゑさんやくの たんご道』とあった。 たしかに夜久野の末から但東町へ抜けるとしたら、この小峠は最高に便利なルートです。

ここから再度分水嶺の尾根に取り付かなくてはいけませんが、目の前には採石された後に残された 断崖がそそり立っています。無理すれば行けないことはありませんが、怪我してもなんの 得もありませんから、左から回り込んで写真のブルーコースで分水嶺に復帰します。
ブルーコースへ登りかけて振り返るとこんな景色が

すごい急斜面をよじ登ることになる。汗はドバドバ出て、足はパンパンになる。 しかもお昼は過ぎているので空腹感で身体はフラフラ・・・・。 稜線に復帰したのは良いけれどこれでは先には進めません。 「はやくご飯にしましょうや」ということで、なんの展望もありませんが 437ピークの先の稜線上に座り込んで弁当をパクつきました。
稜線は良い道が続く溝状の道を下ると千原峠

13時20分再スタート。ゆるやかに登っていき、ゆったりとした433のピーク 朱銀の奥山に着く。朱銀とは昔のお金の単位です。ここもなにかのいわれがあるのでしょうかね。

ここにもホワイトバードのマーキングがあったが今までのとちょっと違っていますよ。 というのはこれまでのは日付が今年の1月10日でしたが、ここのは1月3日となっています。 つまり歩いた方向は判りませんが、たぶん小峠で二分割して歩いたのでしょう。 雪と凍結の時期ですから良い判断かもしれません。さて、千原峠へ下りましょう。

小峠の時と同じようにここからも急な下りとなる。左右にある分岐は右を選択する。 途中には小さく伐採された箇所があり、古いTV受信の施設跡もあり(遠阪峠の上部で見た 施設と同じメーカーのブースターが使われていた)右手方向にほどよい展望が得られる。 下山予定にしていた烏帽子山はまだ遙か向こうである。
夜久野町側から見た千原峠の隧道となり写真の*印から峠を見下ろすと・・・

どんどんと下っていき峠が近づいて来た頃、明確な仕事道も現れてきた。そしてざっくりとえぐり取られたような 掘切りの千原峠を見下ろせる地点に到着した。13時50分。 2001年に初めて千原峠に 訪れたときも驚いたが何度来てもその思いは変わらないでしょう。 なにせ普通の峠と違うのは、その鞍部のど真ん中には岩盤の部分があり、そこを手堀の隧道が貫通しているのです。

当時、夜久野町側は倒木のある荒れた山道だったのに、今は作業用の林道がここまで延びていました。 この感じでは麓の上千原から車も登ってこれるのではないでしょうか。
隧道を抜けて青垣町へ下る

隧道の前にうずたかく積もっていた土砂も今は取り去られていて穴の大きさがずいぶんと 大きく感じられる。ちょっとかがみながら青垣町側へ通過する。こちらの林道は以前から状態の良い 道なので安心して下っていけます。麓の集落へは14時15分。

到底というか、やっぱりというか、烏帽子山を経て梨木峠までは行くことが出来ませんでした。 夕方まで時間をかければ行けたかも知れませんが、今日は夕方からたぬきさんご夫婦と オカリナのコンサートに出かけます。また次回のお楽しみと言うことで、 父たぬきさんに迎えに来てもらってそれぞれの車を回収しました。

今回の遠阪峠〜小風呂〜千原峠の地図は こちら(約130k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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