古高松(金城山)

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『西脇』、『比延』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 9.26.  日曜日  曇り後晴れ  気温暑い
天気予報が芳しくないのと帰宅時間が決められているので、手軽に登れる近場の山を探してみました。実はこの山 98年4月に 初めて登っていますが、その時は山頂にあるという『お宝』を見逃しています。6年ぶりに登る 今回は、これを見るのが第一の目的です。さてお宝とはどんなものでしょうか??!!

西脇市高松町にある長明寺の境内にある駐車場に車を止める。が、その手前には以前は無かったイラスト地図が あります。さっそく見てみると『頼政公ゆかりの里』とあり、周囲の見どころが詳細に描かれています。 さらにそのイラスト地図では金城山の位置には古高松と書かれてある。地元では金城山より古高松の 呼び名の方がメジャーなのだろうか?

8時25分スタート。まずは長明寺にお詣りして源頼政のブロンズ像を拝見する。 きりきりと弓を今まさに射ようとしているその先にはご存じ『ぬえ』が口を開けて威嚇している。 このぬえ、平安時代に京に出没した怪物ですが、エジプトのスフィンクスと同じく、いろんな動物の合体したものです。

猿の顔、狸の胴体、虎の足、蛇のしっぽという姿・・・。ふとした思いつきで、 この四体の動物をそれぞれの方位で考えてみると、申、狸(この場合亥とする)、寅、巳は それぞれちょうど90度ずつずれていることに気が付きました。ひょっとしたら陰陽五行説的に意味があるのかも しれません。
ぬえとやまあそを弓で射る頼政公遊歩道は箙谷(えびらだに)の奥へ続く

この横手から遊歩道が奥へと続きます。頼政池の手前左手には『テレビ塔山頂 ハイキングコース登山口』 の標識がある。このアンテナ山はなにかの資料で宮前山と聞いたことがありますが、WEBでは 違う名前になっていました。さて、遊歩道は所々八十八箇所の巡礼路と交差するところもあります。 時間があればそれらも周回すれば石仏ウォッチングも楽しめますし、磨崖仏にも出会えますよ。

散歩中のおばさん二人に出会いました。「奥にある山に登るんですけど、えっ〜と、たしか・・・」とかまをかけると、 「古高松やろ」とイラスト地図と同じ名前を言う。やはり古高松のほうがメジャーな呼び名のようです。 よって、このレポートは古高松としましょう。 「昔、私も登ったけど、雨乞いで火を焚いたこともあるんやで」ふ〜ん、そんな歴史もあるんやね。

やがて、パキーン、パキーンという音が聞こえてきます。右にある金城池にはゴルフ練習場があるのです。 えびら谷はこの金城池の左側を行きます。池の右側の谷にも昔はハイキング道があったのですが、 この打ちっ放し場のために入ることも確認することも困難です。
なぜか種字が書かれた石がある古高松への急勾配

道は細くなりながらも谷の奥へ続いています。最初の渡渉ポイントにやってきました。 渡渉と言っても川には水はありません(雨の後では多少の流れはあるかも・・・)。 ふと足元を見ると種字が見えます。それは自然石に黒ペンキで『ア(大日如来)』とあります。 なんでこんなところにあるんかなあ・・・。謎です。

二度目の渡渉ポイントを過ぎたところに古い標識が転がっている。それには『金城山登山Bコース  登山口まで200m』とある。別途地図をごらん頂くとわかるが金城山(古高松)にはA、B、Cの 三つのコースがあったらしい。Bコースはえびら谷を最後まで上り詰めるコースで、現在も 地形図には点線で記載されているが道はまったく残っていません。 (A、Cは前述のようにゴルフ練習場の奥にあったらしい) ではどのルートで登るのか?

三つ目の渡渉ポイントを越えると最後の堰堤の横手を通る。そこには分岐があり、正面の道と 左への踏み跡の二つある。実はこれは奥で繋がっていて周回できるので、どちらを行ってもよいのですが、 正面の道がわかりよいかな。

その後も分岐らしい怪しい踏み跡もありますが、とにかく左へ左へと周回するように、決して右へ踏み込まないようにする。 少し下り始めたころに登山口があります。ところが6年ぶりに来てみた入口はヤブで覆われて、初めての人には けっしてわからないでしょう。地面を探ると『金城山 登山口』と書かれた木片が朽ちて落ちていた。 もちろん赤テープのたぐいもない。
山頂から西方面の展望
登山口さえわかればあとは一直線です。岩場まで登れば展望もありますが、その後はウラジロが 足に絡んで歩きにくいし、頂上直下は激斜面の登りで汗と埃でぐしゃぐしゃになってしまいます。 あまりお勧めできるようなルートではありませんが、なんとか頂上に着きました。10時20分。 標高399.3m。三等三角点。 振り返ると大展望が広がっています。(6年前は伐採されていなかったので展望なしでした)
山頂にある種字の石板

今回の目的はこれです。三角点の手前にありました。前回どうして気が付かなかったのか? 地面からあまり出ていなかったのかもしれません。現在は写真のようになっていて、 だれかが地面から掘り起こしたような形跡があります。

『キリーク』の種字が目に飛び込んでいます。これが中央の主尊です。 脇侍は『ベイ(毘沙門天)』と『カーン(不動明王)』となっています。 『キリーク』というと阿弥陀如来を思い出しますが、この場合は違い十一面観音を表しています。

長明寺の由来として『・・・・白雉2(651)年に法道仙人より建立され、本尊は一刀三礼十一面観世音菩薩 ならびに不動明王、毘沙門天の彫像。・・・』とあります。つまり、この石板は長明寺の三尊を表してるに他ありません。 また、この三尊形式は天台様式の組み合わせとして播州でもいくつかのお寺で存在しています。

ある山のHPでは 主尊が大威徳明王で右が不動明王、左が無能勝明王などと訳のわからない解釈をしている人もいます。 本の種字だけをみて判断するとこういうおかしなことになるという見本といえましょう。

本来はこの山頂に法道仙人が建立したという長明寺。現在は麓に下りて 高松山長明寺となっていますが、元来はここにあったということから古高松という山名が 残っているのでしょう。 昭和50年頃まではここに祠があったそうですが、現在では三等三角点があるだけ。 山頂の広さはあまりなくお寺があったとは到底想像できませんね。

北となりにある岩ピーク

つまらないお話が長くなりました。ここから一つ北のピークには展望の岩場があります。 そこではどんな展望が見えるのでしょうか?10分ほどで行ける距離なので、ちょこっと 寄り道してみましょう。
展望の岩場から見えるのは東方向。首を伸ばせば黒田庄の白山、妙見山も見えるよ
山頂に戻り周囲を探索。すると南東方向にテープのマーキングがある。その上、刈り込みもされていて はっきりとした道も出来ている。登りに利用した荒れた西尾根とはえらい違いです。 それを少し下ってみたが途切れることなく続いているようだった。 地形図で確認すると旧のCコースのルートの再構築のように思えます。ちなみに山頂からAコースは ちょっとわかりにくいかも。

お昼ご飯の用意をしていなかったこともあるし、帰宅時間の関係でそれ以上下らなかったが、 下りきった峠からは西の金城池には行かず、東の谷に下りているものと想像する。 誰かがそこから山頂まで道の整備をして、展望の切り開きや、石碑の掘り起こしなどを したのではないでしょうか。

今回の古高松(金城山)の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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