戸平峠〜神池峠

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『市島』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 5. 5.  水曜日  曇り後晴れ  気温ふつう
天気が良ければ綾部の某所へ行くつもりでけっこう早起きしました。ところが空模様はあんまり すっきりとは言えません。お昼からは良くなるようですが、ボルテージは若干下がり気味・・・。 そこで、簡単に周回できそうなこの山域に足を伸ばしてみました。氷上を車で通過中にたぬきさんと無線が繋がるが お昼からこの近くにある天ヶ岳に登ると言う。うまくそれまでに下山できればそこも登ってみたい。

スタート地点は戸平(とべら)トンネル手前にある公園の駐車場を利用する。ちいさな公園だが昔はここに湧いている 名水が飲めたらしい。水質に問題があるのか今は蛇口が封印されている。トンネルの上にある旧峠道の 入り口はちょっと判りにくいが(写真の赤線)入ってしまえば超快適な道です。8時50分。

とにかく不思議な峠道です。間隔を置いて街灯があります。路面はフラットで簡易舗装の跡もある。 以前あった倒木は取り除かれているので二輪ならなんの問題もなく走れます。実はこの峠道はこういう歴史があります。 それは、初代峠道→初代トンネル→現在の峠道→現在のトンネルという不思議な変遷を辿っている のです。
戸平トンネル前の公園峠に着きました

簡単に言うと初代トンネルを拡幅工事する際に昔の峠道をそのバイパスに復活させたということです。 したがって街灯もあり、舗装もされていて、たぶん軽自動車ぐらいは通行していたのでしょう。 といっても昔の踏み跡をそのまま復活させたのではないようです。 峠付近には初代の道と思われる道の残骸も確認しています。9時ジャスト着。

笹倉さんのレポートによると、ここには民家が二軒あってその一軒は駄菓子屋だったというから驚きます。 現在の峠からは想像が出来ません。石仏などは無いことは確認済みなのですが、峠には井戸の跡がある。 この井戸跡から目線を上に持っていくと、なんと祠があるではありませんか。 なんで今までは見えなかったのでしょうか?さっそく訪問してみます。 祠の中には自然石が一個と神棚がありますが何を祀っているのかは不明。しかし、ろうそく台などを見ると 最近もお詣りされているのが判る。

具合がよいことにこの祠横手から道がある。谷に向かって登る道はすぐに終点となってだめ。左手に回り込むように 登っている道がよさそうです。ゆるやかに登りながら山腹を巻いています。このままではいつまでたっても 頂上に行けませんので途中から枝尾根を登ります。雨で落ち葉が濡れていて滑ること滑ること・・・。 転けないように枝を掴むとこんどは頭上から滴がドバドバ落ちてきます。
峠には祠がありました虚空蔵山頂上の祠

傾斜がゆるむと頂上です。おっと!ここにも祠があります!!祠の裏手方向から登ってきたので、表に回り込んで 見るとちょっとした広場になっています。そして祠の中には石仏が!!標高360m、三角点無し、9時30分。 それは山名の由来にもなっている虚空蔵菩薩座像の石仏です。五智宝冠を戴き、右手に剣、左手に如意宝珠を持っています。 台座に何か彫られているかと覗き込んでみるがどこにもなんにもない。戸平かあるいは前地で管理されているのか、 いつの年代のものなのか、ヒントになるような文字すらありませんでした。

次は尾根続きにある次のピーク、日内(ひがうち)城趾へ向かいます。ちょっとヤブっぽかった下りも 鞍部からは広くなり下草もありません。地形図にある前地の正法禅寺からの点線ルートもこの先で交差していました。 この道も見る限り良好です。虚空蔵への参道はこれでしょうか??
まもなく日内城趾下っていくと林道との出合い

点線ルートは行かずにそのまま尾根を登り切るとそこは三等三角点の日内城趾山頂です。 標高354.4m、10時ジャスト。城跡ですから頂上手前で曲輪跡とか掘切の痕跡を期待していたのですが、 それらしいものもなく、頂上も南北に細長いピークでした。山城に詳しい笹倉さんもそのレポートで 物見・狼煙場程度のものではなかったかとあります。

早々に頂上を離れるとすぐに林道との出合いとなります。ここからしばらくは林道を歩きます。 この林道は戸平の谷から上ってきているようです。 道沿いには各種ツツジ、たにうつぎ、つくばねうつぎ等が咲いています。それよりすごいのは標高が上がるに つれて展望が開けてくることです。
林道最上部からの展望 その1

林道最上部からの展望 その2
開けた林道なのですごい展望でした。雨上がりも幸いして遠くも見えています。 東方向はあまりよく見えませんが、たとえ撮しても東方向の山にはなじみが薄いので撮しませんでした。 今後よく勉強しないとね(^_^;)

林道終点からも細いソマ道として続いていますが、これは無視して目の前にあるピークを 目標にして植林の尾根を登っていきます。植林と言っても幼木帯なので明るくて歩くのには 問題ありません。ただ、木の間を通り抜けるときに雨の滴でビショビショになってしまうことです。 福知山と市島の境界にたどり着きました。10時40分。

鹿除けのネットが境界に設置されています。どうやら福知山側が歩きよさそう。 ゲートはありませんでしたがネットが倒れている所が一カ所あり、そこから乗り越えました。 乗り越えると展望は無くなりますが、かわりに気持ちよい山道が現れます。
ようやく丹波らしい山道に名号塔と大師像

標高408.9m、四等三角点、点名『寒谷(かんだに)』には10時53分。 周辺が少しだけ伐採されているがもちろん展望はない。西にある神池方向に 下って行けそうな踏み跡があったが。このまま境界尾根を辿ることにする。 (途中で金山山頂の無線局と繋がる) 次のCa.430mピークから方向を真南にして下っていく。ここからは溝状にえぐれた道となる。 そして少し下ると分岐らしき所があった。

尾根に踏み跡は続いているが溝状の道は左方向に曲がっている。地形図を見ても境界の方向は そのようになっている。それを信じて左へ曲がります。 もう少しで神池(みけ)峠のはずです。 雨の滴と蜘蛛の巣でぐじょぐじょに なりながら歩くとこんな所にTVの受信施設跡があった。ここから道は劇的に悪くなる。 かがんだり、くぐったり、乗り越えたり・・・リュックもドロドロです。 この辺でどうやらルートを間違ったみたい。でもこのまま下った方が濡れなくてすむのでええか・・・。

斜面を横ばいで軌道修正しながら移動すると竹林に入る。下を見ると棚田跡と道も見えます。 福知山側に降りてしまったのは判っていましたが峠からはさほど離れていないようです。 ここで石仏発見。迷ったおかげでこいつに出会えました。蓮華座の上に『南無阿弥陀仏』、 横手には『文政六未(1823)年  11月建之』(勝海舟が生まれています)と 彫られた名号石。石で組まれた小さな穴には弘法大師の座像石仏。

峠までの道はきれいに残っていました。そして神池峠には12時ジャスト着。ここにはなにもありませんが、 境界尾根には南北どちらにもきれいな道がありました。あの迷ったヤブはなんやったんやろ??? 境界尾根の道は気になりますがここで下山にします。

福知山側と違い神池側の道は悪かったです。崩れていたり、倒木を乗り越えたりしながら いつしか川の中を歩くはめにも・・・。川沿いの大岩を回り込むとここにも石仏が!!
神池側の石仏神池湖畔を行く

不動明王には『文政十三寅(1830)八月』(12月から天保元年と改号されますが、 この年に吉田松陰が生まれています)、地蔵菩薩には『天保七申(1836)二月吉日』『奉建立諸願・・・(苔で読めません)』 (この年は榎本武揚が生まれています)石仏の脇には御幣が立てられているのでお詣りもされているようです。

すぐに林道の終点と合流する。そして神池湖畔の道を行く。お腹がすいているので堰堤に座り込んで お昼にする。空を見るとすっかり晴れ上がっていて濡れた体も乾いていた。12時25分。 神池の集落でおばあさんと話をしていろいろと情報を得る。もっと詳しい人がいるからと家を教えてもらうが 生憎留守でした。う〜ん、残念。

携帯でたぬきさんがこちらに走ってくると言う。途中から無線で連絡を取り合い、この 近くにある天ヶ岳へいっしょに登ることになりました・・・。

今回の戸平峠〜神池峠の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


ホームにもどる