烏帽子山〜高畑山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『福知山西部』を
参照していただくようお願いいたします。

2003. 3.29.  土曜日  曇りのち晴れ  気温すこし寒い
去年の暮れぐらいから登ろうと計画していましたが、春の陽気が肌にもしっくりし始めたこの時期に なりました。もうハンターもいないし、かつ蜘蛛の巣もない一番良い頃です。ただ、登山道があるのかどうか それすらわからなかったので、とりあえず小牧まで行ってみることにしました。 福知山市小牧とその奥の下戸は2年ほど前までは袋小路の谷に展開する集落でした。 唯一夜久野町千原に抜ける細い峠道(国土地理院の地形図には千原峠とありますが、これは間違いで ゆずり峠が正しいようです)があるだけでしたが、現在はその下にトンネルが出来ており 車の往来も頻繁にあります。

烏帽子山の頂上は山城跡なので必ずや道はあるでしょうし、兵庫氷上と福知山市の境界尾根(たとえば 南の梨木峠から・・・)をたどればなんとか登れるのは間違いありません。その小牧にやってくると トンネルへの舗装路途中に車を停められるスペースがあり、石の道標のようなものが目に入る。 車から降りてその表面を見てみると、最上部には薄肉彫りの役行者座像、その下には行書文字で 『役行者』さらに『烏帽子山』、『是ヨリ拾八町』、裏手には『大正五年九月吉日』とあり、 横手から細い道が登っている。

難なく駐車スペースと登山口が見つかって喜ぶ。が、10mほど離れたところに真新しい白い 標識に『烏帽子山 ←登山道』とあるのを見つける。少し上で繋がっているのかしら?と考える。 近くでおじいさんが野良仕事をしていたので「これって石碑裏から登ってもOKですよね?」 すると「あかんで。この新しい標識の方から登りや。石碑もこっちに移動する予定でまだ出来てないんや。 石碑の裏からは墓地に行ってしまうで・・・・」おぉ!聞いて良かった・・・・。
この石碑の10mほど北に登山口あり谷のエンド。広い平坦地がある

おじいさんにお礼を言って、白い標識から始まる谷の細い道を登りはじめる。10時25分。 良く踏まれており、しっかりした谷道になっている。流れが終わる頃右に大きく振ってまた左にターンしている。 地形図にも記載されている広い平坦地が目の前に現れる。もちろん植林が施されていて昔になにがあったのかは うかがうことは出来ない。
尾根に上がるとすばらしい道が・・アセビ越しに烏帽子山

そこからスルッと尾根に上がるととんでもなく良い道が現れる。前方の烏帽子方面はもちろんのこと、 後ろの312mピーク方面にもあるので、石碑裏のルートからもここに来れたのではないかと想像する。 ダンコウバイ(檀香梅)、タチスボスミレ、アセビと春を告げる山の花があちこちに咲いている。
368mピーク付近から北方向の展望
道はすこぶるよろしい。やはり昔からある山城へのルートだったのでしょう。この辺りでも 人工的に思える平坦地がある。よく見ると道も一本だけではなく山腹にいくつか見えるが 尾根を離れないようにすれば登山道から外れることはない。368mのピークへの急斜面は つづら折れになっていて楽なもんです。その368mピークを過ぎた所では北方向への 展望が楽しめる。

ちょこんと白く小さなピークは西床尾だ。鉄鈷山も見えるはずだが判別がむずかしい。それに 比べると夜久野の伏見山は面白いようにどこからも同定出来る山である。福知山の三岳山も 負けないぐらいに尖っている。手前に見えている尾根は下山に使用予定の福知山・夜久野の 境界尾根である。

再度の急登りをすると『二十六』『四四』という二本の石柱がある。ここが県境の尾根かと思ったが そうではなかった。ゆるい傾斜地の奥がその尾根らしい。お互い気が付かなかったが2mほどの 至近距離で鹿と遭遇する。こっちは立ちすくむが、向こうはすばやく駆け去ってカメラを出すヒマも なかった。

県境の尾根に乗って一登りで頂上だ。その手前に二箇所ほど尾根が断ち切られたようになった所がある。 明らかに人の手によるものだが、これは『馬落とし』と言われるものだった。もちろんここまで馬が登ってくる はずもないが、山城防衛のための一つの工夫なのだろう。そして11時35分頂上着。 標高512.5m、三等三角点。ここの三角点は上の面にある十字の印がわかるだけで、 その周囲はボロボロに壊されている。もちろん等級などもまったく読めない。
頂上から北東方面を見る

烏帽子山頂上。矢印が三角点歩きよい県境尾根

周囲を覆っている植林の隙間から展望の写真を撮る。また、頂上には石柱があってそれには 『えぼし城 へいげい山河 春浅く』『悠遠の 荒れ果つ城跡や 夕日秋』と二つの句が 彫られていた。ここでちょっと早い昼食をしようと思ったが北から吹いてくる風が あまりに冷たくて、その先で良いところを探すことに・・・。

ピストンで下山はしません。さらに県境尾根を辿って477mピーク。ここから北東へ進路を転じて 夜久野・福知山の境界尾根を行く。最低鞍部のゆずり峠で下山しても良いし、時間があればさらに辿って 高畑山(376.0m)へ行く予定・・・。その烏帽子の頂上から下りはじめる。こちらの方が数段の曲輪跡が はっきりと残っている。尾根道の幅は広い。

次の小さなピークはどういうわけか風もなく日が当たって絶好の休憩ポイントになっていた。 お湯を沸かして温かい麺と焼いたお餅で空腹を満たす。先ほどまで近くで重機の音が聞こえていた。 兵庫側に採土場?(道路からもよく見える)があるためだと思うがちょうどお昼なのでこちらも静になっている。 鳥の声とオカリナの音が静に響いている。12時20分に再スタート。

ここまでは花や展望を写真に撮ったりのゆっくりペースで来てしまった。これでは後半の行程が たいへんになるのでちょっとペースアップする。(レポートもペースアップします・・・) 477mピークには12時35分。ここから見る烏帽子山はまさしく烏帽子の形をしている。 ここから方向を転じて北東に下る。
477mピークから見る烏帽子山ゆずり峠(向こうが小牧方向)

左植林帯、右雑木林の尾根の下り。これまた はっきりしている道なので迷うことはない。301mピーク付近は岩尾根で、明るい空が見えて 深呼吸が出来る。朝方と違って抜けるような青空になっている。ペースアップのつもりが無線をしながら 下ったのでゆずり峠には13時20分と1時間もかかった。細い切り通しの峠にはNTTの電柱があるのみ。 さて、ここから下山するか??

もう見所もないし、さらにペースアップすれば高畑山まで行けると踏んで登り返しを行く。 前半と同様の良い道を期待したが徐々にそれは裏切られる。といってもいつも行くような とんでもないヤブでもないので何も考えずにズンズンと登る。大きくルートの曲がる箇所も あるがさほど見極めはむずかしくない。

ペースアップのおかげで高畑山には13時55分着。標高376.0m、三等三角点。 なにかあることを期待してきたピークだったが、笹原の座ることも出来ないピークだった。 展望もなくわずかに夜久野方面の山が見える。三角点の根元から立っている赤白ポールに 深緑色の布テープで巻かれたスチール缶があり蓋には『経済』とマジックで書かれている。 さらに赤布でポールに縛られていた。なにが入っているのか興味はあったがあえて開ける気には なれなかった。下山ルートのほうが今は大事だ。

高畑山からさらに先には鞍部(『じょうね』と地元で呼ばれている峠)があり、そこから点線ルートが 小牧に向かって下っている。こいつで下山するのがよさそうです。小走りで下ると10分ほどで着いた。 ところが降りたった峠はまったく踏み跡も残っていない笹のヤブ鞍部だった。
なんにもない笹だらけの高畑山じょうねからの下山道

この笹藪をかき分ければ古い道も出てくるのかもしれないがその気にはなれない。 笹藪の中に獣の踏み跡があったのでそれを行くと、徐々にソマ道状に良くなってくる。 それは谷を下るのではなく高畑山の南山腹を巻きながら下っていくようだ。 無くなったりまた現れたりしながらもそれは続いていた。

地形図にある鳥居マークまで続いていたら面白いなあ・・・と思っていたが途中から谷に下ってしまう。 しかたなくズンズンと下ると小牧の集落だった。14時40分。近くにいたおじさんに高畑山の山名やじょうねの峠名を 教えてもらう。「もう峠には道はなかったか?昔はあったんやけどなあ。谷に下りてたらたぶん道は現れるで」 と、おじさん談。私が下山に使用した道もこの小牧から峠に向かう昔の道だったようだ。

「4、5日前に数人の自衛隊員が来て、あんたと同じ道を歩いたようやで。なんでも4月○日に 数十人で地図読みの訓練をするそうで、その下見やったらしい」・・・・・あんな簡単な道で(たぶん ゆずり峠付近から高畑山付近の事だと思うが)地図読み訓練するのかぁ?それやったらもっと難しい ルート教えてあげるのに・・・。あの三角点の横にあった筒はそれに関係してたのかなぁ??

今回の烏帽子山〜高畑山の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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