大倉部山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『但馬竹田』を参照いただくようお願いいたします。

2002. 5. 6.  月曜日  晴れ  気温ふつう
ここ最近、南但馬は和田山町近辺の山々を重点にさまよい歩いてきました。なんの資料もないまま の登山だったので、登山道、展望などの期待はしていなかったのですが、それぞれ特徴のある山で ずいぶんと楽しめました。そして、まだ未登の山の中でも期待感が大きいのがこの大倉部山です。 ここだけはM氏とMTBで行きたかったので、タイミングが合うまで取っておいたのです。 おいしいおやつは最後に食べるがごとく、大倉部山は地形図で見るととてもおいしそう!

R-312から円山川を渡って久留引の集落を目指す。集落入り口にある六地蔵の祠前に駐車する。 ここからMTBで大倉部山真南にある峠まで点線ルートで登ろうという計画だ。 この点線ルートは『林道奥山線』と書かれていた。9時スタート。

その途中には石碑があり、『人食い地蔵』についての説明が書かれている。地蔵が人食いとは かなりぶっそうな話だが、内容は『昔、お寺に帰る若僧が途中でオオカミに食われたため 地蔵を立てて冥福を祈った』とある。石碑の向こうのネット近くにはほんとに地蔵の石仏がある。 台座には『人喰の地 安全祈願』と彫られていた。ただしそれは近年のもので、横にあるただの 岩のようなものが本来の地蔵のようだ。
人食い地蔵親切なおじさんでした

その先は害獣除けのネットと扉になっている。ちょうどトラクターに乗ったおじいさんが やってきたのでお話をする。「峠はあるけど、自転車なんか行かれへんで」といつもの リアクションを頂戴する。「気いつけて行きや」親切に扉も閉めてくれた。 (それともM氏を見て、こいつはここに閉じこめたほうが良いと思ったのかも)

一車線の未舗装林道。車は問題なく通れる。終点からは植林の谷を歩くことになる。 数頭の鹿が目の前を走り抜けていく。足下には空薬莢が多く落ちている。季節になると ハンターが大勢押し寄せるのだろう。谷は左右に分かれている。ほんとうは正面の 尾根に取り付くのが正解なのだが、左の谷をすこし行ってから右手を見るときれいな道が 確認できるのでそれを歩こう。
谷を行く峠からは急斜面!!

細い道だが明らかに古い峠道だった。植林が途絶えて周囲が雑木になると、昔の面影がよみがえるよう。 周辺には藤の花が咲いていた。倒木をくぐりながら担ぎ上げて行くと細い切り通しの峠に着いた。 10時。 この峠には名前がなく石仏等もなかった。久留引からは結構高度を稼いだはずだが、正面下に見える 藤和まではわずか60mほどの標高差しかないので拍子抜けしてしまう。

さて、ここからどう登ろうか?直登ではなく、ちょっと西に巻くように薄い踏み跡があるので それを行くと、その先から登れる道らしきものがあった。雑木と伐採跡の境界を歩くことになる。 伐採地から見る周辺の山がきれいだ。 古い鹿避けネットが現れ、そこには鹿が引っ掛かって死んでいた。死後数ヶ月ぐらいだがまだ死臭を 放っていて、すぐ横をすり抜けないといけない。私は平気だがM氏は柄に似合わず気味悪がっている。

地形図の等高線通り傾斜は急である。大路山から見たときも「この斜面を登るのは たいへんそうや」と感じていたが、その通りだった。高度を上げていくと伐採地から 笹と松の尾根になってくる。急登りから解放されて緩やかな道になった。 この辺りになると踏み跡もしっかりとあり、どこから来たのかテープによる マーキングも出てくる。

大きな岩が見えたらそこが頂上だ。11時25分。三等三角点、標高691.9m。山名は大倉部山だが 点名は小倉部という。それまでは無かったのに頂上部分だけ大岩がぐるっと円を描くようにある。 しかも真ん中に大きな穴が開いている。その穴付近には朴の木が数本。 自然石なのでこれが砦跡とは言わないが、狼煙場ぐらいだったかもしれません。

大路山でもあったが、『香住の海と山を探す会』のプレートが掛かっている。つい最近の3月9日の 日付が書かれていた。裏面には『登って見て 大倉部の名付けが判った「巌」である』と書かれている。 何が言いたいのか意味不明。倉→ー→巌って関連でしょうか?ここは断崖絶壁でなく単なる頂上の 岩場なのでちょっとおかしいというか、学校の先生のわりには想像力が貧困だ。
大倉部山頂上南を見ると・・・

私が調べたところでは、その昔巨椋部と呼ばれる人達がここにやってきたそうだ。巨椋(おぐら)姓は 木地師の祖とされている。きっとこの山で木地師として生活をしていたのだろう。その巨椋部から 大倉部に変化したと想像する。そういえばロクロ谷という箇所もこの山にあると聞く。現在、和田山町は 家具の町として有名だが、この事柄と関係があるとよりおもしろいと思う。

南方面には粟鹿山(山頂のたぬきさんご夫婦と無線で繋がる)、雲頂山、金梨山、朝来山、青倉山、そしてはるか下に見える竹田城址。 北方面にも開けている。室尾山、鉄鈷山、西床の尾山、遙か向こうに高竜寺ヶ岳、法沢山、光明山に来日岳。 ぐるっと首を回せば但馬ドーム、三川山。木の陰から氷ノ山を双眼鏡で見ると残雪も確認できた。
北方面を見ると・・・

食後のコーヒーも頂いたところで下山にとりかかる。12時25分。ルートはもちろん東に緩やかに 下っている尾根を辿るのだ。まちがってもピストンなんで無粋なことはしない。 過去、地形図でいくらよさげな等高線でも、実際はまったくだめな尾根はいくつもあった。 しかし今回は違うぞ!期待していた踏み跡が見えている。しかも倒木も少ないので 乗ってみるとスイスイと進むではないか。
さ〜て、下るぞ!!す〜い、ス〜イ

スタート直後は南雑木、北植林の植生になっている。植林があるためか、前述のようにはっきりした 道が続いている。途中から植林が途絶え、いよいよ昔ながらの木地師の山に変化していく。 両側から張り出している枝を払いのけながらも乗車していく。 地形図を見るとまもなく568ピーク手前の鞍部に到着する。その鞍部がすごかった!
山遊びの広場広場で休憩。空気がうまい

「M氏、早く来て!ここはすごいで!」先行する私はおもわず振り返って大声で叫ぶ。 その鞍部は地形図が間違っているのでは?と思うほど広い広場だった。下草がまったくなく、 雑木を越えて差し込んでくる日光が緑に染まって降り注いでくる。12時50分。

ここを「山遊びの広場」と命名する。戦前までは年に一度決まった日に子供達でこの山に 登る習慣があったそうだ。子供達は頂上で展望を楽しみ、この広場で遊びに興じたのでは ないだろうか?着物姿の子供達が走り回っている姿をイメージする。

568mピークから道を塞ぐようにアセビが現れ始める。ちょっと乗れなくなってアセビを 迂回しながら進んでいく。 すると北側から明確な道が登ってきていた。今回のルートで道らしい道はこれだけだった。 北側にある集落、枚田のどの辺りから登ってきているのか非常に興味のあるところだ。

この先の鞍部も楽しみだったが、なんの変哲もないところでがっかり。後は尾根の先端から どういうふうに下るかが課題になる。その尾根の先端付近には13時40分。
秋になったら紅葉が楽しみだ

今までは雑木だったが先端から植林帯になる。それにしてもすごい傾斜だ。なんとか乗れそうなので ドリフトしながら下っていく。歩きなら踏み跡を確認しながら下れるが、乗ってしまうと そっちに神経がいってしまい道なんぞ見ているヒマはない。下でカメラを構えてM氏を待つ。

下ってくるM氏がいきなり前転するのがデジカメの液晶画面に映る。ここぞとばかりシャッターを 切ったその刹那、大きく回転して落ちてくるM氏のMTBが視界に広がる。「あかん!」と 左に身体をよける。なんたる偶然か!ハンドルにデジカメのストラップが引っ掛かり、MTBと デジカメが地面にたたきつけられる。

ようするにデジカメがバラバラになったということです。せっかくの決定的瞬間もバッファから スマートメディアに移る途中で壊れたためにメモリーには入っておりませんでした。 その後失意のためどこをどう降りたか明確ではありません。予定では枚田城址を目指していました。 14時半頃?駐車ポイント着。

今回の大倉部山の地図はこちら(約120k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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