薬師の峯(七種薬師)

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『前之庄』を
参照していただくようお願いいたします。

2000.10.21.  土曜日  曇り  気温あったか
今年の5月にこの七種薬師に登ったときにいくつかの疑問が残った。一つはこの山名。 多田繁次氏が命名した七種薬師という名は頂上にある薬師如来に由来してる。ところが この石仏には『前之庄』の銘がある。前之庄はこのピークの西にある集落である。 ということは七種という東にある集落の名前を頭に頂くのはおかしい。きっと前之庄での 呼び名があるはず。

前之庄在住の大加茂さんから頂いた資料でだいたいのことが判ってきた。それには明王寺薬師ノ峯 となっており、その麓の谷にあったのが松尾山明王寺である。当寺は天安二年(858年) 玄常上人の開基という古い寺である。ところが応久九年(1402年)に焼失して200年後 現在の三枝草城跡に移築、明治にもまた焼失して今は的場山宝積院と呼ばれている。 この寺が山頂の薬師如来を祀っていたのは間違いないところと思い最近になって当寺を 訪れてみた。ところが2度の焼失で古い記録はまったく残っていないとのこと。

しかし、明治26年に印刷されている『播磨名所絵図』には寺の右奥に大きくこの山が描かれており、 山名も『薬師の峯』となっている。同時に書かれている寺の由来には面白い記述があり、 それにはこうある。

・・・干茲三嶺アリ上人 字ノ三点に表して一ツヲ洞ケ嶺 ト云 二ツヲ明神ノ峯ト云 三ツヲ 明王寺薬師ノ峯ト云円嶺ナリ 此ノ三峯ヲ雪彦ト号ス  上人常ニ密教行場ニテ・・・・・

もうおわかりでしょうか?現在雪彦山というと洞ヶ岳(ほらがだけ)、鉾立山(ほこたてやま)、 三辻山(みつじやま)、の三山を総称したものであり、一般的には洞ヶ岳が雪彦山と呼ばれている ことはどのガイド本にも明らかです。ところがこれには上記のように洞ヶ岳、明神山、そしてこの七種薬師 の三山を総称して雪彦となっているのです。さあ、この事実は兵庫県の山岳界に一石を投じることになるでしょうか?

もっといろいろと事前調査を充分にしてから再度の登頂を考えていたのですが、今月号の『岳人』に この七種薬師のレポートがありました。しかも登頂ルートは私の考えていたルートそのものだったので、 正直「やられた!」って思いです。もう少し涼しくなってからと思っていましたが天気もいいことですし 登ってきました。

この宝積院付近を起点に考え、明王寺川の西にある墓地付近の道脇に車を停める。9時15分 スタート。宝積院を左に見て北に広がる谷を目指して歩き始める。谷には昨日の雨のためか この時間でも霧が残っていて幻想的ですらある。ところがこの谷一面は『村田牧場』と 言い、大規模な牛舎、鶏舎が立ち並びその臭気は凄まじく一気に現実に引き戻される。 鶏糞、牛糞を積み上げて 肥料も作っているが、発酵しているのか湯気が立ち上っている。トタン塀の分岐が現れたら 左に進む。奥にもさらに牛舎があり、餌を飯でいる牛達の熱い視線を浴びながら横を通り過ぎる。 牛達からプライバシーの侵害を訴えられると困るので写真は撮らなかった。

20分ほどで地形図にある池に到着する。まず堰堤を渡って取り付きポイントを探す。 それらしいものもあるが、さらに池奥まで歩いてみることにする。地形図を見てみると目標の 尾根にある377mのピークから南西に下っている支尾根がちょうど池の終端に来ている。 それにのっかろうと池を過ぎて谷が広くなった所から右の薄暗い植林に踏み込む。 尾根の初めはヤブだがちょっと登ると獣道が現れる。

鹿か猪の足跡も残っている。所々古い枝打ちの跡があるところから、人間も利用しているようだ。 あえてテープによるマーキングはしなかったので取り付きを探すのは難しいと思う。やがてウラジロの ヤブが始まるが、堰堤でスパッツを付けたので足元の濡れは最小限にとどまっている。ところが 斜面が急になるにつれウラジロは腰から胸、やがて頭上から覆い被さってくるようになり、 あっという間に全身ずぶぬれ状態になる。もう踏み跡すらなくなっているが空が見え始めているので ピークはまもなくだ。

377mのピークは展望のないヤブピークであった。10時15分。一息ついて北に前進する。 すぐに地形図にある崖マークの地点になる。壁のような岩盤がそそり立っているがグリップ良く、 両手両足でぐいぐい登れる。後ろを振り返るとすばらしい空間が広がり、ふと自分が空中に 浮かんでいるような錯覚を覚える。岩盤は摂理で一枚一枚が皿のように剥がれて足元には屋根瓦 が散乱しているように見える。前回七種薬師手前からこの尾根を見たときは、はたして歩けるのか?? と思えるほど険しい鎌尾根に見えた。実際険しいのには間違いないが、岩盤を歩かずともいいように 所々巻き道がある。
岩盤 鎌尾根
最初に現れる岩盤登りこんな尾根を登ってきたのか!!
ここは地元では赤岩と呼ばれている
帰路は向こうの尾根を使う予定

地形図にある十字分岐が近づいてきた。Ca.550mのこのピークから四方向に尾根が伸びている。 実際はピークに辿り着く手前が薬師への分岐ポイントで非常に判りにくい。11時05分。 赤テープに従い薬師への尾根にのっかる。左手に大きなヌタ場があり周囲の木にも擦り跡の ドロが付いている。ここからは快適な道となり、木々のあいだから見える先ほどまでの鎌尾根に 改めて感嘆の声をあげる。

20分で頂上に立つ。ほぼ予定通りの時間であった。標高616.2m。二等三角点。さっそくお湯を沸かして 昼食を準備する。前回同様、七種本峰、七種槍は手の届きそうな距離に見える。 その奥に雪彦山、高星山、だるまが峰、笠形山はよく見えるが千が峰は霞がひどい。 昨日の雨で水量を期待したが七種の滝はさっぱりだった。食事を終えて無線、オカリナを楽しむ。 下山の準備を済ませてこの頂上の主である薬師如来像にもご挨拶を済ませる。前回気が付かなかったが、 この像の正面から急激に下る踏み跡が見て取れる。
頂上より
水のない七種の滝

踏み跡が続いているのであれば、この先は村田牧場の北東に伸びる谷に降りるはず。そこはまさに 松尾山明王寺があった付近と思われるのでこの踏み跡が正規の参道であったろうと想像した。 今回ここを下ってそれを確かめれば良かったのだが、下山ルートは別に考えていたのでまたいつかの 機会にしたい。『岳人』の下山ルートは板坂峠であるが、それは前回私の辿ったルートでもあるので 今回はいったん十字路分岐まで戻ることとする。

十字路ピークから西の尾根を辿る。しっかりした道で問題なし。やがて西から南へ方向を転換。 すぐ東には登りに使った鎌尾根が、さらにその東には薬師のピークから板坂峠に至る尾根が 望める。この尾根も所々岩盤が露出している。高度を下げるにつれウラジロのヤブが現れ始める。 午前中と違って乾燥しているのでかき分ける度に埃とも胞子とも知れないものが舞い上がる。

這々の体でようやく辿り着いたのが335.0m、四等三角点のピーク。14時20分。 共同受信のTVアンテナが立っている。麓の新庄の人からこの頂上に石仏があると 聞いていたので草をかき分けるがそれらしきものは発見できず。のどの渇きがひどく 先を急ぐ。この尾根の南端にある宝積院まで行く腹づもりであった。
振り返る
三角点ピークより振り返る

ところがヤブを300mほど行ったところで突然道が無くなった。正確に言うと断崖に行き当たって しまったのだ。下をのぞき込むと7〜8mほど垂直に切り立ったまさしく絶壁である。 絶壁の下に見えるでべそ状の岩はなんだろう?石仏でも彫られているのだろうか? 残念ながらここからは確認できない。フリークライミングをやっている人なら登るかも しれないが、逆に下るのはむずかしいのではないのだろうか?どちらにしても 私にはできない芸当ではあるが・・・・。

どうしようもないので三角点ピークまで引き返す。途中にも迂回できそうな道は無かった。 地形図を見ると三角点ピークから西になんとか下れそう。 TVのケーブルを伝って下っていく。やがてここも岩盤の尾根となる。麓の県道からも 確認していた岩ヶ谷と呼ばれる岩尾根だ。振り返ると先ほどの断崖が見えるので カメラに収める。
断崖 断崖
行き止まり!
足元が断崖になっている
下りの岩ヶ谷から見上げると
こんなふうになっている
シルエットからゴリラ岩と呼ばれている

足元もふらふら、つまずかないように慎重の上にも慎重に。ところが下ばかり気にしていて 枝で目を突いてしまう。大事には至らなかったが気を取り直して岩場で小憩を取る。 夢前川はすぐ下を流れているし、県道を走る車、空き地で遊ぶ子供の姿も見えるほど高度は下がっていた。 最後に降り立ったところが『塩売り戻し』と言われる所付近だと思う。大加茂さんに聞いた話では 塩売りがそこの岩の下の夢前川沿いで休んでいたら 大岩が落ちてきて驚いて姫路に引き返したという。今いる所の石が下の県道に落ちたのだろう。 それに行商の商人がおどろいたということらしい。

15時20分県道に降り立ち(45分のロス)デポ地へと歩いていく。自販機でコーラを買い 一気に飲み干す。16時、暗くならない内になんとか戻ってこられた。 今年5月に行きました 七種薬師のレポートをご覧頂くとより理解いただけると 思います。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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