六地蔵石棺仏

所在地:加古川市平荘町
地蔵寺にある石棺仏があるのは以前から知ってはいたが なかなか訪れる機会がなかった。梅雨で山行きができないのを幸いに? ようやく訪れることができた。お寺の近くでは駐車しにくいので県道沿いにある 『地蔵寺参道』の石柱近くのスペースがよろしい。

お寺を造っている 石の階段、石垣などはこの近辺で採掘できる凝灰岩で出来ている。 この凝灰岩は古墳の石棺にも古代から利用されており、もちろん近場の石仏も これが利用されているのはもちろんのこと。長石(おさいし)とか竜山石と 呼ばれていて、これらの石が元になる文化圏がこの加古川を中心に広がっている。 この地蔵寺にはそれらのプチ凝縮されたものがあるのです。

門の前には一対の仁王像があるがこれは近代のものかな。門を入って左手に2基の石棺仏があった。 右のものは『胎蔵界大日一尊種子板碑及び地蔵立像』と長ったらしいもので、 左は単に『六地蔵石仏』。どちらも当然ながら竜山石で出来ています。

地蔵寺入って左手にある

『胎蔵界大日一尊種子板碑及び地蔵立像』となぜにこんなに長ったらしい名前なのかと言うと、 実は裏側には『ア』という大きな種子が刻まれており、その下には『弘安四年(1281) 四月廿日』とあって元々はこちらが正面だったという。 (種子、文字とも薄くなっていて案内板がなければ気が付かない) その裏側(現在は正面)に地蔵菩薩を彫って再利用したというわけだ。 こういうのは例がないらしい。
『胎蔵界大日一尊種子板碑及び地蔵立像』

考えれば石棺仏自体石棺の再利用なので、リサイクルのリサイクルというわけだ。 その地蔵菩薩をそっくりそのまま小さくしたようなのが、隣にある六地蔵の石棺仏である。
『六地蔵』

特に採寸したわけではないので(この辺がいい加減)私の身体と 比べてもらえばその大きさがわかると思う。 縄掛けのある家型石棺の蓋に六地蔵が彫られている。 下にある二体の像は被供養者の男女であろうと案内板に書かれていた。 いずれも加古川市の市指定文化財である。縁の部分に文字があったようにも見えるが まったく判読不可能だ。

ここにはもう一つのお宝がある。それはお寺の階段を上る手前を石垣沿って 右に進むと茶色いトタンの小屋がある。その裏手に古墳があるのです。

『地蔵寺古墳』

このお寺の裏手にあるピークは地蔵寺山とも愛宕山とも呼ばれていて、そのピークにも いくつかの古墳が点在しています。その一つがこんな所にもあって、見てわかるように 石室の真上にお寺の家屋があるのです。部屋の畳をめくって床下に潜るとここに出てくるかも? 石室入り口は一段下がっているので入り口の高さはちょうど背丈ぐらい。 築造は古墳時代末(7世紀初め)と案内板に書かれている。
石室内部

内部は真っ暗なので強力なLEDライトで照らしてみる。すると内部は前日からの大雨のために 浸水していた。実は石室の最奥に石仏があるのでそれを見たかったのだが浸水のために無理だった。 しかたなくライトで照らしてデジカメでフラッシュ撮影をしてみる。 ズームで確認するが、どうやら如来像で特に文字などはなさそうだった。 どうです!石文化のオンパレードだったでしょ?

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