銀山街道の石仏その6

所在地:朝来郡生野町
前回の青倉神社への分岐より黒川ダム湖を周回する舗装路をさらに進むとこのルートの標高の最高点に達します。
ここは山東町と生野町の境界近くである。階段が見えるがその階段を約20段ほど 登ればその境界、すなわち峠になる。生野町黒川で聞いたのでは『よふど坂』と 呼ばれているらしい。山東町側での聞き取りはまだ出来ていない。 この『よふど坂』は中央分水嶺の峠でもある。


その黒川側にある地蔵、『右山道 左よふど』となっている。よふどとは 山東町与布土のこと。
その階段を上がって峠に立ってみる。正面にもきれいな道はある。これを下れば 先ほどの石仏に彫られていたように与布土に降り立つ。左に行けば青倉山(地図読み 必要)、右に行けば粟鹿山(4.8kの道標有り)となる。
この峠にも二体の石仏がある。

『喜田垣村』とあるのは現在の山東町喜多垣のことであろう。黒川側の 地蔵石仏と見比べてほしい。そっくりである。

こちらは残念なことに大きく割れている。『願主三木大○善兵○』ぐらいしか 読みとれなかった。

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