安養寺の石仏

所在地:加西市豊倉町


いつものように趣味の山歩きで西脇市の金城山へ登ったときのことです。 山頂に梵字の彫られた石板がありました。まず、中央の『キリーク(阿弥陀如来)』の梵字が目に飛び込んでいます。 これが主尊ですから、当然脇侍は『サ(観世音菩薩)』と『サク(勢至菩薩)』で、 阿弥陀三尊を表す種字だと思っていたら、脇侍はなんと『ベイ(毘沙門天)』と『バーン(不動明王)』 となっています。

『キリーク』は千手観音、如意輪観音を表すこともあるそうで、そうするとこの三尊は主尊が千手観音で脇侍が毘沙門と不動という ことも考えられます。こういう三尊形式があることを知らなかったのでいろいろと調べてみると、昔から立派に存在していることがわかりました。

ところが金城山の麓にある高松山長明寺のパンフレットには 『・・・・白雉2(651)年に法道仙人より建立され、本尊は一刀三礼十一面観世音菩薩ならびに 不動明王、毘沙門天の彫像。・・・』となっていて、主尊は千手観音ではありませんが 不動と毘沙門の脇侍は同じです。

昔はこの頂上にお寺があったと伝えられていて、金城山は古高松とも呼ばれています。 したがって、この石板の三尊はもちろん長明寺のそれに該当するわけです。

前置きが長くなりましたが、今回訪問した安養寺は地図でも見つけにくく実際言ってみると 普通の民家のような建物でしたので探すのは困難かもしれません。県立フラワーセンターの 真東付近をうろついてみましょう。お寺の中にはとんでもなく素敵な石仏が多くあります。

その中でもすごいのがこの石板です。この地域ではポピュラーな柔らかい凝灰岩に彫られているので ほとんど摩耗していますが、それでも仏様の種類ははっきりとわかります。

いずれも蓮華座に座っており、むかって右は不動明王。左は毘沙門天とわかる。 不動明王は羂索と剣を持っており、線刻で炎が描かれている。毘沙門天は 宝塔と鉾?を持っているのがわかる。

そして問題は中央の主尊です。いままで論じてきたのは千手か十一面かは別にしても 観音が中央でしたが、この像はどう見ても如来形です。

明治2年刊の『播磨鑑』という書物にはこの三尊構成のことが書かれているそうで、 播磨では十一面観音が主尊であることが多いらしい。 (上記長明寺の三尊がこれにあたるわけやね)

旧加東郡、多可郡、加西郡を合わせれば九例ほどこの三尊形式があり、 それは十一面、千手、如意輪のすべてが観音で主尊を占めています。 ところがここだけはごらんのように如来になっていて、それだけでも めずらしく価値があると思うのですが・・・・。 ちなみに年号などの文字は彫られていませんでした。

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