生野町小野庚申堂

所在地:朝来市生野町小野
生野町を通過する国道429で銀山湖へ向かっていると、心の声が『右に曲がりんしゃい』と言う。 そこは生野銀山の観光坑道への曲がり角。心の声に従って曲がってみると、橋を渡ってすぐのところに 『庚申堂』と小さな看板があった。 生野には『七所庚申』というのがあると聞くので、これがその一つかもしれず覗いてみることにする。
このトタン壁の小屋が庚申堂でした。ガラスドアに鍵が掛かっていて、外から覗いてみると 木造の青面金剛が奥にお祀りされているようです。『七所庚申』は石仏のそれなので ここは違ったなあと、ちょっとがっかり。ところがこの外にあった石仏の一番右が とんでもない石仏でした。

赤い前垂れを取ってみて、しげしげと眺めてみるが、正直なんの石仏かわからない。 ただ、生野にいくつかある行司作の石仏と非常に雰囲気が似ているので、表面にその銘がないかと 舐めるように探してみる。う〜ん、それも空振りでした。でも、そっくりやなあ・・・。
基台に文字が彫られているのでそれを読んでみる。右横には年号が彫られているようだが隙間が狭くて 読みにくい。『文政八乙酉年(1825)六月日』とある。私は行司さんは明治の人と思っているのでやはり違うようだ。 正面にはこうある『施主 藝пiげいりとは芸州のこと。今の広島県です)豊田郡 の下にとあるのはのこと。  の右下にがあるのは土の異体字。したがって和土村の  為冶良(ためじろう)ということか』

兵庫の生野になぜ広島のためじろうさんがこの石仏を・・・・。 生野の銀山に出稼ぎに来たのかなあ?

さて、肝心の石仏ですが、一面六臂で坐像。蓮華座の下の丸みを帯びたものはなんでしょう? 最初は何かの菩薩かと思いましたが、よく見ると円形の光背には炎が彫られています。 てことは、明王か!
家に帰って調べてみると、なんと『愛染明王』でした。この石仏自体が独特の簡略化しているので、 そうとう石仏にくわしい人でも即座の特定は難しいでしょう。下から順に見てみると、宝瓶の上に蓮華座があり結跏趺坐してる。 丸い光背は日輪を表す。第一の手は両手で五鈷杵、第二の手は右手に矢、左手に弓、第三の手は 右手に未敷蓮華、左手は金剛拳という握り拳。頭髪の部分でつぶれているようになった箇所はきっと獅子だったと思う。

うっすらと白と緑の彩色跡もありますが、愛染明王なら真っ赤に塗ってほしいものです。 愛染明王がどういう仏かは各自で調べてください。でも愛染明王の石仏はそうとう珍しい。 ここ兵庫県においては数体あるかないかだろうと想像する。その貴重な一体を偶然にも 見つけてしまった。心の声に感謝やね。

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