2014. 6.22. 日曜日
山南町五ヶ野に用事があってその帰り。正面に立派な茅葺きの屋根が見えた。来るたびに見えていたが、今日は時間があるので寄ってみる。 それは薬師堂で案内板によると県の文化財に指定されている。 創建は不明なれど応永二年(1395)には存在していたという記録がある。 棟札には『野瀬倉山仏光寺薬師如来堂』と記されているので これが正式な名称なのでしょう。 |
重しではありません | きれいな穴が開いている |
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おもしろいものを発見。小橋を渡って右手に数体の地蔵石仏が安置された地蔵堂がある。 その側面にある木製の桁にはたくさんの石がぶら下げられている。 よく見るとそのすべての石に穴が空けられていて、そこに針金が通されているのだった。
そばにある民家のおじいさんに尋ねてみると耳の病気などの治癒を願って祈願のためにぶら下げているのだそうだ。
なるほど、ここの薬師さんは耳の薬師のようだ。
驚くことにおじいさんが言うにはこれらに石は人為的に穴が空けられたものではなく、あくまでも 自然に空いた石を探し出してつり下げられたものと言う。果たしてそんな石があちこちに 転がっているものだろうか?(^_^;)
おじいさんのおもしろい話はさらに続く。昔、子供たちがこの石を投げて遊んだりしていたという。
するとその夜、子供の耳が急に痛み出した。驚いた親がいきさつを聞き、投げられた石を探し出して
再度吊るし直したて事なきを得たという。
おじいさんの許可をもらってお堂の中に入ってみる。中央の仏壇の上を見てさらにびっくり。 表で見たものよりさらにでかい石がたくさんぶらさがっていた。もし、これらに年号やら寄進者の 名前が書かれていたら一種のタイムカプセルのようなもの、それらを読み解くとおもしろいだろうなあ。
ここは穴の空いた石ですが、地方によっては錐を奉納するのだそうだ。錐で耳の穴を通して聞きやすくするってことだろうか?
想像するだけで痛いけど・・・。
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向かって左側。大師像がほとんど | むかって右側。十王の塑像 |
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仏壇の左右奥には小さな塑像が並べられている。右側には阿弥陀、地蔵、そして多くの大師像。 たくさんある大師像たちはひょっとしたら家にあったものをこちらに持ってきたのかも。 右側奥にはこれまためずらしい十王の塑像。一番大きいのが閻魔だ。 これらは最初からここにあったか、あるいは近くに十王堂があったのかも・・・。
仏壇の格子戸の隙間から本尊である薬師如来を拝む。「オン、コロコロ・・・・」と真言を唱える。
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格子戸の隙間から本尊を拝む | 御利益のある谷川の水 |
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ほとんど色の落ちかけた絵馬(歌舞伎の一場面のようだ)とかも飾られているが、おもしろいものがあった。 薄くスライスした木の板に墨書きで書かれている。読んでみると『牧山十勝中野瀬倉山佛光寺薬師堂前谷川流水の由来』とある。 さらに、『いに志恵に 都岩垣来りきて 万病治たる 水もありける』 つまりお堂の前の水をいただくと万病が治るということか。これを書いた人は『昭和二年五月 八十一翁 篠峯山人』とある。 ということは1846年(弘化三年)ごろのお生まれということ!! しかも号(今で言うところのペンネーム)が格好いい。五ヶ野にぴったりな篠ヶ峯をもじっている。こんな粋人の語る 昔話をぜひ聞いてみたかったものだ。 |