はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『村雲』を参照していただくようお願いいたします。 2019. 4. 7. 日曜日 晴れ 気温 あったか
今から9年ほど前に神戸新聞に『伝承安富』なる郷土史の小冊子が地元の人たちの手で できたと記事に出ていた。市販されるものではないのだが厚かましくも編集責任者のご自宅へ 伺って譲ってもらうことができた。
内容は地元の人でなくては知り得ないようなおもしろい伝承の数々。その中でも気になったのが
今回の鉢巻山のこと。最近手に入れた『播磨傳説風土記』(昭和55年、読売新聞姫路支局編)にも
さらに詳しい記述があり、是非とも登ってみたいとTQFさんを誘ってみた。
|
参考になった本 | 別荘地の途中から鉢巻山を見る |
---|
この二冊の本に書かれている鉢巻山(八巻山)の記述とは山頂付近に平家の落人屋敷の跡が あったのだという。 また別の資料(何だったか忘れたが)それには城跡だとあった。場所からして 城跡とか砦跡とは考えにくい。落人屋敷としたら人里から隠れての隠遁生活にはうってつけのロケーションだ。 現在もその跡が残っているのか、それらしい場所はあるのか・・・。ぜひ確かめてみたい。 |
別荘地の最上部に駐車 | スタートします |
---|
そしてその山は安富町関にある別荘地(関レークタウン)裏手のピークだという。 下山予定地のカニワ口渓谷の分岐にTQFさんの車を止めて、私の車で別荘地の 最上部へ。たまたま最上部の住人がいたので駐車の許可ももらうことができた。 9時20分スタート。 |
尾根を登る | 急なところもあります |
---|
別荘地の最上部には斜面を上がる遊歩道もあるのだがどこで行き止まりなのか不明なのと もはや崩れかけているので利用しないことに。地形図を見ると 頂上から別荘地へつながっている尾根があるのでそれを利用する。取り付いてみると 切り開きもあって歩き良い。 |
別荘地を見下ろす | 鉢巻山山頂に着 |
---|
取り付き箇所から30分ほどで頂上。標高791.3m、四等三角点『大河』。 周辺はアセビ主体のヤブで展望は皆無。それほど広くはなくここが屋敷跡とは思えない。 TQFさん曰く、廻りを囲まれたような平坦地でないと風がまともに当たるから ここじゃない・・・と。
まさにそういう場所があった(別途地図の『B』)。周辺は少し高くまるで土塁に囲まれているようで まさに風よけになっている。鉢巻山の山名由来はこの土塁がお鉢の縁のように見えるからでしょうか。 江戸時代、元文年間(1736−40)、ここにあった樹齢数百年の大木を切ったところ、木の中から三脚の 五徳が出てきたという。しかるべき人が見て「これは鎌倉時代のものだ。きっと平家の遺物に違いない」
江戸中期に書かれた『播磨鑑』にも『水尾明神の山上に平家屋敷といふ跡あり。馬場もあり』と載っているという。 また、大正時代に村の人が屋敷跡を掘り返したところ地中から古い焼き物の破片が出たという。 当時のことだから純朴な村人は落人のたたりを恐れて投げ出して帰った。
平家かどうかは別として、誰かがあるいは数人の人がなんらかの理由でここに住居していたと思われる。
今もここを掘り返す探求者がいたらおもしろいんですけどね。
|
鉄塔でランチにする | ここから道は楽になる |
---|
この屋敷跡から踏み跡はいきなり無くなる。尾根の上は歩けないほどのヤブなので 斜面をはつりながらクリアすると今度は転がり落ちそうな激下り。 なんとか辿り付いたのは『播磨中央線6』鉄塔。11時着。 ここで早いランチ休憩。目の前には雪彦の大天井ピーク、山腹には千丈敷きも確認出来た。 |
地図の『C』付近から北を見る | 地図の『*14』で縦走終了 |
---|
姫路市と宍粟市との境界尾根には11時40分。今までは北向けに歩いている感じだったが、 ここからは東向けの感じとなる。この辺も巡視路なので割と楽に歩けます。 鉄塔12,13,14とクリアしてさらに行けば三辻山の赤白鉄塔を経て下山も可能ですが 暑さでへばっているので近くにある谷を下ることにする。 |
県道430です | この辺は巡視路なので楽ちん |
---|
*14鉄塔手前の谷を下ることにする。ほんとうは*14からある尾根を下るほうが 良いのだが、今回利用した谷は県道430の未成なのでひょっとして歩き良いのでは?と 思ったからです。結果はご覧のように大変な箇所でしたが、炭焼き窯跡が数カ所あったので 昔は村の人が通い詰めた谷だったようです。 |
廃キャンプ場を過ぎると | ゴールです |
---|
荒れたソマ道(関電の巡視路ですけど)から砂防ダムを過ぎると幅広の林道になる。そして 廃キャンプ場を過ぎると『千寿の水』のゴール。14時15分。 TQFさんの車で別荘地のスタート地点へ戻って解散。 私だけ水尾神社へ向かうことにする。 |
水尾神社に立ち寄る | 小さいながらも随神門もあった |
---|
小さな神社だが歴史は古い。本殿にあった棟札には暦応元年(1338)10月13日銘があるという。 この棟札には讃岐の女性の名前が記されていて、この関の地に自分の血縁がいるということで 訪れたところ、その相手がすでに亡くなっていたのでその供養のために水尾神社を建てたという 説もあるらしい。その伝説と棟札の古さから平家の落人伝説も生まれたのかもしれない。 さらなる昔話として、一宮の伊和神社の神様が安師姫という美しい神様にプロポーズするものの 断られた腹いせに川をせき止めてしまったという。 その堰のあるところが現在の関集落だといわれています。
今回の鉢巻山の地図は
こちら(約730k)
でごらんください。 |