燈明寺〜荒木城趾

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『村雲』を参照していただくようお願いいたします。

2018. 2.24.  土曜日  晴れ  気温  さむい

新川氏が25日に篠山の細工所にある荒木城趾へ行くという。それではと、前日の24日に 先乗り隊として私が行ってみようと考える。ただ荒木城趾に登るだけではおもしろくない。 そこからちょっと東の尾根上にお寺のマークがある。燈明寺という無住の寺だが、そこから 荒木城趾へ行くのはどうだろう?新川氏曰く「けっこうアップダウンがあるからMTBは無理やろ・・・」 そう、このおっさんはMTBで走る気まんまんなのだ。
草ノ上集落を行く林道になった

集落入口にある農協前にスペースに車を止める。そこから集落の奥へ向かって歩いて行く。 前述の燈明寺へは行かずに集落の最奥にある三熊という集落へ抜ける峠まで行ってみようと思う。 そこから荒木城趾までなら歩き応えも充分ありそうだ。途中の民家で峠のことを聞いてみたが 名前も無く現在では利用もされていないという。
森の中に見えた謎の祭祀場跡この先で間違う

おもしろい物を発見。うっそうとした森の中に二つの大岩は磐座だろうか?木柱で出来た一対の灯籠が ある。さきほどの民家に戻って聞けば何かわかるはず。林道からいつも歩くような山道となる。 まもなく峠の入口のはずだ。ところが目的の谷を一つ間違ってしまい別途地図のような軌跡を描いてしまう。
峠の様子

稜線に出て自分の間違いに気づく。ほんとの峠はすぐそばなので当然立ち寄る。 その峠に到着してみると 三熊方向にも、草ノ上の方向にはちゃんと道があった。その道で来られなかった ことが残念だったが方向を転じて荒木城趾へ向かう。 近くに猟犬がいるようでみるみるうちに猟犬の荒い息づかいが近づいてきたが なんとか引き離して495ピークへ。
495ピークから下った箇所

495からの下りの最後が激下りでたいへんだったが、そこは地形図ではわからないちょっと複雑な地形だった。 上の写真にある矢印の方向に行くと『C』になる。

実は明治の地形図を見ると『C』付近から『E』を経て『G』まで山腹を縫うように道が存在している。 それが現在もあるのかどうかの確認も今日の課題の一つだった。 『C』に来てみるとそれがあったので驚くとともに行けるところまでそれを歩くことに。

明治の道を行くこの先の倒木帯でギブアップ

このまま良い路面なら新川氏待望のMTBで走れるコースになるのだが、残念なことに 『E』地点で倒木帯に出会ってしまう。抜けても難路になりそうだったので意を決して 稜線まで這い上がることにする。
稜線はまあまあ良い道不思議な平坦地の奥を行くと・・・
燈明寺の裏手から出てくるお堂の正面に回る

明治の道に未練はあったが楽に進めそうになかったので稜線に出た。 まもなく燈明寺というころ、地形も微妙な変化をしてくる。どうみても人工的な 平坦地があったりする。

小さなピークを回り込むとそこが燈明寺のお堂の裏手だった。歴代住職の墓石があったりする。 現在は無住ですが掃除が行き届いていてゴミなどはない。 お堂の中は何が納められているのか不明。

右は丹波山上左は謎・・・・
剣に巻き付く竜は倶利伽羅不動です周辺の探索が終わればお堂裏のピークに行く

お堂の裏手にあるピークに行ってみるが、その前にお堂周辺の石造物を眺めてみる。 そこには倶利伽羅不動、お堂の後ろの穴ボコには不動明王、そして階段の両脇にある石柱。

むかって右には『丹波山上』とある。山上とは奈良の大峯を指す。つまりここは丹波の大峯ですよと いう意味。わからないのは左の石柱だ。最初の種字は大日如来を表す『ア』かと思ったが、どうも 大黒天(摩利支天のこともあり)の『マ』のようだ。二つ目はカタカナの『ツ』を左右逆転しているよう、 三つ目はひらがなの『く』のようにも見えるがもちろん何かを意味しているはず。知りたいなあ・・・。

ピークは真っ平らで広いお塚さんもあったりする

頂上は真っ平らでしかも広い。 不動明王を中心に役行者と万光坊と三つの石造物がある。ほかにも周辺には稲荷神社などでよく見かける お塚さんも数基あった。 現在は何か建物があったような形跡はないが最初の平坦地とか このピークなどをも含めて広範囲な修験道場があったと思う。 結論としてはこの燈明寺は丹波修験道の流れを汲むものだろうと想像できる。

この燈明寺から草ノ上への道は明確で幡路(はだち)への道はほぼ消失らしい(新川氏談)。 さて、ここからスピードアップ。461ピークは燈明寺山と言う。そこでランチして 下りた『G』で明治道と合流。その方向を見るとすごい倒木ヤブだった。 (翌日、新川隊はここをMTBで通過したらしい)

『G』から徐々に道は良くなってくるのだ倒木をどければMTB乗れ乗れ

『G』からは道の素性は劇的に良くなる。素性が良いというのは崩れたところとか、妙に 荒れた部分がなく、倒木さえどければ遊歩道クラスの道ということ。 そのまま歩き続けたかったが途中の『H』にあるという『幡路城趾』に立ち寄ってみる。 地形的には砦跡の雰囲気があるが実際はそうでもなかった。ガセネタか?
どんどん良くなる荒木城趾から離れてしまいそうでUターンする

尾根道に戻る。冒頭に書いたがこの尾根道も多少のアップダウンがあるのでMTB的には 難しそうだと思ったが、実際はその小さなピークを巻くように道があって下り基調の よだれの出る道だった。

気持ちよく下って行く。気がつくと細工所へ下りきってしまいそうだ。地形図で確認して 『K』からUターンして荒木城を目指すことに。

本丸跡山城ウオッチャーがいた!

Uターンした時点ではさほどはっきりした道ではなかったが登るにつれて しっかりとした道になってきた。ここも昔は城へと続く道だったのだろう。 細工所からある正規の登山に整備もされていて道標なども ちゃんとあるらしい。

本丸跡には13時。昔はここもヤブだったらしいが、現在は広々とした空間が広がっている。 焚き火の跡なんかもあってたぶん初日の出とかに利用したのかも。 本丸の下の曲輪で単独若者発見。聞けば滋賀県からやってきたという。 街でチャラチャラしてないで山城ウォッチとは感心。(^_^;)

北出郭にも掘切があった左近神社は素通り

本丸跡から北出郭方向へ下山。掘切もちゃんとある。 『M』から左近神社へ下るつもりが道なりに下ってしまってミスコース。 できるだけ草ノ上に近づきたいので地図のようなルートで下山。
くげ蕎麦へ閉店時間に間に合った

下山して草ノ上へ急いで帰る。というのもここにあるそば屋さん『くげ蕎麦』の閉店時間に間に合いそうなのだ。 汚い格好で飛び込んでみると客はもうだれも居なかったがオーダーOKだった。 翌日、新川、斎藤隊も行ったらしいが終わっていたらしい。がはははは・・・。

今回の燈明寺〜荒木城趾の地図は こちら(約260k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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