粟鹿峰〜西光寺寺跡

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『大名草』、『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。

2017.12. 3.  日曜日  晴れ  気温  さむい

佐治から昔の道に沿って大稗に向かっていると道沿いに石仏がある。 『明治十四年 十月建之』とあり、さらに『左 大稗』『右 小稗』とある。 今日はその小稗から登って粟鹿山へ向かい下山は大稗に下る予定だ。
街道沿いにある石仏大稗の分岐にある案内板

下山地に予定している大稗には神谷山再興寺という臨済宗の寺がある。そこには三体の如来仏像がある。 それまでは江戸時代の作だと思われていたのだが、平成20年の調査で平安末期から鎌倉初期のものと判明。 一気にその価値が見直されたという次第。
神谷山再興寺三体の如来像を拝観させてもらった

今年の春にたまたまこの寺に訪れたとき、ラッキーにもその仏像を拝観することができた。 向かって右から『薬師』『釈迦』『阿弥陀』となっている。この並びに気づいた人もいるかもしれないが 薬師は東を表し、阿弥陀は西を表す。そして中央の釈迦という具合だ。

この仏像もおもしろいが、再興寺はさらにおもしろい逸話がある。 もとは粟鹿峰の中腹に法道仙人開基の西光寺(天台宗)として存在してたのだが火事で焼失。 その際、谷川に落ちた三如来を持ち帰ってここに安置したという。そして戦国武将として有名な 後藤又兵衛の息子了徹和尚によって臨済宗再興寺として名前通り再興されたというわけだ。

なんともわくわくするような伝説だが、その西光寺とはどこにあったのだろうか? 大稗の古老に聞いても具体的は場所はわからないという。 ただ、言い伝えでは山仕事でその寺跡(寺屋敷という字があったらしい)では地面から 瓦の破片などが出てきたという。今日はその場所の探索という壮大な?目標がある。

八坂神社の駐車場から登る神社ではなにやら神事が

まずは前述どおりに小稗に向かう。集落の入口付近に八坂神社がある。そこから尾根に取り付いて 小稗と大稗の境界尾根を歩いてみようという計画だ。民家のおじさんにことわりして広場に駐車。 9時10分スタート。石の鳥居をくぐり、石段を登っていく。すぐに本殿だがそこには たくさんの人がいた。どうやら下にあった車はこの人たちだったようだ。

聞くと『おとうわたし』という神事らしい。漢字で書くと『お当渡し?』つまり神社の 世話をする当番の引き継ぎということらしい。あちらもいきなり見知らぬ男がやってきたので 驚いている風だった。ここでは省略だがいろいろとおもしろい話も聞けた。

八坂神社の本殿彫り物がすばらしい

無人になったのでゆっくりと本殿を見る。八坂神社というぐらいだから祭神は素戔嗚尊だろう (元は牛頭天王のはず)。京都の八坂からか、姫路の広峰か、どこからの勧請かは不明。 囲屋に守られた小さな本殿の彫り物がすばらしい。木鼻をはじめ、正面には龍。また獅子噛みもあるし、 本殿の両サイドには脇障子もちゃんとある。銘があるかと探したが見つからなかった。 丹波は中井権次一統が有名だがその流れをくんでいるんじゃないかな。
小稗と大稗の境界尾根を進む『B』地点にあった再興寺へ下る道

八坂神社から斜面をよじ登って尾根に取り付く。ヤブは無くてほぼ普通に歩ける。 地形図で寺跡の候補になるような平坦地をいくつかピックアップしていたので そこに着くたびに周辺を丹念に見てみる。いずれも空振りだったが『B』地点に来たときに 再興寺へ降りる道を発見。山中に寺跡があったということは里からの参道が必ずあったはず。 これがそうなら近くの平坦地を探せば良い。
鉄塔で小休止小稗の集落を見る

結局それらしい所はなかった。送電線鉄塔の日だまりで小休止。ここまでで寺跡らしき所がなかったということは この尾根ではないようだ。この鉄塔から先は激登りが続くので気合いを入れる。 へろへろになりながらも登り続ける。 なんとか814の主稜線ピークにたどり着く。11時20分。
周辺は茅刈場だった大稗で見つけたキンマ(木馬)

この辺まで来ると周辺の斜面は茅まみれだ。昔はここは大稗の茅刈場だった。 『大稗茅』というブランド名まで付くほど有名で質の良い値段の高い茅だった。 大稗で納屋の隙間から覗いているキンマ(木馬)を見つけたとき「木材を降ろすのに使ったのですか?」と聞くと 「茅を降ろすのに使ったんや」と言うことだった。大稗をはじめとする神楽邑(しぐらむら)は 蚕による絹糸の生産地だったが、この茅もまたお金を産む産業の一つだった。
山頂が見えてホッとする歩き良くなってくる

茅刈場の尾根は背丈以上の茅のために視界ゼロ。かき分けながら進んでいく。かき分けるその向こうには 粟鹿峰の山頂がようやく見えて来た。昔、ここをMTBを頭上高く持ち上げて進んだことを思い出す。 今はカメラを持ち上げて進む。茅刈場はいきなり終わり下草のまったくない尾根になる。 これも昔は笹に覆われた尾根だったのだが・・・。
与布土コースとの分岐『E』トイレの裏から出てくる

与布土コースと分岐も昔とずいぶん変わってしまっている。まず与布土コース自体が 無くなっている。それは与布土ダム工事のためにアクセス道路が数年にわたって通行止めに なったこともあるし、大雨の災害のための道崩壊などもある。 ただ、ここからけえ坂には行けるので今日のエスケープには使える。
山頂パラが飛んでいた

管理舗装路を少し歩いて電波塔などに囲まれた小さなピークが一等三角点のある 粟鹿峰山頂。12時10分。霜柱がこの時間でも溶けてないのでザクザクと音を立てて 山頂へ。小学生たちが造った小さなケルンのそばでランチをしていると 岩屋山から飛んできたパラグライダーが手の届きそうな所を飛んでいる。 手を振ると答えてくれた。
竹田城趾頂上から見える縦断林道

広範囲に写真も撮ってみたがもう少し大気が澄んでいないとだめみたい。 頂上の真下には縦断林道が見えている。遠坂トンネルの入口付近から自転車で ヒルクライムして黒川ダムへ抜けるのもおもしろいかも。
麓からも茅刈場はきれいに見える仏岩に立つ

12時40分下山開始。茅刈場までは往路をたどる。そこから茅をかき分けて杉がたわへの 尾根を下ることにする。途中には仏岩もある。仏岩は一つだけではなく茅の斜面にいくつか 屹立しているのだ。その一つに立ってみる。当然展望良し!昔は大稗の人たちが大勢登ってき てこの風景を眺めつつ茅を刈ったのだろう。
るんるんで下って行くと・・・鉱石の露天掘り跡

この先に寺の跡は発見できるのだろうか?一応候補地は地図にマーキングしているので それを目指して下って行くと、いきなり切り立った岩の断崖になった。降り立ってみると 、どうみてもそれは鉱石の露天掘りの跡だ。近辺を詳細に探せば抗口もあるかもしれない。 その先には積み出しのための道も確認。

下山後に聞き取りをしたらニッケル鉱山だったらしい。どれほどの量が採掘されたか不明だが 戦時中なら貴重な資源だったかもしれない。

池があった跡広い平坦地

雑木の明るい尾根から暗い植林帯に入った。すると目の前に不自然にも見える窪地があった。 その前には広い平坦地。そのどちらも現在は植林されているが、なにもなければ どうみてもなにかあったような雰囲気だ。 しかもここからはしっかりとした道が集落へ向かって下っている。
すごく良い道566ピークを巻いているが・・・

もし、ここが寺跡と想定するならば、いくつかの条件を満たせばその可能性は大となる。 一つは広い平坦地があること、二つ目は水場があること、三つ目は里からの参道があること。 ここはその三つがそろっている。あとは具体的な遺物、瓦とか、礎石とかが出てくれば良い。

この明確な道(参道?)は566ピークを巻いている。このまま巻いていけば杉がたわへ 行くはずだが、途中で下り始めた。ありゃあと思っていると『K』で分岐になっていた。 一つはまっすぐに里へ下りている。もう一つは杉がたわの峠道方向へ向かっている。 あの峠道のどこに繋がっているのか知りたくてそちらへ歩き始める。

大稗の集落から茅刈場を見る

「そうか、こんなところに出てくるんかあ」それは、以前気になってちょっと覗いてみた箇所だった。 そのまま何度か歩いた峠道を足早に下って大稗の集落へ。

古老に聞くとあの池跡はほんとうに池で、冬場はあそこで氷を造って里にある二箇所の氷室で保管していたという (そのための池の掃除などを村で行っていたそうだ)。 その氷室跡は今でも残っているそうだ。

私があそこが伝説にある寺跡だったのでは?と言うと、そういう意識を持って通っていなかった (単に冬場に氷を造るだけの池のある場所)ので そうかなあ?ということだった。伝説では西光寺は黒川の大明寺と同じような規模だったということだ。 あの三如来がここにあったとするとたしかにそれぐらいの寺だったかも。

小稗の駐車ポイントには15時20分。

今回の粟鹿峰〜西光寺寺跡の地図は こちら(約570k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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