はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『但馬新井』を参照していただくようお願いいたします。 2014. 3.24. 日曜日 曇り時々晴れ 気温 ふつう
ここは短いコースなので何かの折に歩こうと思っていたがなかなかそのタイミングにならない。 ただ、いつでも良いと言うわけにはいかないのは、ここには山ヒルがいるので 寒い時期でないと都合が悪いのだが、まだ3月なので大丈夫でしょう。 このコースのハイライトはゴールに設定した立脇城跡と、その 途中にあるであろういくつかの峠だ。 |
朝来支所に止める | 稲荷社を通過。この道路が神新軌道だったかも |
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駐車場は朝来支所のそれを借りる。8時45分スタート。そこから新井の町を南に歩いていく。この山塊をなんて呼んでいいのか わからないが、円山川と八代川に挟まれた細い山塊で一番高いところで300mほど、平均すると 250mほどしかない低い山塊で、八代と新井を隔てている。
新井のメインストリートを歩かずに西となりにある細い道を南へ。途中にある播但線新井の駅やら
大きなお寺である神照院などに立ち寄りながら歩く。昔、神子畑方向からトロッコ鉄道(神新軌道)が
新井駅まで通じていたのだがその名残を探し出すことはできなかった。
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トンネルの横手に林道がある | それを登る |
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新井山塊の南端には稲荷社がある。ここから登れるかと周辺を見たが、あまりよくなさそうだったので さらに先を行く。いつも車で通るときに目をつけていた林道があるのでそこへ行ってみる。 それは『あさご夢トンネル』横手の谷にある。昔は薄暗い谷に踏み跡があるなあという程度だったのだが つい最近林業用に整備されたようだ。
入り口の金網をすり抜けて
谷沿いの林道を行く。標高200mほどの地点から反時計回りで回り込み支尾根に乗る。林道はさらに続いているものの
目的の『E』のピークの下を回り込んでいるだけなので、ここより稜線へ登ることに。
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ここから稜線へ取り付く | 崎山の山頂 |
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標高280mほどの低いピークだが、麓で農作業しているおじさんに聞くと『崎山(さきやま)』と 言う山名があった。その山頂手前には堀切がある!はて?と思いつつ山頂へ行くとそこは真っ平ら。 けっこうな広さであった。木々のあいだからは312と新井の町並が見える。 その山頂から北へ下るとそこにも堀切が。ということは崎山も砦跡なのかも。 |
崎山から良い道が続く | あきらかに峠と思える『F』 |
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稜線上には藪もなく快適に歩ける道がある。しばらくすると左右に道のある峠らしい『F』地点に 到着。地形図を見るとなるほど峠にうってつけの場所だ。残念ながら石仏などは無かったが 新井の方向はちょうど神照院へ向かっているように見えた。神照院に聞けば峠の名前などがわかるかも。 |
気持ちよい道が続く | 道を挟んで馬場山が近い |
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ずーっと快適な道が続く。西にある八代の集落を貫く県道の向こうには馬場山があって ここからだと大きく見える。『G』の三等三角点ピーク(標高274.9m)には10時25分。 山名は不明、点名は『社』となっているがほんとうなら八代とするべき?
地形図を見ると点名『社』から鞍部へ下る途中に稜線上を交差する道があるように描かれている。
が、そんな道は存在しなかった。ごくセオリー通りに鞍部に峠があった。10時35分。
深めの切り通しの峠で新井側にはきれいな山道が下っている。八代側は林道が尾根と並走しており 旧の峠道は消失しているのかも。そして峠には小さなお堂があり見た目はそうとうにガタが来ている。 扉は開け放たれており中には石仏が4体もあった。 丸彫りの地蔵菩薩が3体、舟形の地蔵が1体。 |
峠を見守ってきた | 林道側から見た峠 |
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その舟形の地蔵の後背部分の彫り文字を見る。『ニイ中念佛講中』『明治廿三年寅七月廿四日』 『世話人 羽渕某』とあった。石仏は明治でもこの峠のありようからみて中八代に集落が できた時点で新井との通行のためにできたのだろう。 後日(9月)、生野のイベントにて新井にお住まいのH氏よりこの峠の名前を教えていただけた。 『青坂』という名前でした。昔は荷車なども通行していたという。
教えていだたいた時には思いつかなかったのだが、翌日、どういう意味で『青坂』と名付けられたか
インスピレーションがひらめいた。地形図を見ると中八代、あるいは建屋方面から青倉神社へお詣りするには
この峠は最適なルートなのだ。それ故の『青坂』という命名だったのでは?
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おなかが減ってきたし | 『I』に到着 |
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おなかも減ってきてちょっとおやつを食べる。今日はランチも持ってきていない。お昼までに下山して 近くにある『オークヤード』でランチをしたかったのです。
11時05分『I』の峠に着。峠はきっちりと残っているものの、左右の道は消失しているようにも見える。
そのためか目的地である立脇城跡の堀切の遺構ではないかと思ったりする。
ふと視界が広がると新井側の斜面に緑の反射板があって、そこは絶好の展望地だった。 そういえば道路からも見えていたので視線を移動させると支所の駐車場も見える。 ガタンゴトンと音がして播但線の2両編成が新井の駅に入ろうとしていた。 城跡はまだ先のはずなので急ぐ。
明るい雑木の尾根を登っていくと曲輪跡があって、それを乗り越えると頂上だった。11時20分。
頂上は四等三角点『立脇』標高313.4mがある。古い地形図には三角点の記載がなく、標高も309mとなっていて
今回はそれを見て登っていたので三角点の存在は知らなかった。。
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立脇城跡 | 北斜面の曲輪跡を見る |
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三角点があるために周辺は切り開かれているが展望は馬場山以外ない。北側の斜面を覗いてみると きれいな曲輪跡が残っていた。登ってきた方向の曲輪は崩れていてあまりきれいとは言えなかった。 さて、下山はどうしようか・・・。
北斜面を下って『あすなろトンネル』の出口付近に降りるか、あるいは『I』の峠から下りる道を探して
中学校へ降りるか。早くランチを食べたいので後者を選択する。緑の反射板付近を見るとうっすらと道らしき
ものを発見。それが『I』からの道だった。
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中学校の裏手にある道 | そこから多々良木の谷を見る |
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最初は危なっかしい道だったが鹿避けネットをくぐり抜けると中学校を見下ろす遊歩道となる。 そこからは312号線の道の駅とか多々良木の谷も見える。テニスのクラブで賑やかな中学校の敷地を横断する。 リュックを担いだ変なおやじがいきなり現れたので不審だったかも。中学校を横断せずに 神社から住宅地内の道へ出るのが正解がったかも。
立脇城趾から下山する途中に立木のあいだから竹田城趾が見えた。ということは山頂を整備すると 山頂からも竹田城が見え、しかも同じ円山川の山城なので雲海も楽しめるはず。 こんなお宝ポイントをほったらかしているなんて朝来市ももったいない・・・。 (ただし、朝来中学校の裏手は山ヒルの温床となっているが) 支所の駐車場には12時前。大急ぎで『オークヤード』へ向かったが、大勢の客で駐車場は満杯。 汚い格好で乱入するわけにもいかず空腹のまま後にする。
今回の立脇城跡の地図は
こちら(約80k)
でごらんください。 |