はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『延助』を参照していただくようお願いいたします。 2014.10.26. 日曜日 晴れ 気温 ふつう
それこそ20年前からMTBでチャレンジしてみたい山でした。地形図に描かれている登山道を見るだけでも MTBが乗れるのがわかる。ショートコースなのが残念だが、大山を望むには一番のピークだし、 時期的にもちょうど良いし、特に予定もなかったので 前日から準備を済ませて早朝(たいして早くなかったけど)に出発。
いつも帰省に使う米子道から見える山だが 日頃は意識していないので、どの辺だったかなあと目を凝らす。 出口である蒜山IC手前からが一番よかった。国道を西に進んで内海乢から左折。三平山の標識を目印に 舗装林道をさらに・・・。
8時半に到着して準備をしていると家族連れの車がやってきた。えらい早い時間から登るんやなあ。 私も急がねば!そそくさと準備をして「おさきに〜」と出発。出だしは階段だが写真に写っている箇所だけで その後は遊歩道状態だ。 |
まさに遊歩道 | 樹林帯を抜けて明るい |
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ジグザグに付けられた登山道(遊歩道)を登っていく。樹林帯を抜けるといきなり明るい道となる。 砕石が敷き詰められていてまさに遊歩道そのもの。ここまでの途中に三カ所ほど 道が崩れているところがあって、それ以外は全乗りなので下りが楽しみだ。 |
土塁と合流 | 頂上まで一直線 |
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稜線と合流したら土塁の説明板があった。明治31年に陸軍の軍馬養成場としてこの周辺が軍に 接収されたときに馬が外に出ないように建設されたという。総延長56kというからすごい。 兵庫県でいうところの暁晴山周辺がここと同様に土塁で囲まれているのは周知。 地形図を見るとここから内海乢方向にも道の表示がある。覗いてみると笹が生え混んでおり 、しっかりとした道とは言えない状態だった。ここは旧国体で使われたコースなので 奥へいくと案外しっかりしているかも。ここが整備されればコースバリエーションが増えていいと思う。
土塁道は昔はけっこう高さがあったはず(暁晴山周辺のそれは今でも高いままある)。長い年月の浸食やら、
ハイカーに踏まれて背も低くなり、真ん中もえぐれている。路面は粘土質なので下りは滑るかも・・・。
頂上には9時半。登山口からゆっくり歩いて45分だった。評判通りの大展望だ。セルフ撮りをしていると、 駐車場で出会った家族連れも登ってきたのでお互いのカメラで記念写真を撮りあう。 |
三角点の所から撮影。もうすこし空気が澄んでいれば最高だっただろう |
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三等三角点は笹の中にある。そこから見る大山も格別だ。もうちょっと空気が澄んでいれば 弓ヶ浜方向もくっきりと見えていただろう。
山頂にあるもう一つのものが『豊年様』と呼ばれる石の祠だ。正確にはこの祠にあったものが 『豊年様』で今あるものは単にその入れ物に過ぎない。明治五年に豊作祈願を願って建てられたという。 中にあったものは鏡なのか、石なのか、あるいは神像なのか、麓の白髪部落に行けばわかるかも。
祭神は豊受大神とあるが、倉稲魂命(うかのみたまとはお稲荷さんのこと)、大気都比売(オオゲツヒメ)、
保食神(ウケモチノカミ)などと同様に食物の神である。その中でも一番有名で、伊勢神宮の外宮に祀られていると言えば
誰もがわかるだろか。
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だんだんと賑わってきたぞ |
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とかなんとか言っているあいだに山頂は賑わってきた。麓に鳥取大学の施設があるが、そこの案内で 津山高校の一団、さらに岡山からスケッチをする団体・・・・。こりゃもう下山したほうが良いかも。 10時15分。
当初の予定では穴ヶ乢から登って山頂からは旧国体コースで下るという設定だった。が、穴ヶ乢からの
登りは激登りでしかも滑りやすいらしい。旧国体コースはさっき見たとおりヤブっている。
で、無難に遊歩道コースのピストンにした。念のためにタイヤの空気を抜いてグリップの確保に努める。
大山を見ながら豪快にダウンヒルと言いたいところだが、路面を凝視するので山は見えない。 しかも次から次にハイカーが登ってくるので、そのたびに立ち止まって挨拶、そしてやり過ごす。 バスの団体などもいたので総勢100人ぐらいはいたかも。
登山口で例の家族連れに追いついて10時40分下山完了。普通に下ったら10分もかからない。
これから登ろうとしているハイカーもいたりする。今日一日でいったい何人が登るのか?
私はMTBを車に積み込んで林道の奥へ進む。
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穴ヶ乢の入り口 | 峠まではすぐだった |
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当初登る計画だった穴ヶ乢へ行ってみる。案内板があってその前が広いスペースになっているので Uターンして止める。峠への入り口ははっきりしているが、白髪集落への道はどこにあるのか まったくわからなくなっていた。 |
石仏にご挨拶 | なんて彫ってある? |
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すぐに峠となる。朝鍋山と三平山縦走路の案内板もある。峠なので反対側の俣野方向への下り道もあるはず。 取り付き付近が崩れているがその先には踏み跡がありそう。ほとんど利用されていないのかもしれない。
そして峠にはおきまりの石仏がある。これを見るのがここに来た目的だ。地蔵菩薩立像で錫杖と宝珠を持っている。
顔は摩耗してわからないが衣紋はしっかりと残っている。年号は彫っていないが地蔵の頭に『菩提』とあるので
供養仏なのだろう。向かって右には『勇岳定健信士』と戒名があり、左手には『俗名 山口屋〇助』とあった。
東西どちらかの集落に縁のある人なのは間違いない。屋号があるので案外簡単に子孫がわかりそうだ。
今回の三平山の地図は
こちら(約90k)
でごらんください。 |