鳥脇山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『武田尾』、『広根』を参照していただくようお願いいたします。

2013. 2.24.  日曜日  晴れ  気温  寒い

ここんとこ10年ぶりシリーズが続いていますが、今回は鳥脇山です。 鳥脇集落側(宝塚市)から登るルートと、清和台側(川西市)から登るルートと、 大きく分けて二通りありますが、今回は川西市からの周回、それも2周ほどやってみようと考える。

スタート地点は肝川、戸隠神社前のスペースで8時45分スタート。 鳥脇山へのアプローチは何度も利用したことのある赤松林道。本来ならスムースにその入り口まで行けるはずだが、 10年ぶりで記憶が飛んでいるということと、この周辺の県道が整備されたため昔とはまったく雰囲気が違うのが 心配だ。

肝川の戸隠神社前がスタート差組大橋の信号を右へ

新川氏に教えてもらった一番のショートカットは県道12号でローソン手前の信号、差組大橋の所を右折。 続けて中山橋を越えて四差路を左へ。とりあえず後はまっすぐ。
中山橋を越えて左へ地図の『B』を右

コンクリ舗装の急坂を登る途中で右手に『青面金剛』の文字塔があった。そういえば昨日は 今年の初庚申だった!ここのは草に埋もれてお祀りされている様子はなかった。 さらに、右に平野神社、左に御坊山があり、どちらも寺跡の遺跡があるらしい。 今日はMTBがメインなので涙を呑んで素通りする。

登り切った所『B』の正面は住宅街。地図で確認して右の未舗装を走る。

すぐに舗装路に出る地図の『C』を右

すぐに舗装路に出る。後は一本道のはず。途中にあった高原寺の庭にはみごとな しだれ桜があった。今の時期はもちろんつぼみすら無いが、春にはみごとに咲くであろう 立派な枝振りだった。ちなみに赤松林道の途中から行くことのできる岩根山はこの高原寺の 山号である。

朝方から降ったり止んだりしていた雪がここにきて激しく降り出した。 昔はいいかげんな感じで地形図を見ていて、案外それが功を奏していた。 今は真剣に地形図とにらめっこしているのだが、今回はそれが仇となる。というのは 地形図にある赤松林道の入り口は間違っており、そこは民家の敷地内を示している。 実際の林道入り口はそれより手前で、写真のポイント『C』になる。木の幹に『岩根山頂へ』と看板もある。 9時25分。

林道沿いにある間歩延々と続く感じ

林道は入り口で左右に道が別れている。とうぜん左へ進む。入ったとたんに「ああ、こんなんやったわ」と 、赤松林道の雰囲気を思い出す。路面には陶器とか瓦片が砕石の代わりに敷き詰められている。 そしてすでに廃屋になって久しい別荘が何軒か存在しているのだった。

林道沿いに間歩(『まぶ』手掘りの坑道)があった。この近辺の山には多くの間歩がある。 スタート地点の肝川にも多くの坑道跡がある。その昔は多くの労働者で賑わったはずだ。 人間が多い集落には必然的に宗教施設が必要になってくる。途中、立ち寄らなかった寺院跡などは そういうたぐいのものだろうか。

林道終点

林道終点には10時。ほんとはもう少し先まで延びているのだがここから正面の斜面を登る。 何年前だったかは忘れたが、黄色矢印の先で林道は災害で崩れてしまい、その直後はそこを恐る恐る通過したことを思い出した。 現在あるこの迂回路はトラロープがあり、ステップも刻まれているので滑ることはない。
鉄塔に着。山頂はもうすぐこんな表示板もある

見覚えのある廃屋を過ぎてしばらくで急な登りとなり、それをクリアーすると送電線鉄塔になる。 ここから右にある巡視路(写真の黄色矢印)を行くと山頂をパスして西尾根に乗ることができる。 が、当然ここは正面を行く。

『バイク直進せよ』の標識があった。それにはさらに『路面保持の為! 森林組合』とある。 昔はここから左の直登コースだったのだが、標識に従って直進してみる。 路面保持のためとなっているが、登りは担ぐのでほとんど関係ないように思う。 逆にこの直登コースを下る場合は、確かに路面にダメージはあると思う。 迂回路は山頂手前で直登コースは合流するのだが、直登コースの下り方向にはこの表示は無く、 なんとなく片手落ち感が漂う。

しかし、頭ごなしに禁止とは書かずに、このような注意書きをされているのを見ると、この山に関して言えば MTBはある程度認知されているように感じる。

鳥脇山に到着

鳥脇山には10時25分着。誰かいるかと思ったが無人だった。小憩後、最初のループコースである 川西斎場へ向かう。木にぶら下がった標識には『けやき坂』と書かれていた。 ここも良く乗れるよいコースだが、右側は『立ち入り禁止 鴨神社』の立て札と、蜘蛛の巣のように たなびくヒモの残骸がいかにも汚い。自分の敷地にゴミをまき散らして、こんな無粋なことをする神社 の品格なぞ推して知るべしだ。
せっかくの良い道が・・・謎の一石五輪塔

445ピークには謎の五輪塔がある。それもミニでかわいい一石五輪塔だ。新川氏もなぜこんな所に あるのだろうかと不思議がっていた。このピークはけっこう平坦で広いので、なにかお堂か祠のような ものがあったのかもしれない。
めちゃ乗れ乗れ地図『G』ポイント

ここからはめちゃめちゃ乗れる。が、途中で鋭角に左折れしなければならない。 そのポイントを見逃さないようにと思っていたが、道なりに行けば自然にそれに 乗るようになっていた。

川西の斎場まではほぼノンストップで乗れるのだった。10年前と違い荒れているかと想像していたが、 人知れず利用しているMTBがいるようだ。斎場には11時着。 ここから再度赤松林道へ帰らねばならない。斎場のガードレールを越えれば舗装路だが、越えずに そのまま左下に続くプラ階段を下る。昔はその横にある溝の中をボブスレーのように 乗ったことがある。

金網の向こうに行きたいのだ地図『J』の峠

下りきった谷には管理道と左にあるため池からの水路が横切っている。水路は転落事故防止のためか、2重の金網で 囲われている。赤松林道へはその水路向こうにある古道を辿らねばならない。 何カ所か扉があるのだが、いずれも厳重に施錠がされていて向こうには行けそうにない。 そればかりかけやき坂の住宅地へ出ることさえできない。まったくの袋小路エリアになっていた。

住宅地へ脱出したものの、そのまま一般道で赤松林道へ復帰するのはめちゃ遠回りだ。 意を決して住宅地から水路の扉を乗り越える。これは反則かも。そんなことしなくても ため池からあるはずの巡視路で登っていけば難なく林道終点を越えた地点まで戻ってこれたのだ。 (地図参照。*印は送電線鉄塔の位置)

無理矢理乗り越えたが、古道の位置はわかっているので斜面を登って道を見つける。 そのまま前進すれば大きな切り通しの峠となる。その向こうはバブル時代の分譲地跡で 今でも『売り物件』の看板があるが、まったくの原野状態になっている。 赤松林道には11時30分復帰。

再度、鳥脇山頂に。今度は西尾根へ昔どおりに乗れる

1周目と同じルートで再度山頂へ。12時半。やはり誰もいなかった。お昼ごはんは持ってこなかったので とりあえずおやつを食べる。朝方と違って青空が広がりまあまあ暖かい。頃合いを見て西尾根へ。

さすがにここは昔どおりによく乗れる。というのも、この西尾根には三系統の送電線鉄塔が建っているので 尾根=巡視路となっているからだ。4本目の鉄塔を過ぎて406ピークへの担ぎ上げが苦しい。 このピーク下に問題の鉄塔がある。

406ピーク先の鉄塔から新ルートだ

昔はこの鉄塔から栗園へ抜けて宝塚側へ下山したのだが、今、そのコースは御法度。 したがって宝塚方向に下るときは途中にあるいくつかの下山路を利用しなければならない。 今回は肝川の戸隠神社へ帰るわけだが、それは新ルートを利用させてもらう。

今年の北摂ラリーにも利用されたコースだ。肝川にある『山の駅』のマスターが倒木排除、 路肩補修などで道として復活させたのだ。

良い感じ昔、来たことのある峠『K』

地図『K』の峠は昔、肝川から猪渕へ抜けるのに利用したことがある(黄色の矢印)。 が、現在こんな良いルートで復活しているとは思いもよらなかった。
台場クヌギもあるボブスレーコースだ

ルート沿いにはいくつかの炭焼き窯跡が点在している。ということは無理矢理造った コースではなく、昔からあった仕事道を復活させたということだ。 ルート沿いの台場クヌギは炭焼きに使われた名残だろうか。
谷に降り立つとゴールも間近あの向こうが舗装路

このまま直進すればつつじが丘の住宅地へ降りてしまうという地点で、鋭角にUターンするように 谷へと進路を変更する。いや〜、長いコースだった。舗装路には14時。 お腹は減ってフラフラだが、ここまで来て戸隠神社へ寄らないわけにはいかない。
戸隠神社拝殿修復された本殿

戸隠とあるからには祭神は手力雄命(たぢからおのみこと)は当然だ。 古事記を読んだことがあればその由来もわかっておもしろい。拝殿の裏にある 覆屋の中にある本殿は平成元年に解体修理されたもので、国指定重要文化財に指定されている。

それよりももっとおもしろいことが書かれていた。本殿は元々ここのあったのではなく 向いの山腹(地図『あ』)にあったという。当時は九頭大明神と言われたものが明治になって 戸隠神社と社名を改められた(その時に祭神も手力雄になる)。

九頭と言えば九頭龍のことで水神だ。同じ九頭の社名の社は川西にも池田にもたくさんあって、 多田源氏の伝説にも出てくる九つの頭と九つの尻尾を持つ雄雌二匹の龍のこと。 よってそれら多くの九頭龍社は多田院の分祠ではないかという説もある (ここ肝川もそのうちの一つかも)。

その九頭龍明神がなぜ明治になって戸隠になったのか? 実は信州戸隠神社(全国的にはこちらが有名)にも九頭龍伝説(内容はまったく違うが)があって 現在も境内に九頭龍社の社がある。 それらの九頭という共通点が改名のきっかけになったのかも・・・。

今回の鳥脇山の地図は こちら(約175k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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