はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『音水湖』、『安積』を参照していただくようお願いいたします。 2013. 6.23. 日曜日 小雨後くもり 気温 暑い
久しぶりに大甲山へ登ってみることにする。宍粟50山の登山ガイドでは斉木からの登山道が 紹介されていて、そこには行者堂があるらしい。そこで思い出したのが2002年に飯見から 大甲山 へ登ったルートだ。この飯見にも行者堂があって、二つの行者堂を結んで大甲山へ行くというコースも おもしろそうだ。 |
飯見の入り口にあるマップ | 集落の最奥に駐車(車の向きは変えています) |
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29号線から飯見に入る。入り口と言える所にマップがあり、それにも行者堂の記述があった。 前回の取り付き場所を思いだそうにも なにせ11年前なのでほとんど記憶がない。それに飯見の家屋は斜面に張り付くようにあって、 道もそれを縫うようにあり、細くてどこにどう繋がっているのかまったくよそ者にはわからない・・・。 加茂神明神社に近くで出会ったおばさん二人に教えてもらう。すると「ヒルが出るから・・・」と 驚くような情報も。聞くと、昔はいなかったのが最近出るようになったというのだ。おばさんたちに 教えてもらったとおりに細い道をたどって墓地へ。その墓地も通り過ぎて耕作地の横手に車を止める。 (写真は帰りを考えて車はUターンさせている)
ここで軽トラのおじさんと出会ってさらに詳しく聞く。11年前の記憶と照らし合わせながらうなずくものの、
当時のレポートを読み返していればよかったと後悔する。9時15分スタート。
(一般的には飯見マップのある所に車を止めて歩くのがベターだ)
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この切り開きの横をまっすぐ登るのが正解だと思う | 岩場が現れるがここではない |
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昔はなかった獣除けの金網の扉から入る。目の前にあった踏み跡を頼りに左寄りに登っていくがあきらかに記憶と違う。 そこで北へ北へと山腹をトラバースしていく。ここは薄暗い植林の中、ふと足下をみるとさっそくヒルが 張り付いていた。やがて上の写真のような植林に挟まれた空間に出る。これがおじさんの言う『草刈りをしていたウトの谷』か? この横を登っていった記憶もよみがえってきた。そのまま白矢印の方向に登っていけばよかったのだが、さらに 北へ行ったのが間違いだった・・・。 |
11年前の写真を貼り付けてみました | 中にある役行者像 |
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11年前はなにも考えずにたどり着くことが出来た行者堂にはとうとう行けなかった。 どの辺だろうかと歩き回っていると真上に林道が見えた(もちろん11年前には 無かった林道だ)。しかたなくという感じで林道へ出る。10時15分。 |
林道に出た | まもなく稜線だが緑がきれい |
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霧雨のような雨は降っているし、行者堂には行けなかったしでテンションは落ちている。 このままもう一度行者堂を探索して下山するか、あるいは予定通りに大甲山へ向かうか・・・。 この霧雨では山頂付近はガスが掛かっているだろうが、そのガスの中の雑木歩きも良いかもしれない。 そう思い直して林道から稜線へ向かって登り始める。
林道を少し歩いてみて適当な所から取り付く。歩きやすい所を選びながら高度を上げていく。
結果、11年前と同じ稜線上に出た。10時40分。
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ガスで幻想的 | しかも涼しい |
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最初は倒木もあったりして雑然とした細い稜線歩きでおもしろくないが、急斜面をクリアした871頃から 期待通りのガスの漂う雑木帯となる。ガスが周辺の音を吸収するためか無音室にいるような感覚だ。
『斎木下山道(お滝さんルート)』という看板が目に入る。見ると左の支尾根にトラロープが続いている。
これが斎木からの登山道ならこの下に行者堂があるのだろうか?下調べしないで来たのでまったくわからないが
とりあえずこれを下山のコースに予定しよう。
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尾根はこのように広くなる |
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ここがこのコースのハイライト箇所かもしれない。秋に来ればさぞかし紅葉がうつくしいだろう。 やがて左手植林と右手雑木の斜面となるがちなみにその境目を歩くと迷わない。 登り切った所を右に行けば荒尾山、左手は大甲山の頂上だ。12時10分。 |
大甲山頂上 | 行者岩コースを下る |
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展望は皆無。ハイカーも皆無。座っているとさすがに寒くなってきて上着を羽織る。 暖かい物が欲しいぐらい寒いが食べ物も、飲み物も冷たいものしか持ってこなかった。 そそくさと食事を済ませて下山をするべくリュックを担ぐ。 晴れていればこことは違う展望が楽しめる荒尾山(滝山)へ行くつもりだったが このまま下山することに。 |
暗い植林を抜けると | 雑木の良い感じ |
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ふと見ると『行者岩』と書かれた札が木に掛かっている。これは『お滝さんルート』とは 違うようだが行者の文字があるから行者堂へも行けると判断。 急下りの連続だがしっかりとした踏み跡がある。まったく道の無かったところを 開拓して登山道としたと聞いたがそうとは思えない感じだ。 |
行者岩 | そこから下界を見る |
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行者岩には12時50分。岩の横手から回り込んでみると確かに展望がよかった。 いつのまにかガスも晴れてきて下界ははっきりと見える。見る感じではまだまだ下っていかなければ という距離だし、この急斜面のどこを下るのか少々不安。
それと行者堂はどこなんだろう?岩の周辺にはなかった。登山道に戻り少し下ると真下に林道が見えた。
下界までそうとう距離があると思っていたがあの林道で一気に下界へ近づいた気がする。
まもなく林道と言うところでブルーのトタンで出来た行者堂を発見。そちらへむかう。
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行者堂だ | 行者の石仏が二体 |
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ちょっと荒れた感じが否めない。石仏の周辺は虫だらけで榊も枯れている。昔はずいぶんとお参りがされていたそうで、 麓のおじさんのお母さんは、ご主人が兵役で戦争に行かれたときに毎日ここまでお参りしていたという。
飯見の行者堂といい、ここ斎木の行者堂も地図を見ればわかるが後山の道仙寺奥の院へのルート途中といえる。
明治になって一旦修験道は禁止となったが、ほとぼりが冷めた頃から爆発的なブームとなる。
その特に但馬からの参拝が盛んだったようで、その模様は但馬の歴史書などでおもしろく書かれている。
その流れもあってこれらの行者堂も綿々と守られてきたのだろうか。
林道はほとんど崩壊状態と言えるほど荒れている。雨で濡れた浮き石に乗らないように下る。 幾度かターンしたその先に写真のような標識があった。このまま林道を下るのでは無くここを 行くのが正規らしい。登山口へ降りようかと思ったが『行者の水』と言うのが気に掛かる。
わき水でもあるかな?5分ほど歩いてなかったら引き返すつもりで寄り道をする。ところが植林帯に入ったとたん
驚いた。周囲は砂鉄を採取した跡がくっきりと残っている。大きなくぼみはカンナ流しの池の跡だろう。
その先から大きな水音が聞こえてきた。わき水は無く、どうやらそれは滝の事を言うようだ。
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行者の滝、そのいち | 不動明王の石仏 |
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こんな所にこれほど立派な滝があるとは知らなかった。写真の滝の上部にも、また下部にもいくつかの 滝が連瀑様にある。写真の滝の右上になにやらあるようなので行ってみるとそれは不動明王の石仏だった。 横手にある年号は『萬(万)延元年(1860) 申西斉木』と読める。 砂鉄採取には大量の水が必要だし、修験の行場としても重要な場所だったのだろう。 |
林道に出てそのまま直進 | ジモティーにご挨拶 |
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滝からちょっと下るとお滝さんルートの登り口が木橋の向こうにあるようだった。これを使うと ぐるーっと大甲山を周回できるわけだ。谷を下り、林道に出て川で顔を洗う。そのまま舗装林道を歩いて 集落に出る。「大甲山に登ったんか?」とおじさんに声を掛けられる。いろいろと話をしてたたらのこととなり、 納屋にある鉱滓を見せてもらった。畑にあったそうだ。 |
鍋ヶ森神社 | 飯見の棚田から見る |
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有賀から飯見に抜ける低い峠で帰ろうと思う。その峠の手前にある神社は鍋ヶ森神社。 もちろん千種にある鍋ヶ森神社からの分社はまちがいない。雨乞い、つまりは水神なのだが 千種から近いからここに分社されたとわけではなく、千種からはるかに遠い神戸とか赤穂付近 の水を切実に必要とする集落にもこの神社があるのはあまり知られていない。 舗装路を歩くにはいかにも暑くて持っている水はみるみるうちに無くなる。 加茂神明神社を過ぎて朝に出合ったおじさんに偶然再会する。行者堂に行けなかったことを 告げると山を指さし「あのへんのはずや」と教えてもらう。これは再度行かねばならないということかな・・・。 15時20分駐車場所に到着。
今回の大甲山(飯見行者堂〜斎木行者堂)の地図は
こちら(約140k)
でごらんください。 |