比延峠〜キリズメ行者山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『谷川』を参照していただくようお願いいたします。

2013. 1.20.  日曜日  曇り時々晴れ  気温  寒い

ほぼ2年を経ていまだに完歩できていないのがこの企画だ。 それは黒田庄の荘厳寺(しょうごんじ)から西光寺(廃寺)を経て社町の朝光寺までを 山の尾根に沿って歩こうというものだ。 このコースは単なる思いつきではない。荘厳寺の案内板にはこうある。

『・・・宝暦年間(1751〜)には社町の朝光寺と鴨川の西光寺を行場とする権現信仰の修験道の 寺として交流していたことが伺われる・・・』とあるのだ。これを初めて見たときはさほど ときめかなかったのだが、そのゴールである朝光寺の前身の 権現山(三草山)で その修験の遺構らしきものを発見したのを期に俄然興味がでてきた。

記念すべき一回目は雨のために 白山〜妙見山というショートコース。 二回目は仕切直しとばかりに妙見山〜比延峠まで 一気に歩き通したのだった。その後、予定した日が悪天だったりして行く機会を逃してしまったが、 丸一年以上経ってようやく第三回目の権現修験道の続きとなった。

比延峠手前にある濫觴公園がスタート地点傾斜は急だが楽に登れる

まずはゴールとなる双葉小学校横にある林間ファミリー園駐車場で同行のTQFさんと合流。 私の車をその場に置いて、TQFさんの車でスタート地点の比延峠(前回のゴール)へ向かう。峠付近の道路脇には 数日前の雪がまだ残っていた。9時17分スタート。濫觴公園の石碑横手から取り付く。

植林の斜面なのでヤブはなく登っていけるが、すぐに暑くなって上着を脱ぐ。9時44分、571ピークに到着。ここはゼンブリ山と呼ばれている。 (ここの山名、および以降の峠名は西脇の藤原さんからいただいた資料によるものです) ここより、ほぼ南西に方向に尾根を進んでいくことになる。尾根は西脇市と篠山市の境界でもある。

少し進んだ所が『堂のたわ』と呼ばれるところだ。小さなお堂ぐらいなら建てられる広さがある。 そういえば住吉水車小屋のKさんがお堂があったと言っていたような記憶がある。 次のポイントが『ネジキ坂』だ。明確な峠ではないが昔は生活路であったのかもしれない。

雪を踏みながら進んでいく。樹間からは四斗谷の妙見山が見える。左に視線を移動させると白髪のピークも確認。 やがて明確な分岐となる。目的のルートは右だが、左に寄り道して中口山へ向かう。

中口山手前からヤブ頂上もヤブだった

昔来たときも笹藪だったが現在もヤブだった。しかも雪で倒れて道をふさいでいるので 始末が悪い。TQFさんにやめようかと言うが、せっかく来たのだからと期待通りの返事をもらう。 中口山には10時30分。標高556.0m。三等三角点。 昔はここから西光寺山が見えたのに現在はまったく無展望でがっかり。

先ほどの分岐に戻るのだが、再度雪でびしょびしょになるのはいやなので稜線を 外れて鹿道でヤブを迂回。分岐には10時42分復帰。ゼンブリ山からここまでは ほとんどアップダウンも無く平坦と言っていいような尾根だったが、ここからは急激に下る。

中口坂

一気に100mほど標高を下げて鞍部に到着。10時50分。さすがに雪は姿を消して 心なしか暖かさすら感じる。資料によるとここは『中口坂』と言う。地形図で見ても ここは標高も低いので峠としては通行しやすいのだろう。道もしっかりと残っていた。

下った標高だけまた登り返して雪の尾根の復活。そろそろお腹も減ってきたので534ピークで お昼にする。

534で昼食荻原坂

風もさほどなく、上着を羽織るとじっとしていても寒くない。さらに暖を取るために 冷凍の鍋焼きうどんにお餅を一個。TQFさんは冬場定番になっている 蓬莱のブタマンで、私も一個いただき満腹だ。食事中も無線機をつけっぱなしだったが まったく入感なし。後で解ったがどうやら受信部が故障しているようだった。(T_T)

食後コースに復帰して次なる峠『萩原坂』には11時57分着。あまり明確ではなく、ここが そうだと解っていなければ普通に通り過ぎてしまうだろう。左右にある踏み跡は当然薄い。 それにも増して先ほどの中口坂をはじめとして、ここ荻原坂、次の杉野坂、机坂の四つは篠山側に下ると、すべて ゴルフ場に吸収されてしまう。古道ファンの私としては残念だ。

杉原坂に到着ゴルフ場へ下る道

杉原坂には12時15分着。この峠はよかった。左右に下っている道はとても明確で、特に 篠山側のゴルフ場へ下る道はそれこそMTB乗れ乗れの道に見える(もちろん途中で 行き止まりになってしまうのだが・・・)。ひょっとして石仏でもないかと周辺を探して みたがさすがにそれはなかった。
今回唯一の展望地

登り口の比延峠からほとんど展望らしきものはなかったが、次の三角点ピークの手前にある 伐採地跡で西向けに展望があった。 目的地である西光寺山を正面にして、右手方向の山々が見える。ちょこんと飛び出しているピークは 黒田庄の妙見山だ。

机峠手前の点名『机坂』四等三角点、標高480.1mには12時45分。ここは『ササバ』と言うと本にある。 篠山に佐々婆神社があるが、それと関連があるのかな?ササバは楽々庭とも書き、祭祀場所を指すという。 我々修験の道を歩いている者にとっては関連のある単語かとも取れるが、この先にある机峠の故事からの 関連かもしれない。

机峠に到着。ここを左へキャタピラー道を登る

その机峠(現地では机坂)には12時50分。昔、蘇我氏と物部氏との戦いに参加した聖徳太子は 戦勝祈願のために毘沙門天を祀っていたのだが、それがどこかに飛び去ってしまった。それを探しに訪れた 机坂で祈祷したと。そういうありがたい?峠なのだ。ここも左右に明確な道が残っている。

ここから北に下り、大呂峠を越えれば行方不明になった毘沙門天が見つかったという石龕寺は近い。 さらに奥野々峠を越えれば柏原への最短ルートとなり、メインの街道とは違うが裏街道としての 地位は高かったと思う。さて、ここから先だが、西光寺山までは充分に行ける時間だったがその手前から下山しようと予定変更。

鉄塔を越えてここを右に下っていく

この西光寺山周辺には歩きたい尾根とかがいくつかある。このまま山頂へ行ってしまうと、次回それらを 歩けないことになる・・・と、変に欲張った考えがあって、今回は修験者も寄り道したであろう、キリズメ行者山を 経て下山することに。その分岐には大きな看板があるので見落とすことはない。13時11分。
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キリズメ行者山中にある行者像

道標に従って下っていくと広い削平地に出る。見上げるような巨石があり、そのへこみ部分に役の行者石仏がある。 いつのものかわからないそうだが、土に埋もれた部分に案外彫り文字があるのかも。 江戸時代のものなら間違いなく修験者はここを訪れたはずだ。
巨大は磐座だ行者の下にある不動

行者像のある磐座は縦に大きく板状に節理となりそれらが重なり合わさって巨石様になっている。 木戸岩と呼ばれているのはこれのことか。
石組みの入り口から下山トラロープに従って下る

13時30分、下山開始。石組みの立派な入り口(この場合出口か・・・)がある。 その正面に踏み跡もあるのだが、看板では左手に続くトラロープに沿って下れとあった。 正面に下っている正規?の参道も気になるが今回はロープに従う。
水車村に下山

13時50分に水車村下山。当初予定していたコースなら16時前になっていたかもしれず、変更コースでよかったかも。 しかも駐車場所の双葉小学校に戻る途中でたぬきさんの車とも出会った。無線で何度も呼んだらしく、故障はそのときに判明。 駐車場所には14時30分。次回はいつ、どのコースにしようか・・・。

今回の比延峠〜キリズメ行者山の地図は こちら(約160k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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