はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『郷原』を参照していただくようお願いいたします。 2013. 6. 9. 日曜日 曇り 気温 暑い
そもそもここに行きたいと思ったのは、1ヶ月前にTQFさん、若桜の山ボーイさんと歩いた綾木峠〜大江越え〜浅見越え が発端だった。綾木峠と大江越えの二つの峠があるのは登る前からわかっていたが、三つ目の峠(峠とは言えない感じが大きいけど)であるこの浅見越えは 興味津々の驚きの峠だった。 |
鞍部とは言えない尾根の真ん中に石仏がある |
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前のレポートにも書いたがここの峠にはいくつかの不思議がある。まずは石仏だ。光背部分に地名の彫られている道標石仏は 普通は尾根に対して直角に立っているのが普通だが、これは大江側に正面を向いている。 そして彫られている文字が『右ハあさみ』『左ハあ志つ(芦津)』となっている。 どちらも智頭町側の町名でこれが不思議の一つ。普通なら智頭側の地名と八頭側の地名が彫られているはず。 大江からこの峠に登ってくると真っ正面にこの石仏がある。そして右に行けば浅見に下れ、左に行けば芦津に下れると いうわけで、大江側の人の立場を考慮した道標と言える。そのためか、浅見の人に尋ねてもこの石仏とか峠のことは 知らなかった。
この峠から
芦津へ降りる道はすぐにわる。地図の『L』から『M』にかけての虫谷越えの尾根がそうだ。では、浅見に降りる(逆に考えると、
浅見から登る)ルートはどこだろう??ということで、今回は浅見からそれと思われるルートで稜線まで出てみようと
計画する。参考にしたのは鳥取で高校教師をしていた小林一彦氏の『自然の魅力を伝えつづけて逝った』という本
にあった浅見から大江へ抜けるルート。
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浅見本谷、一の滝 | そのちょっと先で駐車 |
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まずは浅見の集落奥から舗装の林道を上る。途中には明治から掘り始めたという坑道跡などもある。 一の滝を過ぎた所でスペースがあったのでそこに駐車。こんなおもしろくもない企画に参加してくれたのは TQFさん。彼の車は下山予定の虫井神社境内に止めてある。「もうちょっと上まで車で行けるんちゃう?」という 声を押しとどめてここからスタート。8時50分。 |
二の滝 | 三の滝 |
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二の滝、三の滝と写真撮影をしながら林道を詰めていく。計画ではあの石仏のある浅見越えには直接行かずに 小林氏と同じルートで町界にある39鉄塔へ行く予定だ。 |
となりの谷へ移動 | おくどさん跡があった |
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谷が大きく左右に分かれる所で木橋の残骸を渡って西の谷へ移動。そこには営林署小屋跡だったのか 炊事場のような残骸が残っていた。氏は2001年にここを歩いている。その記述ではここが巡視路となっているが どうみてもそんな感じもしないし、まず巡視路を示す標識すらない。当然ながら谷の踏み跡は徐々に怪しくなる。 しかたなく『E』から支尾根をよじ登る。
突如という感じで鉄塔が現れる(地形図をきっちりと見ていれば当然わかるのだが)。
ここからは町界までは巡視路歩きになるので一気に楽になる。
後で気がついたのだが、この鉄塔の裏手からひょっとしたら浅見尾根へ巡視路が繋がっているのでは
ないかということだ。
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突如鉄塔に出て驚く | 町界の39鉄塔へ |
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というのも以前の浅見尾根で巡視路がこちら方向に延びているのを見たことがあるからだ。 その予想ルートを地図に書いてみた。それが古道だったとは云わないが我々が歩いてきた 『E』までの谷道が巡視路ではなかったという証拠にはなりそうだ。 39鉄塔にはあっさりと到着。10時12分。 とりあえず判明したのはここまで登ってきたルートは浅見へ降りる古道ではなかったということだ。 どうも、前回我々が下った浅見尾根がそのように思える。
さて、この鉄塔だが、
前回と違って空気が澄んでいないので展望は悪い。休憩もなくそのまま巡視路で大江側へ下っていく。
こちら側の巡視路は荒れていて歩きにくい。
地形図では途中で上板井原からの点線の道と合流するが板井原側には踏み跡すらなかった。
使用されていないので消失してしまったのか??
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地図にある危険箇所 | 食事ポイントを過ぎると道は良くなる |
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巡視路は崩落した箇所もある。TQFさんはあっさりと通過するが人生に未練のある私は超慎重に通過。 冷や汗をかいた後に到着した鉄塔付近で昼食とする。このあたりでちょっとおかしいなあと思ったのが 鉄塔の位置だ。あきらかに地形図とは違っている。鉄塔の場所が変わることはよくあるので そのためかもしれない。
食事ポイントから巡視路は植林内の尾根の真ん中を下るようになる。とたんに道はよくなって歩きよくなる。
これって、ひょっとして・・・・???
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道に降りたとたんにUターン | 滝を越えて行く |
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下界に11時42分降り立つ。すぐ目の前が三叉路になっていて、左へ行けば大江の集落で小林氏は そのまま大江へ向かっている。 我々は右へ折れて今度は浅見へUターン。当初のもくろみではこの谷道が浅見越えの古道ではないかと想像していた。 が、入ってみてそれは疑問へと変わるほど道悪だった。所々石組みで補強された跡があったりするが 踏み跡はほとんど残っていない。
大きな谷の分岐点である『I』で周辺の様子をうかがう。点線のある真南へ向かうルートはどうも怪しい。
そこで右の谷を選択。これが正解なら石仏の真っ正面に出ることになるので期待大だ。
ここは枯れ沢で水はもう流れていない。『J』まで来たが、ここでも思案。
踏み跡も無くなり普通に歩けるような感じではない。
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雰囲気は良いがめちゃしんどい | ようやく浅見越えに着 |
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どうやらこの谷も古道のようではない雰囲気だ。しかたなく左の尾根へよじ登る。 ここは全体がコナラなどの雑木尾根で緑がまぶしい。普通なら歓声の一つも出ようかと いうものだが暑さと斜面の急さで、出るのは汗とうめき声? 浅見越えには13時15分。ふ〜っ、きつかった。この登りが古道でないとしたら どれが浅見越えへの登り道なのだろうか?消去法でいくと食事をした『G』からの尾根が そうだろうか?TQFさんが石仏からちょっと大江側を見るとどうも左へ行けそうだと云う。
ほんとは大江の古老に聞くのが一番なのだが・・・。
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虫谷越えの尾根を下る | だだっ広いので要注意 |
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前回、山ボーイさんが下る予定だった虫谷越えの尾根を下る。道はしっかりしており 快適だ。標高710.1mの点名『虫谷』の三角点を過ぎる頃から尾根はだだっ広くなるので 方向を誤らないように注意。 |
地図の『M』にあるTV施設 | 急下りだが周辺はブナ |
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地形図にある点線通りに下山するつもりはなかった。虫井神社に降りるつもりでTQFさんの車も そこの駐車している。そのターニングポイントである『M』地点を見逃さないように 注意していたが、そこには地デジの共同受信アンテナがあった。そのケーブルが どうやら神社へ下っているようなのでそれに沿って下る。
下りの尾根は傾斜が恐ろしく急で足下に神経を集中させるが、実は目の前には
想像できないような光景が広がっている。それはこんな低標高でありながらブナの
林が広がっているからだ。
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旧虫井神社跡 | 手水鉢の文字を見る |
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と、突如、石組みのある平坦地が現れる。これがうわさの旧虫井神社跡か? 現在の神社は大正五年にここより降ろされたという。下の神社は立派だが、 ここはあまりにも規模が小さい。せいぜい奥の院跡といった感じだ。
石の灯籠がバラバラになって倒れている。胴の部分に彫り文字があるが判読不能。
また石の手水鉢がありそこには『大呂村・・・』『安・・・庚・・』とかろうじて読める。
安と庚のある年は安永九庚子(1780)が該当する。
もっと探索したかったが足が攣りそうで辛い。
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虫井神社へ降りる | 無事の下山を感謝 |
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虫井神社には14時45分。降りたったとたんに足が攣った。 本殿の横手に壊れた石の鳥居がある。位置からして先ほどの旧神社の入り口を 示す鳥居だったと思うのだが、木を搬出するときにぶつけて壊れたという。 この虫井神社はもともとは妙見神社だったが、明治になって虫井神社となったそうだ。 さらにいろんな神社と合祀されたために祭神が九柱もある。 そのうちの宇賀魂命(ウガタマノミコト)という神に反応。 駐車の許可をもらうためにお話したおばあさんが言うにはこの山には蛇が多いという。 さらに虫井の虫は蛇を意味するというブログがあった。 本来は違うのだが宇賀魂命=宇賀神という図式がある。宇賀神(ウガシン)は胴体が蛇で 頭がおじいさんという神様なのだが、これにこじつけるとちょっとおもしろい。 TQFさんの車で浅見まで帰る。いろんな所を歩いてみたが本来の浅見越えの 決定打と言えるルートは発見できなかった。次回探索はあるか??ちなみにTQFさんは もう来ないと言うのだった・・・。
今回の浅見越えの地図は
こちら(約240k)
でごらんください。 |