棚原山〜南条山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『前之庄』、『姫路北部』を参照していただくようお願いいたします。

2011. 3.19.  土曜日  晴れ  気温 ふつう

篠山方面に行きたかったがベタベタの雪が残っていそうなので、目的地を姫路方向に変更。 香寺の八葉寺をスタートして、北へ向かい棚原山へ。そこから南に方向を転じて439.8の南条山。 ここから置塩城へ下るのがもっともらしいルートだが、そうするとスタートへ戻るのがたいへんなので、適当な所から 谷山集落へ下山。煉瓦隧道で有名な相坂隧道の真上からある遊歩道で八葉寺へ戻るというルートを設定。

単独の予定だったが、今回のコースが姫路なのでしみけんさんを誘うと快諾を得て、八葉寺で待ち合わせを約束する。 当日はお彼岸なので、墓参りの邪魔にならないように最奥の駐車場に車を止める。 8時55分スタート。

ちょこっとだけ観音堂周辺を探索する。天平8(736)年に行基による開基の寺で本尊が十一面観音。 脇侍が残っているのかどうかはわからないが、不動明王と毘沙門天と思われる。それを表すかのように 鬼追い行事の赤鬼青鬼が不動明王と毘沙門天の化身とされているのだった。

観音堂の裏手から棚原への遊歩道がある

閑話休題。 実は翌日に加古川にて『法道仙人と陰陽師の足跡をさぐる』ツアーを開催する予定だったのですが、 この寺も陰陽師と深く関わっていたのだ。このときはわからなかったのだが、この寺の中興の祖とされている 慶慈保胤(よししげのやすたね)は賀茂忠行の次男だったのです。 賀茂忠行はあの安倍晴明の師匠であり、長男の賀茂保憲も有名な陰陽師でした。 が、慶慈保胤は陰陽師としての跡を継がずに出家してここを再興したという。

観音堂の裏手に『自然歩道』の標柱があり、そこから登っていく。9時05分。実は13年前にも MTBを担いでこのルートで棚原山まで行っているのだがその記憶はまったく残っていない。

遊歩道なので楽勝鷹取山の祠

倒木もなくまったく快適だ。333mのピークには9時20分着。ふと横手を見ると壊れかけた祠を発見。 中にはペンキで銀色に塗られた石が一つ。表には『鷹取山元日登山の由来』なる額が掛かっていた。 この額のおかげでこのピークが鷹取山だということがわかる。その額によると昭和52年から有志によって 元旦登山が始まり、この額は昭和58年の年号がある。

そういえば13年前のレポートを見るとこのピークが大展望と書いていた。 それが嘘のように現在はまったく展望がない。つまり元旦登山はもうされていないと いうことかな?

ずーっと快適ピークじゃない三角点

四等三角点の点名『前谷』標高332.8mはすぐ先がピークなのに、 その手前のなんでもない所にあった。こういうのは時々目にするが、 なぜピークに設置しないのか明確な理由を知りたいものだ。
恒屋と棚原山分岐

恒屋と棚原山分岐には9時47分。ここから恒屋までの下りはMTBだと あっという間だ。しかもほぼ100%の乗車率。その途中には『御香之場』があって そこから『棚原山出湧寺』というお寺が拝めたという。現在はもちろん廃寺跡なのだが このあとしみけんさんと相談で、そこへ行くことになる。
棚原山山頂

分岐から擬木の急階段を登り切ると棚原山の山頂となる。三角点無し、標高406m。 小さな石の祠と、『棚原明神旧鎮座跡』という標石がある。この棚原明神は 豊作祈願と山頂での雨乞い儀式があったらしいが、古くは神功皇后が三韓征伐の 途中で立ち寄ったとのいわれもある。
東方向に展望あり

山頂からの展望は東方向が開けている。といっても、13年前と比べると周囲の木々が育ったために さほどではない。しかもかすみがひどいのでセントラルパークの観覧車もどこにあるのかすら わからなかった。しみけんさんは全方向パノラマの撮影をしている。 私は簡易の水平パノラマで写してみる。
棚原山出湧寺跡

ここから林道塩田線の坂地峠へ下る。『棚原山出湧寺跡』を探すためだ。足をすくわれそうな激下りで 数十mも標高をロスするのはもったいないし、あるかどうかもわからない寺跡を探すのは 私はいいけどしみけんさんに申し訳ない。が、その削平地は尾根からも見えたので簡単に 発見できた。

数段にわたって削平地があるが、現在は杉に覆われており、地面を探ってもなにもなかった。 しかし、ここに寺院があれば恒屋に下りる尾根からははっきりとここが見えたはず。 それにしてもいつの開山で、いつ廃寺になったのか、どんなお寺だったのかまったく不明。

こちらの尾根も良いねえ堀切出現!!

山頂に戻って置塩城方向の尾根へ向かう。11時。八葉寺から棚原まではMTBでも バッチリだが、こちらの尾根はMTBは無理っぽい。しかし歩くには快適だ。 まもなく439.8mの三角点ピークというところで堀切が出現! しみけんさんと二人で興奮する。(興奮してたのは私だけだったかも)
ピークは平坦地城跡に三角点

前もって調べた資料では南条山といい、やはり中世の城跡だと書かれていた。 しみけんさん曰く「なんじょうやまではなく、なんじょやま」と言い、その北には 北条山というピークもあるらしいが、気が付かないまま通過したようだ。

南条山のピークは平坦だが、三角点のある最高点に向かって数段の小さな 曲輪跡がある。そしてその二等三角点に到着。11時50分。 ちょうど良い時間配分で、ここで食事とする。姫路へ移動していたTQFさんともタイミング良く 無線がつながる。12時20分再出発。

展望の岩場発見。そこから東を見る尾根から置塩城趾を見る

前述のように置塩城趾には下山せずに香寺町と夢前町の境界尾根を南下する。 この辺りも城跡の遺構が広い範囲で見て取れる。はたして置塩城とこの南条城との 関係はどうなんでしょ?置塩城の単なる出城にしては立派すぎるし・・・。 山城研究家の人に聞いてみるか・・・。

下山ルートはいろいろと考えていた。『い』は踏み跡も明確で楽に下りられそうだったが もうちょっと先まで歩いてみたいので却下。かといって暮坂峠まで行くと舗装路歩きが長いので これも却下。そこで『う』か『え』ぐらいから下りたいのだが『え』からだと相坂隧道の 真っ正面なのでこれを行きましょう。ところが分岐を見逃してしまい、 ちょっと『G』まで行き過ぎるが斜面をトラバースして復帰。

開けた所もあるし、ヤブもある竹林を抜ければ里だ

『え』の尾根は若干ヤブっぽい箇所もあるがまあまあ歩ける。 ただ、路面がザレていてよく滑るのが怖い。右にある深い谷に滑り落ちたら一巻の終わり。

まもなく里というところでいきなりの激シダやぶが出現する。タイミング良く? しみけんさんに携帯が鳴ったので、話し中のあいだに付近を探索すると 左方向に踏み跡発見。そこから竹林を抜けて無事下山完了。13時40分。

旧峠道を登る隧道の真上には五輪塔群が

最後の仕上げは相坂隧道 の真上にある自然歩道から八葉寺へ帰るルートだ。世に言う廃道マニアは目の前の隧道だけに 視線が行くようだが、実はこの廃道の真上にこそ謎がある。 そこにはいくつかの五輪塔とセメントで?作られた石仏が存在しているのだ。 基台には当時のものと思われる赤煉瓦が使われていることから、ひょっとして工事で事故にあった人の 墓地?

しみけんさんも同様の感想だったが真実はわからない。 ここからある遊歩道で八葉寺まではすぐの距離だ。舗装路を延々歩くよりは数段気持ちよく歩けて、 しかもお寺のほとんど手前に出てくる。

お寺への道路と合流

お寺の駐車場には14時12分。兵庫北部はまだまだ寒いが、今日の姫路は暑くてこれぐらいの 距離がちょうど良かったかもしれない。

今回の棚原山〜南条山の地図は こちら(約150k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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