鞍背山から尾根周回

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『三日月』を参照していただくようお願いいたします。

2011.12.11.  日曜日  晴れ  気温 ちょっと寒い

別途地図を見てもらえばわかるように、今回のルートはきれいな馬蹄形をしている。そもそもは2009年に 篠首十石廃寺〜福栖大日南廃寺 を歩いた際にこの馬蹄尾根のほんの一部を歩いたことによる。 ほんのわずかな距離だったが良い道だったのでいつか歩いてみようと思い立ったのです。

ひょっとしてヤブ山かもしれず夏場は遠慮していましたが、そういう山を歩くにはちょうどよい季節になったので単独山行きを計画。 新宮町の千本集落に車を入れるが、どこに止めて良いのかわからずたまたま行き当たった正行寺にお願いして 駐車させてもらう。8時35分スタート。

謎の神社、須貴大神社門扉を抜けて舗装林道

まずは地形図にある『城山』を目指す。地形図には城山となっているが鞍背山というのが正しいようだ。 頂上には古墳があり、さらにその後は鞍背城という砦跡になっている。集落内の道を行き、鎮宅寺(民家のような寺)の横手 からある舗装林道を進む。そこで変な神社を発見。

その時は時間もないし素通りしようとして鳥居だけの写真を撮る。ところが 帰宅してからその写真を見て聞いたこともない神社だったので驚く。 それは『須貴大神社』。百済の王で貴須(きす、あるいはくいす)というのが居たのでそれを連想したが 同じなのかどうか疑問。そこでネットで調べてみると幽黙さんのページが出てきた。 兵庫紀行 須貴大神社 をごらんください。

その文中でも百済との関連が問題になっていたが、その近くにある亀山(きのやま)には城山城(きのやまじょう)という山城跡がある。 その山名、城名のどちらにも『き』という呼び名が使われているが、「き」の音は古代朝鮮・百済の言葉で城を指すことから 古代からこの周辺が百済との関連があったことがわかる。 ちなみに岡山の総社にある鬼ノ城(きのじょう)も同様に『き』という文字があり百済の王子で名を温羅(うら)によって 建てられたと言われている(桃太郎民話の由来でもある)。

小さなお堂を見て山道に入る尾根はそこそこ歩ける

害獣避けの門扉を開けて林道に入る。舗装林道には落ち葉が積もっておりあまり通行が無いことがわかる。 このまま林道を歩くつもりは毛頭無い。最初のコーナーから尾根に移動して登るつもりだ。 そのコーナーの向こうにはなにやら小さなお社がある。お社は小さいがちゃんと拝殿もあって、そこからは里が 見下ろせるようだ。金網の向こうなので行かずにそのまま尾根に乗る。 尾根はまあまあ普通に歩ける。山頂直下はさすがに急斜面でよじ登る感じになる。
石垣跡もある鞍背山(城山)山頂

四等三角点、標高288.0m、鞍背山の山頂には9時15分。周辺には曲輪跡も残っており、 積み上げられたと思えるような石などもあって砦跡はあきらかだ。 山頂は笹藪になっていて木々も生えて展望は良くない。地面が陥没している所があって、それが 天井の抜けた古墳跡なのかもしれない。先が長いのでそそくさと出発。
林道に降り立つ林道の終点

山頂から北方向に尾根を下って林道に降り立つ。ここから林道の終点までは電波塔がいくつもある。 いわく、イーモバイル、セルラー、ツーカーホン、NHK、たつの防災無線、CATV・・・。 西を見るとスプリング8がきれいに見えた。粒子加速のためにドーナッツのような円形をしており、 その真ん中には三角点のある小山(名前はわすれた)がある。一般ハイカーにあの三角点を見ることは 可能だろうか??
スプリング8が見える

林道の終点手前から左に入るとNTTの電波塔がある。道らしい道はここで終了。 ここから真北へ行く。まずは422.5mの四等三角点へ行ってみる。
出だしは良い感じこの先が四等三角点(点名『牧』)

ここから本格的な山となるが出だしは雑木の尾根で良い感じ。大きなピーク (410m+)から左に折れるとこれまた良い道が続く。難路かと思っていたがあっさりと四等三角点(点名『牧』)に到着。 10時25分、標高422.5m。周辺には空き缶が散乱しているのはハンターのものか。
倒木地獄炭焼きの道を行く

馬蹄尾根に戻って次なる三角点を目指すが、いきなり倒木地獄となる。 すべての倒木が北から南にむかって倒れている。尾根はごらんのように歩けないので、 南斜面の尾根から数m下をトラバースぎみに進んでいく。 倒れている植林を見ると、間引かれていないためひしめき合って、細くひょろひょろとしたものばかり。 これでは倒れて当たり前だ。 炭焼きのソマ道などもあってスムースに二等三角点(点名『千本』)に到着。 標高489.1m、11時25分。

時間もちょうど良いのでここで昼食とする。ところがコンロの調子が悪くて調理が出来なかった。 しかたなくポットのお湯でコーヒーをつくり、おやつを食べて空腹をごまかす。 のんびりしているとさらにお腹が減ってくるので馬蹄の残り半周を急ぐ。

489付近『I』地点付近

それまでの倒木がうそのように後半の出だしは歩きよい。 この辺は雑木の林なので植林のようにたやすく倒れなかったのだろう。489まで行き、 そこからUターンして下山尾根へ進入する。 『I』ポイントはちょっとわかりにくいが篠首十石廃寺からの道との合流点。12時35分。
福栖大日南廃寺との分岐快適に下れるのだ

『I』から451までは一昨年歩いたルートです。その451から左に折れると 福栖大日南廃寺への尾根となる。二つのお寺が同じ時代にあったとすれば それらを結ぶ回廊であったはず。どうりで良い道なのか。 今回は451から右へ下る。

等高線の具合からMTBでも下れそうと思ったが実際はなかなかそうはいかない。 踏み跡を消すような木々の生え込みやら、倒木やらで歩くのには支障ないが、MTBは むずかしいうようだ。そうなるとこの尾根がとてつもなく長く感じられて なかなか下界に近づかない。

E付近の電波塔が見える道が現れてきた

これが乗れたら最高なのにと思いつつながーーーい尾根を下っていく。 今日。四つ目の四等三角点『東河内』には13時17分着。そのまま素通り。 馬蹄形の尾根の全景が見える所がないかと期待していたら、一カ所倒木の所で ほぼ全景が見渡せた。やがてJRの音などが聞こえてきて下界が近いことがわかる。 尾根の上にくぼんだ道が現れてきた。このまま道なりにと思ったがその道は左に尾根を外れる。 どちらを行こうかとなやんだが、そのまま尾根を下ると・・・。
愛宕のお社があったジグサグの参道を下る

突然目の前にお社が現れた。 尾根を下りながらなにかありそうだなと予感はしていたのだがほんとに出会って驚いた。 前に回り込んで見るとそれは愛宕の小さなお社だった。 13時40分。猫の額ほどの小さな平坦地にはお社と一対の石灯籠。 安政年間(年は読みとれず)と文政十一(1828)年とあるのでけっこう古い。

ジグザグにある参道には色づいたモミジもあったりする。どこに降りるのかと思っていたが 害獣避けの扉の向こうにはお堂があった。さらにその奥は地形図にある神社だろう。 お堂は太子堂とあって格子の扉の向こうは見えなかったが、太子とあるからは聖徳太子なのだろう。

扉を抜けると太子堂だった宇府山神社でゴール

神社の参道脇には『宇府山(うぶやま)神社の杉』がある。町指定の天然記念物とあった。 その宇府山神社にも寄りたかったが帰りに寄る所があったので鳥居を抜けて駐車しているお寺に向かう。 あとから 幽黙さんのブログ 兵庫紀行 宇府山大神社 のレポートを見ると、縁起の書かれた案内板もあり、宇佐八幡の勧請らしい。 そのときは読み方もわからなかったし変な名前だなあとしか意識しなかったが、 うぶやまと聞くと、産山を連想させられるし、宇佐八幡は新羅系の神社である。

千本集落には二つの古代韓国系の神社があり、宇佐、産山、鞍瀬、新宮などのワードから 九州からの渡来人からなる集落かと想像してしまうのだった。 (なんの根拠もないたんなる妄想です)

今回の鞍背山から尾根周回の地図は こちら(約150k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~

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