はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『須田』を参照していただくようお願いいたします。 2011. 5. 4. 水曜日 晴れ 気温 ふつう
法沢山とその県境尾根の延長上にある高竜寺ヶ岳の縦走にチャレンジしてみる。そのどちらのピークもそれぞれ単独に登ったことはあるが、 通しで歩くのはちょっとつらいかなあというのがそのときの感想(時期も悪かったので)。山友の たぬきさん夫婦は二回にわけて縦走をしていたのでそのレポートを参考にイメージしてみる。 この時期なら暑くないのでなんとか行けるかも。単独では車の回収がたいへんなのでTQFさんに頼み込んで同行してもらう。
ルートは久美浜町布袋野(ほたいの)から駒返峠へ登り、兵庫と京都の境界尾根で法沢山。
さらに円城寺峠から高竜寺ヶ岳で目的達成。下山は同じく久美浜町の市野々とする。
朝早く自宅を出て、舞鶴自動車道で福知山へ。そこから登尾トンネル、丹但トンネルの二つを抜けて市野々。
その市野々の奥には『熊野富士 高龍寺ヶ岳正面登山口』なる立派な標識がある。
それに従って林道を行ける所まで登って、そこにTQFさんの車をデポ。
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白矢印が駒返峠への入り口 | 間違いだとわからず林道を進む 谷の反対側、白矢印が峠道だった |
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登り口である駒返峠の入り口林道は6年前 に利用しているので問題無し。道路脇のスペースに駐車して8時40分スタート。 入り口からダートの林道だが路面はまあまあ良い。「これやったら奥まで車で行けたやん!」とTQFさん。 車で上ると見落とすものもあるし、歩くのが良いんです!
6年前にこの林道で峠を目指したのだが、どこで間違えたのかその林道は終点となり峠には繋がっていなかった。
今回はTQFさんが同行なので間違うことは無いだろう・・・ありゃ!前と同じ終点まで来てしまったやん!!
とにかくどこで間違ったか引き返しましょう!!
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切り通し箇所まで引き返して旧峠道を行く | やはりここが正解 |
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林道の途中に切り通し箇所があって、その右手にある斜面が怪しい。足元には木ぎれが落ちているのだが、 ひょっとしたら昔はそれが標識だったかもしれない。ようするに谷の左岸を歩いていたら正解だ (ちなみに林道は右岸にある)。 たぬきさんはよくまあ、間違えずにここを進んだものだと感心しきり。 我々もたぬきさんに倣って前進。 |
馬も引き返すほど急だった?駒返峠に立つ |
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駒返峠にはちょうど1時間かかって9時40分。途中で引き返したのでずいぶんと時間をロスしてしまった。 前回のレポートには駒返峠の名前の由来を書いていますが、実際に旧道を歩いてみて馬が引き返すほど 急な峠とは思えません。というか、昔の人はなぜか地元の峠をさも険しいと表現するようです。 たとえば、前を登る人のお尻の穴が見えるほど急だという『穴の浦峠』とか・・・。(^o^)
さらにここには二体の石仏がある。このことも前回レポートしているが、改めてみると
『明治七戌(1874)十一月』と『元治二乙丑(1864)年』の二体はまったく同じ姿をしており、
どう考えても同じ石工による作品のようだ。
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笹がまったく無くなっている | したがって楽勝で登れる |
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6年前はここから笹藪をかき分けて苦労しながら登ったのが嘘のようになんにもない。 他の山でも同様な植生になっているので、やはり温暖化による笹の退行なんだろうか? ブナも現れてまさに新緑の尾根となる。樹間からは小天橋も見えて、足元にはまだまだつぼみのイワカガミもある。 なかなか良い尾根だ。
最後の急登りをクリアーするとそこは標高643.5m、三等三角点のある法沢山だ。10時40分。 ここも6年前と大きく様変わりしており驚く。それは展望が良くなっていたのだ。 北方面が大きく刈り払われており、大展望になっている。この間までの黄砂も収まっているので なんともさわやかだ。南方向は昔のままで展望は無い。 |
小天橋 | 豊岡飛行場 |
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朝が早かったのでここで食事にする。お昼まではまだまだ時間があるが、確かにお腹は減っている。 お腹も膨れて11時25分スタート。 ここから見える高竜寺ヶ岳は遙かに遠くてほんとに行けるのかと思う。 |
こんな看板がある | 良い感じの尾根だ |
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それまで南向きだった県境尾根は法沢山からは東方向に延びている。そこに入ってしばらくすると 『布袋野登山口・・・』なるプレートが目に入る。こんな登山道が新しく出来たんかいなあ、と思っていると それは6年前に私が下山に利用したコースそのものだった。えらく荒れた林道だったが今はそれが正規の登山道??
分岐のちょっと怪しい所もあるがなんとかクリアーして前進。地図の『F』ピークがちょっと気になっていたので寄り道してみる。 展望は無かったがブナの若木のあるピークだった。もうちょっと進めば林道との出合い部分が確認出来たと思う。 所々植林もあったがほとんどは雑木コースで良い感じだ。特に『G』地点は1時間ぐらいボーっとたたずんでいたい所だ。 癒しのオーラのさめやらぬまま円城寺峠に着。12時50分。
ここは 7年前 に高竜寺ヶ岳から逆コースで来ている。したがって、ここから高竜寺ヶ岳までは慨知なコース なので気持ちは楽だ。 この峠は左右には立派な石垣が残っており道幅も広い。駒返峠と比べると雲泥の差だ。 京都への街道であっただろうし、伊能忠敬も通過した聞く、たぶん何回となく改修されて、人、馬はもちろん 荷車も通行出来る規模にしたのだろう。 |
石仏と再会 | 記念碑も朽ち果てて・・・ |
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石垣の一部がくぼんでおり、そこには前回同様に地蔵菩薩の石仏があった。 丸彫りで右手に錫杖(折れてしまっている)、左手に宝珠を持っている。 全身が苔に覆われていて基台も隠れているので文字があるのかどうかもわからない。 そして峠の中央部分には市野々の小学校の生徒たちが登ってきた時の記念碑がある。 恒例だったのか複数本あるのだが、もう途絶えているのか新しいものは無い。 |
徐々に登っていく | 542から法沢山を見る |
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13時ちょっと前に峠を離れる。ここからは登り一辺倒なのでTQFさんより遅れそうになる。 救いは風が涼しいこと。これが真夏なら峠でリタイヤ間違いなし。 足元にはイワカガミのつぼみがたくさんあって踏まないで歩くのが困難だ。 |
高竜寺集落からのコースと合流 | 最後の急登りだ |
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542から次のピークへの100mほどの登りが一番辛かった。そこを登り切ると 山頂までは目の前なので気が楽だ。高竜寺集落からのメジャーコースと合流すると 道は一気に歩き良くなる。 |
芝生の山頂 | 東屋から久見浜湾を見る |
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標高696.7m、二等三角点の高竜寺ヶ岳には14時半着。時間的に誰もいないだろうと思っていたが、 室内犬を連れた家族がいた。 (この家族が曲者で、ゴミを置いたまま下山しよった!!町中の普通の公園と間違えているのか?) その後も数組のハイカーが次々と登ってくるのでちょっと驚くが、考えれば普通のコースなら 簡単に登れるのでこんな時間でも登頂してくるのだろう。 |
西を見る | 東を見る |
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展望写真は家に帰ってみると昔のレポートと同じものだった。考えれば山からの展望がそう 変わるはずもないと納得。とりあえず縦走は成功したし、ここからの下山がどれほど時間が かかるのかもわからないので早々に降りましょう。14時48分。 |
高竜寺ヶ岳を去る。矢印は東屋 | 『K』地点で林道と出合う |
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下山路はたぬきさんたちが下った市野々へ下るルートを行く。ただ、地形図上に道の記載がないので 一本道ならともかく分岐があれば迷いそうな感じが・・・。 小型重機で付けられた人工的な下山。しかし横手にはブナの木も見えて良い感じ。 と思うまもなく林道に出た。
林道から標識のないこの登山口はわかるだろうか?と心配するより、この林道の左右、どちらへ行けば
良いのかさっそくわからない。右往左往して、結局左が正解。
しかもちょっと進んだら『L』地点で『高龍寺ヶ岳(近道)』なる看板があった。
ありゃ、こっちが正規ルート?
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またしても分岐 | 長い林道だったなあ |
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二つ目の分岐があった。15時半(ずいぶんと時間をロスしている)。周囲を見ると地面に道標が落ちていて危うく見過ごすところだった。 正面の平行に続く方向には『市野々スガマチ』、右手下る方向には『市野々(堂の奥経由)』と どちらも市野々となっているために強烈に迷う。
「まあ。右手じゃないの?」とTQFさん。実は登山道の入り口付近にあった耕作地は
円城寺(峠の名前の由来)という寺があったという。ならば、我々が車を止めた付近が
『堂の奥』という字でもおかしくない。という理屈で右を下る。
長い林道で下りにもかかわらず疲れが出る。これを登りに使うと分岐で迷うし、グネグネと距離も長くて あまり楽しい道とは言えない。こんなに暖かいのに北側斜面なので道をふさぐほどでかい雪の固まりが残っている。 三つ目の分岐を左に取りようやくTQFさんの車が見えた。16時。 ちょっと下った所には『無明の滝』がある。落差40m以上? 今日はよくがんばりました!
今回の法沢山〜高竜寺ヶ岳の地図は
こちら(約220k)
でごらんください。 |