はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『埴生』を参照していただくようお願いいたします。 2010. 1.23. 土曜日 曇り 気温寒い
北摂で人気の高い剣尾山だが、遠くから眺めるだけでいまだに登ったことがない山だった。
北摂に通いはじめた頃に登るべしだったのだがMTBで走れる山を優先したためにその機会がなかったのだ。
いざ登ろうと思ってもハイカーが多いと聞くとまた二の足を踏んでしまい今に至ってしまった。
今回登ろうと思ったのは以前から考えていたルートが歩けるか(あるいはMTBで走れるか)を
確かめたくなったからだ。
地形図を見ると剣尾山の山塊は京都府と大阪府とで二分されたようになっている。 そして剣尾山への登山道のほとんどは大阪府側からあるのだった。 実は、剣尾山から横尾山は普通のコースを行くしかありませんが、 横尾からその府々境界の尾根を辿って天王の舗装路峠まで縦走したいと考えていたのです。
最初は普通に大阪側から登って、天王に着いてからR173で帰るにはいかにも遠いなあと
地形図を眺めていたのですが、京都側から登れば案外短い距離で周回できるのに気が付いた。
そこでスタートゴールを畑野町土ヶ畑とする。
篠山に向かって車を走らせているとTQFさんと携帯がつながり、急遽いっしょに歩くことになって
篠山で待ち合わせて合流する。
公民館のある所は土ヶ畑(ドンガハタ)と呼ぶらしい。そこでハタと思いついた。この土地のキャラクターを ドンガバチョにすれば村おこしにばっちりじゃあありませんか。しかし、ドンガバチョ(ひょっこりひょうたん島の キャラクター)を知っている年代が 限られているから無理だという結論に。9時15分スタート。
1.5kmほど先にある住宅地の最奥から谷道を登る計画だったが、途中で見つけた橋を渡れば
地形図にある点線ルートを忠実に辿ることになる。そこでそれを実行すべく
橋を渡ると植林の中に細い道を発見。思った通りに住宅地の端っこに出る。
そのまま住宅地には入らずにヤブをかき分けて点線ルートを保持する。
青い金網に囲まれた水利施設?を通過。すると、住宅地からその金網を伝って来たのか、赤テープのマーキングが 始まる。やはり住宅地奥から入るのが正解のようだ。その先に立派な炭焼き窯跡があった。 天井も落ちていないし、中を覗いてたらゴミ一つ無い空間が広がっていて、動物の巣にもなっていなかった。 今でも現役で使えそうな感じすらある。
凛とした寒さで吐く息も白い。谷の流れよりちょっと離れて山腹を縫うように道はある。 等高線がゆるいので歩くペースも快調だ。やがて谷は広くなり正面と右に別れる分岐となる。 足元を見ると自然石で『界』と彫られた標石が埋まっていた。地形図を見ると横尾山へダイレクトに 登れるルートもあるようだがパス。 |
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マムシヶ原 | 峠に立ち寄ってみる |
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マムシヶ原という湿地帯?(ここからも剣尾山へ登るルートがある)を抜けてさらに登ると いよいよ剣尾山への『笠山コース』登山口となる。10時20分。さらにこの奥が野外活動センターへ下る 峠になるのでそちらへ寄り道してみる。でかくて広い峠だったが地面には車の轍があることから この辺までは自動車が登れるようだ。それと、先ほどの住宅地の字が『大たわ』というのだが この峠から付いたのかも。 |
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山腹に広がる松林 | 國界標石 |
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『笠山コース』の山腹は見事なほどの松林だった。これって秋に登ったら怒られそうな感じもするのだが どうなんだろ?719のピークに着く。ここが笠山と呼ばれているピークで、その向こうに 剣尾山が見えている。下って登り返すと剣尾−横尾の縦走尾根と合流する。 ここには『攝津・丹波 國界』と彫られた標石がある。明治10年と彫られているが、 これだけでかいものを里から担ぎ上げたのだろうか?
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頂上はこんな感じ |
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分岐からわずかの距離で頂上となる。10時50分、標高784m、三角点無し。 頂上はでかい露岩がごろごろしている。それらの上に立てば展望もあるし、 幾組かのハイカー達は岩を風よけにして食事をしているのだった。 私とTQFさんもちょっと離れた所で食事をすることに。 |
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ちょっと離れた所で食事 | 岩の上に登ってみる |
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食事の準備をしながら福井移動の矢問さんをはじめとする無線局を呼んでみるが 応答はなかった。北方向は白い山々が連なっているので無線どころでは無いのかもしれない。 こちらもじっとしていると手がかじかんでしまう。温かい食事を済ませて横尾山へ移動を開始する。 11時30分。
國界分岐から道はなんとも特徴的な道だった。右は白いプラチューブで保護された檜の幼木帯。 左は松林、そして両側とも笹に覆われているのだが、そのすべてが枯れているのだった。 TQFさんによると昔はそれらをかき分けてでないと進めないほどのヤブだったという。 今の様子は信じられないほどの変貌だという・ 鞍部から登り返すと先ほどと同じような國界の標石と電波反射板があった。 |
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深山の向こうには三嶽も見えた |
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反射板でしばらく展望を楽しむ。剣尾方向からハイカーの声が聞こえてきたので こちらも先に進むことにする。横尾山の三角点はピークとは言えないような 尾根の途中にあった。うっかりすると見過ごしてしまいそうだ。 二等三角点、標高784.8m。12時05分。
ここをホームコースにしている矢問さんのレポートでも昔は首までの笹だったという。 そのために横尾三角点からすぐ先にある分岐では誰もが南に下っていくのが普通だった。 しかし、今回のコースは笹枯れの今がチャンスです。 分岐までくると他のハイカーが休憩中。ブルーのコースで下るのでしょうが、 我々は白いコースです。 |
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南から西方面に大展望 |
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そこには高岳にあったような黒いネットと鹿避けのネットとが重なるように続いていた。 しかし、年月を経ているのか役にはたっていない状況になっていた。 本来なら笹に覆われていたと思うのだが、前述のように枯れた茎だけが残っている。 そのおかげで?南方向には大展望だ。遠くは六甲、大阪湾、市内のビル群なども見える。
足元の笹の茎、背の低いイバラなどがちょっとうるさいが歩くのに支障があるほどではない。 歩きやすいところを選んで進んでいく。やがて展望の尾根から雑木の尾根になる。 ゆるやかに円弧を描くように南西に進むが、先ほどの分岐ピークがよく見える。 先ほどのハイカー達はもう下っただろうか。 |
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『L』地点から分岐ピークを見る | 171鉄塔からの展望 |
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『L』地点の先で巡視路の火の用心マークが現れる。ここから南に下れば172鉄塔と書かれていて、 我々の向かう尾根方向には171と書かれていた。つまりここからの尾根は巡視路となり さらに歩きよくなっているということだ。その171鉄塔には12時50分着。 道がよいのでペースも順調。高岳が間近になって、その向こうにある大野山も見えている。 |
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広くて歩きよい尾根だ | すばらしい雰囲気の『M』付近。ここから下ってもよさそうだ |
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植林で暗い尾根を想像していたのだが、雑木が主体の明るい感じが続く。 獣が多いのか、鹿の寝床やら、猪の掘り起こした跡などが多い。 地形図とコンパスで怠りなく位置確認はしているのだが、境界を示す赤プラ杭やら、 先達の赤テープなどもあって迷うことはないだろう。 左右に下れそうな箇所もいくつかあってどこに続いているのか興味あり。 |
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コースの終盤付近 | 金網の途切れた所から右へ |
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青い金網にぶつかる。金網の向こうは土砂の採掘場だろうか。その金網に沿って北へさらに進んでいく。 金網を乗り越えればそこにははきれいな道があるのだが敷地内に入るのは問題ありなので そのまま進む。その金網が途切れるポイントは古い峠跡だった。 13時35分。正面にある小ピークを越えれば舗装路だが、この古道で下ってみたくなった。
誰も通らなくなってずいぶんと年月が経っているはずだが古道のたたずまいは残っている。 2箇所ほど谷方向に路肩が崩れているが何とか通過は出来る。 谷に降りてほどなくすると目の前にネットが通せんぼ。その向こうには公民館と自分の車が見えた。 期せずしてドンぴしゃの周回が果たせたということだ。ネットを開いて舗装路に出る。
WEBでこのコースが紹介されたのをまだ見たことがない。
本ではナカニシヤ出版から出ている『関西の山 日帰り縦走』という本の中にあるとかねちゃんから教えてもらった。
コースにあった赤テープはこれを読んだ人のものかもしれない。
13時50分公民館着。
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