はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『安積』を参照していただくようお願いいたします。 2010. 6.12. 土曜日 晴れ 気温ふつう
日曜日が雨の予報だったので土曜日に登るしかないのだが、さてはて、どこに登りましょう。
何度か登った五蔵山だったが、山頂から斜面を下った所に岩窟があるとOAPさんから聞く。
その情報をもらってTQFさんと行くことにする。
いつものように深河内の消防団倉庫から林道終点にある五蔵山登山口へ車で向かおうとすると、 なんだか道が以前より悪い感じが・・・。前方を凝視するTQFさんが「車は無理ちゃう?」と言うので ストップ。ふと窓を見ると右手の家の前にいる男性も「ダメダメ」と手を振っている。 どうやら去年の大雨で林道路面が崩壊しているという。
彼はここに住まいするYさんで、『宍粟50山』の選定委員でもある。
とうぜん五蔵山の岩窟のことにも精通しているのでさっそく疑問をぶつけてみる。
それは岩窟に安置されていたという石仏が現在どこにあるかということだ。
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三方谷八十八箇所 | 弘法大師像 |
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下山後に誰かに聞けば教えてもらえるだろうと簡単に考えていたが、一番詳しい人に 偶然出会ったということは仏の導きと言えそうだ。ということで三方谷八十八箇所の二十四番霊場に 案内してもらう。「これがその岩窟にあった石仏です」とYさん。
見ると『大正三年 施主当村中』という文字の基台の上にこれまた『廿四番』と文字のある
弘法大師の石仏。見た目は非常にきれいで新しい感じがする。おもわず「ほんとにこれがあったんですか?」と
言うほどきれいだった。
その後も二十三番も案内してもらう。ここにもさっきとうり二つの弘法大師がいたのと、 不動明王の石仏もあった。そして数珠繋ぎのように、今度はこの不動があった滝に 案内してもらうことに・・・。
滝の横手には石を組んだ祠跡がある。ここに先ほどの不動が祀られていたらしい。
つまり昔はここが二十三番の霊場だったわけだ。
さらに滝の上には石組みの平坦地があり、昔はここでYさんのお父さんが銀を掘っていたという。
聞くたびにどんどんとお宝ポイントを紹介される。「次は、廃ログハウス見るか?・・・」と言われて、
さすがに遠慮申し上げる。これではいつまでたっても登山できません。
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林道が流されている | こちらもガレガレ |
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Yさんちに駐車させてもらって9時05分スタート。 林道の崩れた箇所をクリアーすると、そこから先は充分車でも走れる路面だった。 五蔵山登山口の標識を越えてからしばらくして、帽子を落としたことに気が付き 林道へ取りに戻る。とりあえず汗びっしょり。
このコースは登山道と言いながら、実は作業道を利用したもので、ここも
去年の大雨で傷んでいた。このままだと数年後には利用できなくなることも否定できません。
途中に水が湧いている所があるのだがそこは健在で、おいしい水がコンコンと湧いていて
ペットボトルに詰める。
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食事ポイントから西を見る |
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ガレた作業道を詰めて稜線に出る。稜線の反対側はほぼ同じ高度で林道がある。 そのために西側の展望は良い。時計はまだ11時だが二人ともお腹が減ったので この展望の良い所で食事をする。 |
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山頂へ向かうが | ここから降りる |
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さっさと食事も済ませて山頂へ向かう。途中には『しゃくなげコース』の看板がかかった 下山路がある。Yさんは、岩窟を見たあとはこのコースで下山したら良いとアドバイスをくれた。 ふと、右奥を見れば東山のでっかい姿が。そこには数年前まではなかった林道も見えていた。
頂上まで行くつもりだったが、その手前にある『大岩洞窟』への案内板があった。
それをみて山頂をパスしてこちらへ向かう。下り初めてわかったのだが、このルートは
私の一番苦手とするような道だった。斜面を恐る恐る行くがつかむものもなく、足を滑らすと滑落間違いなし。
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やれやれ着きました | ここが24番霊場 |
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TQFさんは山育ちなので足裁きもすばらしい。そういえば大柿さんも鹿のように 山を駆けていた。町育ちの私はへっぴり腰でヘロヘロだ。 泣きそうになったころ洞窟に到着。11時45分。 岩窟の手前は小さなテラスになっていて、本来の参道は下から来ているようだった(石段跡あり)。 岩窟の中に向かっても石段があり、その奥の一段高い所に祠跡が見える。 |
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石仏が残っていたらこんな感じ | 外を見るとこんな感じ | 角度を変えて見るとこんな感じ |
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洞窟は二つの岩塊が合わさって出来た裂け目のような感じだ。 露出している岩盤はなにかの鉱物を含んでいるようにも見える。 それにしてもこんな山中にこのような岩窟をよくも見つけたものだと感心する。 Yさんに肝心なことを聞くことを忘れた。それはいつまでここに石仏が安置されていて、いつごろ里に 降ろされたかということだ。下のお堂で見た石仏は大正時代で新しいが、きっと古い石仏から何代も更新された のだろう。 |
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難所? | 難所でしょ! |
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稜線まで後戻りしてシャクナゲコースで下山するはずだったのに、 TQFさんはめんどくさいからここから下山しようと言う。 かといって旧参道はどうなっているかわからないので、とりあえず山腹を 南に巻いていき、降りやすい尾根を探そうということに。 これがまた柔な私にはつらいコースだった。
こうなるとTQFさんに頼って着いていくしかない。
新設の鹿避けネットを見つけてそれに沿って下る。
やがて川になって向こうに道路が見えてやれやれ。13時15分。
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下山後、川を渡るとこんな所もある | 26番霊場もあった |
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道路を歩いていると26番の霊場もあった。つまり深河内には少なくても23〜26までの霊場があるということか。 駐車ポイントに戻ってみると、Yさんが「どこに行ってたんや」という感じで待っていた。 というのもYさんは我々の後を追うように作業道コースで登って、シャクナゲコースで下山したというのだ。 それなのに我々の歩いた形跡がなかったので心配していたのだろう。(^_^;)
今回の五蔵山の地図は
こちら(約65k)
でごらんください。 |