はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『但馬竹田』を参照していただくようお願いいたします。 2010. 6.20. 日曜日 曇り後雨 気温むし暑い
梅雨のど真ん中で当然今日も朝から雨だと思ったらどんよりとした曇り空。
とりあえず山崎のOAPさんちに用事があったので山行きの用意をして出かけることに。
用意はしたものの、テンションは低い。OAPさんとしばし話し込むがOAPさんも
どこへ出かけようか悩んでいる様子。雨は降るかもしれないし、降らないかもしれない。
とりあえず私は予定の婆々山へ向かう。
山崎からなので、笠杉トンネルを抜けて朝来市へ。婆々山の登山道がある佐嚢を通り過ぎて
口八代から八代トンネルを抜ける。つまり今日は表登山道の佐嚢高原からではなく、真裏にある
八代峠から登ろうという計画です。さすが人生の裏街道を歩く私にふさわしい登山コースと言えそう。
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トンネルを抜けた養父側に駐車 |
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トンネルを抜けた左側に旧峠へ向かっての道がある。が、通行止めのガードがある。 それをどけてまで車で行く必要もないので、そのコーナーに駐車して10時20分スタート。 あっ!デジカメを忘れてしまった。が、車中にサブ機を置いていたので事なきを得る。 |
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最初のコーナーに石仏あり | 女人像だった |
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旧峠への舗装路を歩いて、最初のコーナーに石仏のある祠があった。 舗装路が出来る前はこの祠からある谷が峠道だったと思える。 曇天で祠の中は真っ暗で肉眼でも見えにくかった。このとき写した写真の帰宅してから見ると なんとそれは地蔵ではなく、女人像で彫られている文字もなにやら意味ありげでおもしろそう。 で、その週末に再度写真を撮りに訪れることになった。それが横の写真です。
ライトを当ててじっくりと読み込んでみる。どう見てもこれは女人の姿であった。胸元で合掌している。
表情はわからないが丸顔で両肩にかかる髪がある。その像の左手には『○方やしろみち』とあった。
峠の入り口にふさわしい文句です。右には『爲眼明了聞法子』とある。『どうか、仏の教えが理解できますように・・』とでも
いう意味だろうか。今日の山行きでの最大の収穫です。
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八代峠手前にある | 徳本上人の花押 |
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八代峠は車では2度ほど通過した経験がある。たしかお堂と石仏があったと記憶しているのだが、 それらが見えてきた。3基ほど石造物があるのだが、 右の石碑の文字はもう判読できないほど薄くなっていた。真ん中は地蔵菩薩で養父側にある地名『井之坪』と 『慶応四年辰(1868)二月十五日』の銘がある。慶應四年は10月より明治となるので 江戸時代最後の年だ。 左にある『南無阿弥陀仏』の名号塔はよく見かけるものだが、左下にある『徳本○』のサインも どこかで同じものを見た記憶がある。家に帰って調べてみるとこれは『徳本上人』の花押(サイン)で、 そもそも『南無阿弥陀仏』の変わった文字自身、徳本上人が作った文字で徳本文字とも言われている。 徳本上人は江戸時代に全国を行脚した念仏行者で関西でも多くの信者がいたという。
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八代峠の全景 |
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それらの石仏の先には壊れかけた小屋がある。お堂だと思っていたら『休けい所』の看板が掛かっていた。 それほど古いものではないが、車の通行するだけのこの峠で休憩する人がいたとは思えない (横にトイレもあった)。そしてさらなる通行止めを越えて峠に行ってみる。
ここまで途中に一箇所崩れている所(土砂は取り除かれていた)もあったが、車が走れないほどではなかった。 が、峠は完膚無きまでに切り通しが崩れていた。これでは通行止めも当たり前と言える。 トンネルが出来ている今、もうこれを修復する予定はないだろう。つまりこの八代峠は 完全なる廃道へ進化(退化?)していくのだろう。 |
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市境界は思ったより歩きよい | 共同受信施設 |
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10時50分、峠より登山開始。思ったより快適な尾根で歩きよかった。最初の急登りを クリアーするとTVの共同受信施設跡があった。先ほどの石仏と同じ地名である『井ノ坪テレビ受信施設組合』 の銘板があった。 |
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岩場は左下を巻くべし | 605手前はこんな感じ |
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突然尾根はゴツゴツの岩場で細くなる。足元は切れ落ちてここを歩くのは現実的ではないので 左下に見えている鹿避けネットに沿って迂回することにする。しかも、雨が降り始めた。 結構な雨量なので足を止めて、ここで戻ろうかどうしようかとしばし思案。 ところが頭上を覆う広葉樹の葉っぱが傘の代わりになって地面に雨は落ちてこない。 つまり濡れずに歩けるということだ。
足元の悪い岩尾根で雨も降ってきたし、いったいどうなるかと不安だったが、
広葉樹の広い尾根になってテンションも上がってきた。605ピークで
11時40分、お腹も減ったのでおやつを食べる。ちょと元気が出てきたので
とりあえず行ける所まで行ってみよう。
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オクトパス松 | 尾根は細くなってくる |
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605からすぐの所で尾根の真ん中にでかい赤松が通せんぼをしている (今回のルートは赤松が多かった)。太い幹からタコの足のように上に向かって枝分かれしている。 11時50分、市境界が大きく右に別れる三叉路ピーク(標石『三』)に着く。 もし余裕があるようなら下山はここから西に下ってみたい。
尾根は細くなり歩きづらくなる。生え込んだ低木が邪魔だったが、獣の通った跡を探しつつ通過する。726ピークは地形図で見るより
それほど尖った感じではなかった。この辺りはクヌギ林が広がっている。
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クヌギ林が広がる | でかいヌタ場だ |
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大きなヌタ場を越える頃からうっそうとした植林帯となりやがて目前に頂上が見えてくる。 頂上まではえらい急斜面だが、その手前で ソマ道が現れたのでぐるっと左から回り込んで頂上に立つ。12時35分、二等三角点、 標高742.9m。婆々山は馬場山とも書かれていることがあるので、頂上にあった案内板には どう書かれているか確かめてみると、『ババ山』とあって、がっかり。 |
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山頂 | 東から南に展望あり |
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遅い昼食を摂る。無線を付けてみると朝方会ったOAPさんと繋がった。 雨を避けるようにして段が峰に来ているという。幸いに私も途中では降られたが、山頂では雨に遭わなくて済んだ。 眼下にはR312があって東方向に展望があるようだ。ガスというようり水蒸気のために よく見えないが、天気がよければなかなかの展望だと思う。もうちょっとゆっくりしようと思ったが どうも雨になりそうなので手早く撤収をする。13時15分。 |
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尾根を外れて歩く | クヌギとコナラの斜面 |
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ピストンで下山をする。市境界の三叉路には13時53分。余裕があれば ここから西に下っていき、佐嚢の佐中と長野の内山を結ぶ峠から下りたかったのだが どうやら夕立になりそうな雰囲気がするので素直にピストンを続ける。
605を過ぎた頃、左下を見ると林道が見える。共同受信施設から北へ下ると
その林道に降りられそうな感じがする。
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林道越しに北を見る | 林道に降り立つ |
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予想通り林道がどんどんと近づいてくる。このままだと尾根の先端を林道は回り込んでいるはず。 ふと、開けた北方向を見るとこのあいだ登ったスリガ峯が真っ正面に見えた。 そして赤土ののり面を滑り降りて林道に立つ。14時25分。
ここがちょうど林道の終点で、向こうを見ると路面やらのり面が崩れていて、車両はもちろん
人が歩くのも危ないような箇所が見えた。とりあえずこのまま支尾根を下っていく。
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アンテナケーブルを伝って | 舗装路が見えた |
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アンテナケーブルはこの先にも続いており、途中には中継ブースターも残っている。 全国的にもそうかもしれないが、兵庫にある共同受信の施設は年々放置されつつある。 それはケーブルテレビの普及によるものだろう。 峠への舗装路には14時45分。ちょうどパラパラと雨が降り始めたので傘を差して 歩いていく。駐車ポイントには14時55分、いきなり雷鳴とともに大雨となった。 まさにラッキーなタイミングと言える。
今回の婆々山の地図は
こちら(約100k)
でごらんください。 |