はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。 2010. 4.25. 日曜日 晴れ 気温ふつう
中央分水嶺歩きもボチボチといった感じで進んでいるが、所々、虫食いのように歩けていない 箇所がいくつかある。その一つとして与布土坂(生野町黒川と山東町与布土とを結ぶ峠で板根峠など複数の呼び名がある)から けえ坂(青垣町大名草と山東町与布土を結ぶ峠)の間の稜線部分。そこだけを歩くのは 頼りないので、粟鹿峰までの往路コースとして利用してみよう。単独ならショートコースだが、たぬきさん夫婦が同行してくれるので ロングコースで設定する。
下山地は當勝神社とする。たぬきさんの車をそこに止めて、私の車で与布土の最奥にある板根へ向かう。
粟鹿峰の登山口の一つである与布土コースの入り口付近はダム工事のために封鎖されている。
しかし板根は谷が違うのと、黒川への峠道は近畿自然歩道なので問題無しと予想したのだ。
しかし、ここも
一般車は進入禁止で手前に仮駐車場がある。自然歩道があるために歩行者用のバイパスも用意されていた。
8時50分スタート。
昔は『A』の地点、ちょうど道が左右に分かれる所にあった石仏が 工事のために脇にどけられていた。後背部分には『右 山道』『左 くろがい』とある。 黒川なら納得できるのだが『くろがい(黒垣)』とはいずこのことぞ? 黒川の別名なのだろうか?別にどうでも良いようなことだが気になるなあ。 |
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ここに家があったのに! | 鳥居をくぐって |
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板根にあった一軒だけの民家は無くなって、そこは残土置き場のような施設になっていた。 ここにあった民家の脇にはたくさんの石仏があったのだが、それらはどこに行ったのか? そして、昔からあった自然歩道の標識は置き方が間違っていてあらぬ方向を向いている。 くれぐれも注意しないと、事情を知らないハイカーならとんでもないことになりそうだ。 我々は石組みの平坦地奥にある鳥居をくぐって大原神社へ向かう。 |
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大原神社に寄ってみる | 落語の『ゾロゾロ』みたい |
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大原神社は小さな流れの横手に建っているこぢんまりとした神社だ。昔はなかったが その奥には神社に覆い被さるように土砂災害防止のダムが造られていた。 祭神は不明だが、梁からは一本の綱にくくりつけられて多くの帽子がぶら下がっている。 この神社の裏手には目の神様である青倉神社があるが、さしずめここは頭の神様かな? |
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洞窟、どこどこ? | なんか楽しい。(^_^) |
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去年の大雨で自然歩道が荒れていないか不安だったが、案外しっかりと残っていて スムースに登れる。黒川ダム=1.3kmという標識を過ぎて右手を注意していると ぽっかりと空いた洞窟がある。奥は深くない。何か鉱物を期待して掘った試掘の跡のようだ。 そういえば与布土には鉱山跡があると聞いたことがある。 |
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稜線に出ると雰囲気が一転 | お二人はこれを見ていました |
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谷を一直線に上り詰めると稜線に出る。初めての人なら峠かと思うかもしれないが、この稜線を しばし歩くと中央分水嶺の峠、与布土坂なのだ。それまでの暗い谷と違って稜線は快適な道で 空も明るい。二人の視線を追うと、そこには山桜が青空をバックにピンクの固まりが鮮やかだった。 展望の無い東屋を通過して峠に着。10時18分。
よふど坂には以前同様に石仏 がある。ここより西に向かえば青倉山。正面には黒川ダムの周遊道路が見えている。 そして標識には『粟鹿山4.8km』とある。ここから粟鹿までは中央分水嶺の歩きとなる。 しかし、頂上まで4.8kmもあるんか。お昼までには無理っぽいなあ。
峠からちょっと歩くと再度道路に降りることになる。 そこには黒川ダム周遊路のほかに新設の林道ができていた。 工事案内の看板を見るとそれは粟鹿峰から遠坂峠まで続くようになっている。 素人目には不必要な林道のように思える。兵庫県はよほど裕福なのだろう。
林道から登り返した773ピーク付近は粟鹿峰を望む絶好の展望地だった。 ただでさえ遅れ気味なのにここでまた立ち止まってしまう。 いかん!先に進まねば。甘いものをもらってちょっと元気が出る。 明るい展望尾根から暗い植林のゆるやかな起伏の尾根となる。 この辺は右の支尾根に誘われないように気を付ける必要がある。やがて急下りになり けえ坂に到着。11時35分。ここに来るのはもう何度目か。
峠から与布土側を見ると真っ黒な植林の奥に白い道路がチラッと見えた。新設林道の一部か。
ドカンと下った峠から680ピークに登り返し。空腹には堪える登り返しだ。
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そこからはこういうふうに見えます |
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竹田城祉を見る | 仏岩か? |
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明るいピークに着く。12時15分。周囲は枯れた茅で 展望が良い。その先にも茅と枯れたナラが続いている。足下には新設の四等三角点があった。 氷ノ山に登っているOAPさんたちはとっくに食事も終わっているようだ。 |
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与布土コースと合流 | 2001年の同じ場所(人物の向きは逆) |
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有刺鉄線に沿ってある最後の激登りをクリアーすると、現在通行止めになっている 与布土コースと合流する。昔はこのあたりは笹ヤブで中央分水嶺に入るポイントが 難しかった記憶があるのだが、現在は通行止めになっている与布土コースのほうが踏み跡薄くなって 立場が逆転している。 |
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仏岩コースと合流 | 2001年の同じ場所 |
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仏岩分岐も大きく様変わりしていた。昔もほとんどいなかったが、現在も 仏岩方向に行くハイカーはいないのだろうか?MTBを頭上に持ち上げて藪に 突っ込んだものだが、今なら行きやすいだろう。仏岩は一見の価値ありですぞ。 できたら大柿さんのように仏岩の上に登るのも一興だ。 |
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山頂はこの上だ | やれやれやっと着いたね |
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トイレの裏側から管理道路に出ると頂上直下だ。階段を上がると枯れた芝の 憩えるスペースがある。一等三角点、標高962.3m。13時10分。 いや〜、長かったなあ。さっそく食事。天気は最高。ポカポカでごろんと芝に横になると 寝てしまいそうだ。二つの建物に挟まれた山頂だが、しゃべると建物に反射した声がエコーになる。 オカリナ吹きたかったなあ。 |
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粟鹿山山頂 |
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下山コースについて相談する。簡単に下るなら山東自然の家への登山道がある。 当初考えたのは今立っている山頂から西に見える尾根に下って、そこから北に 方向を転じて点線ルートで741を経て下山するコースだ。 地形図には無いが実際にそこを見ると途中には前述の林道が横切っていた。あそこまではなんとか なりそうなのでとりあえず行ってみようということに・・・。13時50分下山開始。
だーれもいなかった山頂だが、我々が下山をしようといたときに管理道路で登ってきたというご夫婦が 現れた。リュックもなく双眼鏡だけ持った散歩というふうだった。変な所を下り始める我々を見て 「そんなところ行けるんですか」と言う。こういう言葉を 聞くのが快感に思えるのはもう病気かも。 |
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明るくて良い感じだね | 林道へののり面も階段があった |
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山頂から見ると林道に降りるに高いのり面が問題だったが、幸運にも階段が設置されていた。 そしてこれから下る対岸にもここから下山してくださいよ〜とばかりに階段がある。 林道はこの先で行き止まりになっていた。工事車両の姿もなく、しばらくは工事をするような様子に見えない。 ということは、この階段を新たな登山道として使うつもりだと思う。林道はダム工事側から繋ぐ のだろう。
ここからは写真になるような箇所がほとんどない。741付近はブッシュで 通過できそうになく、稜線下の斜面をトラバース気味に通過するしかなかった。 その斜面も歩きづらくなり、再度稜線に復帰するとなんとか歩けそうな感じに 戻っている。点線のルートはほとんど消えかかっていると言っていいのかも。 |
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四等三角点から頂上をかえりみる | 激下り斜面 |
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一時はどうなるかと思われたがなんとかなりそうな雰囲気になってきた。だが、414へ 下るのはあきらめて、歩き良さそうな右手の切り開きを選択する。 すると途中に新設の四等三角点が現れた。ということは設置の踏み跡があるはずなので下りは保証されたわけだ。 しかし、斜面は激下りの連続で下りにもかかわらず汗が出てくる。 |
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山東自然の家に出た | 当勝神社でゴール |
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西宮市の山東自然の家の敷地内には15時50分着。休憩も含めてトータル7時間の歩きになって 久々の充実感に浸る。今回の下りコースは予想はしたもののあまりよく無かった。もう一カ所考えている ルートがあるので次回は(何年後かな?)それを試してみたいと思う。 たぬきさん次回もよろしく!
追記
Iさんによると、「和、王、輪」の「わ」ではなくて、、「波、者、盤、半、八、葉、破、芳」のうちの「八」の「変体がな」 だと考えられました。すると『くろがは』となります。 さらに昔は「わ」と「は」の混用が有ったことから 『くろがは』→『くろがわ』とということです。 どうもありがとうございます。m(_ _)m
今回の粟鹿峰の地図は
こちら(約220k)
でごらんください。 |