白口682〜猪野々629

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『生野』を参照していただくようお願いいたします。
 
2009. 3.21.  土曜日  晴れ  気温ふつう
生野の白口といえば、観光坑道のある鉱山跡よりさらに古い鉱山として 知られています。最盛期には880軒もの人家があったと言われているが、 現在訪れてもはたしてそんな敷地がどこにあったのか疑問に思うほど 谷間の小さな集落です。高畑山に登るには良いアクセスポイントだが、 今日はその真反対の山域を目指してみる。とりあえず682と629を結ぶ尾根を歩いてみようと思う。 WEBで調べる限りでは登った人の皆無な山だけにどんな所か興味大だ。

そんな白口の集落入り口には昭和12年にできた無縁塔ときれいな木造のお堂がある。 お堂の中には三体の阿弥陀仏がある。説明などはなかったがその立派な姿からして 近くにあった廃寺から移転されたものだろうと思う。 表には三十三体の石仏があり横手に『三十三所観世音』と彫られた自然石もおかれている。
三十三体の石仏とお堂

『江戸時代末期の弘化三年(1846)白口郷の観音信仰の信者達によって、愛宕山の山頂に三十三体の 観音菩薩石像が祀られました。以後、風雨により石像の損傷も激しく、このままでは崩壊の恐れがあるために、 平成三年(1991)郷の有志によってこの地に安置されました。』と看板がある。 これを訪れていつも疑問に思うのはこの愛宕山とはどこにあるのだろうかと言うことだ。 少なくてもこの白口の周辺でなければおかしい。
集落の真ん中にも坑道がある静かな集落

お堂周辺の写真も撮り終えて9時半スタート。歩き始めてすぐ左に坑道跡を見つける。 入り口は鉄柵で封鎖されているが隙間から中をのぞき見ることが出来る。 昭和40年?ぐらいまで作業がされていたと聞いた。確かに線路と 最奥にはトロッコの姿も見える。

坑口をあとにしてこんどは左手 一段高いところに稲荷神社がある。そのさらに左側は石垣のある耕作地跡のように見えるが 古くは分教所跡だったらしい。平成14年にはそこから経石が出たというのだから、 どこかを掘ると何かが出てくる、そんな古い歴史の集落だというのがわかる。
正面上にある施設跡が目印

白口峠まではまだまだだが、集落を抜けた左手に大きな谷がある。 現在は成長した杉の木立が谷の入り口を隠しているような感じになっているが 入り口右手斜面に見える謎の施設跡が目印となる。
大きな石垣だ石垣は左右に延々とある

この谷全域が白口の鉱山跡だ。細い谷川だが護岸の石垣があり、その両側の斜面にも 石垣が上流に向かって延々にある。 どこかに狸堀りの跡などがないかとうろつくが川岸近辺にはそれらしいものはない。 斜面の上のほうか、あるいは埋め戻されたのかもしれない。 この広い谷から考えて 白口の880軒の人家のうちの半数以上はここにもあったのではないだろうか。

川底にそこだけきれいな石組みの所があった。見るとその近くにはマンホールもある。 それには『水道 排気弁』と文字のある鋳物の蓋。左から右に書かれているので戦後のものだろう。 廃鉱後は利用されることのない谷だと思っていたが、ここから生野町内へ上水道の供給がされていたのでしょう。 谷の入り口にあった施設跡はポンプ場だったのかもしれない。
峠に着

奥で谷は二方向に分かれているが、地形図には正面に鞍部が存在していて、 正面のゆるい斜面を登っていけばよさそうだ。その斜面の途中にも石垣があって、こんな奥にも あるのかと驚く。 しかし、とうとう坑口跡を見ることはなかった。鞍部には10時10分着。

この鞍部を抜けると今はダムに沈んでしまった上生野(こうじくの)へ行けるので 古くは峠として機能していたはず。白口で峠の名前を聞いてみると、「名前はあったんだけど、 何やったかなあ・・・」と残念な答え。ただ、峠を過ぎるとそこは『青草線』と呼ばれており (そういえば青草川、青草山があると聞いたことがあった)、昔おばあさんが青倉神社へ水をもらいに 通ったそうだ。

青倉神社は目の神様。鉱山で働く人はタガネで飛び散る石の破片を目に受けて目を患うことが多い。 そこで霊水をもらいにいったのだろうか。そう想像するとわざわざ青倉まで水をもらいに行く つじつまが合うように思えた。
稜線には心地よい道がある

写真では峠に1本の倒木が目立っているが、実際はそこだけで、稜線上にはきれいな道があった。 植林の仕事道なのか、鉱山開拓時からの道なのか?あるいはこの近辺にあるはずの 愛宕山への参道なのか?北西から南西の尾根と合流するのもきれいな 巻き道で難なく合流。
682のピーク着

南西の稜線では手入れのされていない植林帯の伸び放題の枝で行く手を 遮られたりしたがほとんど困難もなく10時40分に682ピークに着。 ピークは広いが暗い植林帯で全体を見通せない。それよりその奥に見える伐採地に 目がいってしまい、ピークの探索をパスしてしまう。
682ピーク横にある伐採地

横手にある682とは好対照な明るい伐採地である。目の前には高畑山がでーんとそびえる。 その左奥には白岩山が隠れている。神崎の小学校の生徒達が登るという小畑山とその左にある衛星峰 は二つあわせると女性の乳房のようだ。
伐採地からの展望。左にある白矢印に立つと下の写真となる
その白矢印から見た展望。上の写真は同様に右上の矢印から写したもの

周囲の山が高いので遠望はできないが知っているピークを違う角度から見られるのは 楽しいものだ。ここでくつろいでいたいがお昼には早すぎるので先に進んでみる。
尾根は細くなる

ここから西方向へ進む。右に入り込むと観光坑道のある施設に 降りてしまうので注意しながら進む。稜線上にもたぬき掘りの跡と 思えるようなくぼみがいくつもあった。ふさがっているように見えても 危険なので迂回して通過する。
法道寺山だ釜床と馬場山
粟鹿峰も見えた629で食事

629ピークには11時半。思ったより早かった。予定ではここから北にある点線の谷道で下山するか、 あるいはそのまま西進して市川と白口川の合流する三菱の工場横手へ下山するつもりだった。 が、北への点線ルートは予想通りに無かったのでこれはペケ。 工場への下山は簡単に出来そうだったが白口まで帰る舗装路歩きが憂鬱だった。 結果ピストンで帰ることにする。

倒木の多い629だったが一箇所平坦な座れる所があったのでそこで食事をする。 30分ほどで食事も終えて682へ向かう。 途中では地面の石を手にとって見たり、怪しげな斜面を下ったりして周囲を眺めたり、 けっこう寄り道しながら帰る。682には12時40分着。ここでのんびりコーヒーを 飲んでオカリナも楽しむ。
稲荷神社へ向かって下る振り返るとこんなふう
下山は白矢印で下っている

地形図を見るとここからダイレクトに稲荷神社に下れそうである。ならば行ってみよう。 伐採された谷を右に見ながら支尾根を下る。見ると谷の反対側の斜面には仕事道らしい跡が 見えた。あれを下ってもよかったのかなあ。谷には三椏の木が淡い黄色に色づいており いかにも春の感じがする。
一旦谷に降りて回り込んで稲荷着

ストーンとまっすぐに降りれば稲荷のはずだったが伐採倒木のひどくてそれ以上下れない。 しかたなく一旦谷に降りて(TVの共同受信の電柱があった)そこから回り込んで稲荷に着。 回り込んだ所にあった棚田のような箇所は分教所の敷地跡のはず。

気になったので翌週再度白口を訪れてみた。 すると682は愛宕山ではなかった。よくよく聞いてみると 鉱山跡の谷入り口(地図の『A』地点)で見えていた浄水施設の上、 つまり544がそうらしい。

今回の白口682〜猪野々629の地図は こちら(約90k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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