古城山〜内山寺

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『但馬新井』を参照していただくようお願いいたします。

2009.10.18.  日曜日  晴れ  気温ふつう
初めてこのコースを歩いたのは8年前。銀山として有名な生野にあって、当時はほとんど 訪れるハイカーもいない山域だった。見るものすべて初めての場所だったが、 山城跡、廃寺跡、石仏の道、銀山坑口跡、そしてピークを結ぶ尾根は日本の背骨である中央分水嶺。 単なる山道だけでない、それらの見どころを捨てておくのはもったいない。 少し手を加えてハイキング道にすれば立派な観光資源になるのになあ。

同様の思いを持っている人が生野にもいた。今回の歩きを誘ってくれたジローさんだ。 地元の人の強みで人脈もあるだろうし、町の歴史にも明るい。 うまく事が運んで町の活性化に繋がればすばらしいと思う。 今回は8年前のルートの古城山から釜床山手前までを途中にある 枝道などを確認しながら歩いてみる。

当初は7人ほどで歩く予定だったが実際は4人でスタート。 男性はやまあそと生野のジローさん、女性陣はマラニック(名前だけ聞くと なんのことかまったくわからない・・・)をやっていてアスリート系のまきさん。 生野とは縁の浅からぬ神崎町作畑で山と川のあいだで というブログをやっているともみさん。あまり人数が多くなると歩くスピードが落ちてしまい、予定のコースが 歩けなくなることもあるのでこれくらいがちょうど良い。私のダジャレも全員に聞こえるし・・。

びわの丸公園から登るA地点から頂上を見る

てなわけで、びわの丸公園から古城山へ登り始める。9時43分スタート。 この登山道は何度も登っているのだが、そのつど路面の状態が違う。 きれいに路面が整備されている時もあれば、今回は左右からブッシュが生え混んで プチやぶ状態だ。ジグザグに上り詰めて一旦平坦地に着く。この平坦地がたしか 『びわの丸』だと思うのだが違ってたらごめん。目の前に送電線鉄塔、その奥に 頂上がある。
シダまみれの『二の曲輪』『二の曲輪』から町を見下ろす

以前はここからアンテナ施設のある『別郭』、『三の曲輪』、『二の曲輪』と進んで行ったはずだったが、 引き続きヤブっぽい登山道?を登って行くといきなり『二の曲輪』に飛び出た。 シダで覆われていたが南端に立つと展望がある。主郭は目の前だがこちらのほうが 展望が良いのでしばし話し込む。
平坦な主郭と大岩こんなふうに歩いた

主郭には10時45分着。ここには謎の大岩がある。その昔、建物があったとしたら 間違いなく邪魔になったはずなのだが、なぜか取り除かれることもなくある。 ジローさんが言うには文字が彫られているという。よく見ると現在の人が彫ったと思われる 文字がいくつかあった。数百年経つと謎の彫り文字として脚光をあびることだろう。
採掘場最上部からの展望。赤い矢印に注目

主郭から分水嶺の尾根に乗るのがちょっとわかりにくい。記憶を頼りに飛び込んでみると まさしくそこだった。ここも城郭の端っこになるためか、石の階段跡が あったりする。その先はいきなり足元が切れ落ちており、のぞき込むとそこは採石場?の斜面というか垂直の 崖だった。いつかはこの分水嶺の稜線まで採掘されるかと思っていたのだが8年前と変わっていない。 ということはこれ以上の採掘は無いということか?

ジローさんの言うままに視線を向けてみると採掘場の端に煙突が見える(上の写真の赤矢印)。 カラミとは鉱石の製錬後の鉱滓を再度溶かして固めたもので、町内では石垣などに利用されているものを見る。 あの煙突の場所にも行けるということだが今回はパス。

カラミ製の煙突おだやかなケーブル道

この後、急にカメラの調子が悪くなり、何度もバッテリーをはずしたり入れたりしてリセットを試みるが うまくいかない。野外、特にほこりっぽい山の中で酷使してきたので寿命が近いのかもしれない。 太盛山手前のアンテナ施設は倒れていたが、町内がケーブルテレビになったためにその役目は終わっているそうだ。 時間の関係で太盛山もパスしてアンテナケーブル埋設の尾根道を行く。上の写真付近には 奥銀谷への下山道がある。

アンテナケーブルはやがて右方向へ消えていく。これも追跡すれば奥銀谷へむかうはずだ。 600+mのどろーんとしたピークを過ぎれば右方向には等高線のゆるい、 迷いやすい森となる。稜線を示す杭を外さずに進むと前方に釜床のピークが見えた。 行き過ぎたのでちょっと戻って適当に植林の斜面を下る。内山寺跡で食事をするためだ。

暗い植林帯を下るアセチレンランプ

植林の中にある踏み跡を辿って下っていく。どこを下っても石仏の道に出会うはずなので安心だ。 その道を辿って内山寺跡に到着。寺の田圃跡の正面にある四体の石仏が出迎えれば寺の敷地だ。 12時25分。おしゃべりをしながらの歩きなので ここでお昼頃になるだろうと思っていたとおり。
寺田の前にある石仏弁天の池の前で

ここも廃寺と言いながらさほど荒れた感じはしない。1200年以上経つ寺のオーラに包まれながら 食事を済ませる。『内山寺遺跡』の石碑周辺には墓石とか石仏などがある。 それらの寄進者には生野で活動していた山師などの名前があるとジローさん。 13時05分スタート。
狸穴を覗いてみるうまく撮れましたか?
道が崩れている釜床山への斜面を登る

石仏の道にある石仏をすべて調査するにはとんでもない時間がかかるだろう。 詳細に調べるとまた新たな歴史の事実がわかるかもしれない。 現に大多数の石仏は同じ石工の工房が作ったものだが、数体は違うタイプのようだ (年号を調べると判別できるかも)。

願主はいろいろとある。山師で個人とか講中のものとか、その中で『寒念佛』という のもあった。これは寒い時期の早朝に念仏を唱えて歩くというもの。 現在なら騒音として怒られそうだ。釜床山手前の鞍部から石仏の道を離れて 釜床山への斜面を登っていく。途中に巡視路のマークがあるのでそれを右に折れる。 最後の休憩地である鉄塔に到着。13時55分。

大展望です

古城山からここまでの分水嶺の尾根も見えるし、眼下には満水の水をたたえた銀山湖がある。 さらには遠くに千が峰も。ここで最後の休憩をして、これより道路へ 巡視路で下っていく。今回はさほど距離はなかったが、登りよりも下りのほうが足への負担が大きい。 アスリートのまきさんはまったく平気だったが、ともみさんはちょっと不安気。 なんとか下りきるとちょうど駐車ポイントの近くだ。14時50分。
選鉱場所の支柱穴こんなのがたくさん

あとは町内にある石仏やら岩盤に彫られた謎の文字(誰も知らないような場所にある)などを見学。 最後はジローさんの自宅納屋で散髪屋さんのNさんも合流しておしゃべり。 この納屋の裏手は銀山湖からの市川が流れているのだが、その河原の岩盤には いくつかの穴の跡がある。それは一度選鉱されクズとされたものを再度ここで選鉱したという。 主に女性などがこれをして生活の糧にしていたらしい。観光施設以外にもこういう 隠れた遺構を見られて感謝です。

今回の古城山〜内山寺の地図は こちら(約135k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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