はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『加古川』、『笠原』を参照いただくようお願いいたします。 2009. 6.26. 金曜日 晴れ 気温暑い
MTBというものは山で乗るもの!そういう信念のもとで我が愛車は舗装路を 走らせたことがない。MTBを始めた頃はブロックタイヤのままで100k近くを走ったことも あったがそれは遠い昔の話。最近は担ぐことが多くてほとんどクランクを回したことがないのが 現状で脚力はまったく無いに等しい。これではいけないので久しぶりにちょっと散歩に出かけてみようかなあ。 ちょいとシングルトラックも走りたいので法華山一乗寺の裏参道を走ってみよう。 そう思いついて、車に積んで行くのではなく自宅から出かけることにする。途中にはおもしろそうな所もあるので 寄り道しながらのいわゆるポタリングだ。
家から近所の
野口町の水足に『平木橋』と呼ばれるものがある。大正4年に山田川疎水事業のために
造られた水路橋である。この地域は台地状のためにため池の多さは特筆ものだが、
そのため池に導水するために造られた水路のようだ。しかし、利用されなくなって久しいために
存在すら忘れられていたが、道路の建設にともなって一躍脚光を浴びることになる。
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保存された平木橋。人が通行せず水が上を流れます |
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最初はつぶされるといううわさもあったが、その歴史的価値などから近代土木遺産として 移築保存されるに至ったのです。町の中とは言えないような薄暗い森の中に最初はあったのだが、 元位置にあるときは見るチャンスもなく、移築されてからこうやって初対面の運びとなる。 1kほど離れた『前の池』という池の真ん中に復元されている。 池というよりビオトーブのような感じだ。今は立ち入り禁止だが、階段が設置されているのを見ると そのうち上を歩けるようにかもしれない。
車では通りすぎてしまいそうな所だが、こうやっていろんなものが発見できるのが自転車の
強みと言えよう。平木橋から集落内の小径に入り込むと薬師堂が目に入る。そのお堂の脇には
無造作に置かれた石棺があった。これまた他地域では見ることの出来ない、この地域独特の凝灰岩でできた
石造物だ。6〜7世紀のものらしい。
加古川の小さな支流である 別府川の右岸を走って、加古川線の踏切を越えると加古川の本流にぶつかる。 普通の橋を渡るのではなく、水管橋と呼ばれる人と自転車だけが通行可能の橋を 利用する。加古川バイパスの新加古川大橋とその上流にある池尻橋の ちょうど中間付近にある橋だ。この橋は名前の通り水を通すための橋で 川を横断しているのです。
今度は加古川の右岸にある自転車道を利用して北向けに走る。 加古川右岸というものの実際はその支流である権現川に沿って自転車道はある。 ここを走るのもずいぶんと久しぶりだ。平荘町西山付近から自転車道を離れ、これまた 支流の西川沿いに志方町を目指す。そして広い耕作地の奥、小塩池の近くにあるのが 八ツ仏(やつぼとけ)だ。
先ほど同様に凝灰岩で出来た 家型石棺の蓋を利用して内側に8体の仏が彫られている。 これは南北朝(14世紀)のものらしいが、8体の仏の配置がなんとも 謎めいている。『1』と印したものは阿弥陀如来で6体ある。『2』は 錫杖を持った地蔵菩薩。『?』は尊名不明。 なぜ6体の阿弥陀なのか?なぜ1体の地蔵なのか?寄進した人だけがわかる謎です。 近くにある長楽寺の墓地にも似たような『六尊石仏』があるというので いずれ訪れてみたい。
耕作地を抜けて志方町広尾に入った辻のお堂脇にこれがある。 『堂山 六地蔵石棺仏』だ。室町後期のものらしいが、これは六地蔵と わかりやすい構図になっている。しかし、青矢印にちょこんと座っているのは これを寄進した女性の姿だという。
その横手にあるのが『大峰山上三十三度供養塔』。横手には文政十亥(1827)二月。
先達の名前もあるのだが読みとり出来ず。供養塔の像は役行者だが、その下にいる二人は
前鬼と後鬼か?
寄り道はさらに続く・・・。というか、目的地へ向かう途中にはあまりに多くの お宝がありすぎるのだ。そのつど、立ち止まらずにはおられない。 う〜、目をつむって通り過ぎよう!!未舗装の農道走って山陽自動車道の加古川北ICの 裏手に回り込む。ここは山陽自然歩道なのだ。小さな道標石仏があって『右 ほうじよ 左 ほっケ山』とある。
料金所の事務所入り口を過ぎて山陽自動車道のトンネル上まで来た。 ここにも自然歩道の標識がある。後ろはもちろん高速道が走っている。 入り口をのぞき込むとえらいヤブのようだが、入っていくとそうでもない。
峠まではとうぜん押しになる。この時期だから蜘蛛の巣を払いのけながら進む。 峠には石仏もなく特徴のない所だった。ここから下りになるので乗ろうとするのだが、 草が生え混んでいて道が見えない。案の定くぼみとか溝とかあって転倒しそうになる。 しかも朝露で足元がびしょびしょになってしまうし、蜘蛛の巣攻撃で眼鏡にひび割れのような模様が・・・。
がまんしながら下り続けるといきなり道は良くなる。昔は建物があったような石垣も出てきた。 道路が見えてホッとするが全身ドロドロになっていた。舗装路を少し行くと一乗寺の入り口だが寺に入るつもりななかったので そのまま素通りする。平日の午前中なので駐車場も空いているようだった。舗装路を少し上ると山門が左手にある。 そこから旧参道が下っているのだ。ちなみに、この山門横からは三角点ピークに登ることも出来る。
その旧参道を下っていく。 路面は舗装の跡があるので、昔はここを車が上っていたのかもしれない。 今は通る車も人もいないので路面には苔が生えているが、そのコケに滑ってコケないように気持ち良く下る。 集落に出たところで石仏の祀られたお堂があった。 天蓋を持ったえらくスリムな地蔵菩薩だった。 享保十九甲寅(1734)の造立、姫路の芥田氏の銘がある。 中央で切り落とされたものかと思ったら、どうやら二つの石材をくっつけたものらしい。 他にも寄り道したい所があったがなにしろ暑い。そのまま帰宅することにする。 たまにはこういうのもいいなあ・・・。 今回の法華山一乗寺ポタの地図は こちら(約150k) でごらんください。 |