藤無山〜若杉峠

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『戸倉峠』を参照していただくようお願いいたします。

2009. 6.18.  金曜日  晴れ  気温蒸し暑い
しばらくさぼっていた中央分水嶺の山歩きも、ここ2週間で一気に若杉(わかす)峠から 殿下登山口まで辿ることが出来た。この近辺で取りこぼしがあるのは藤無山から若杉峠までだ。 正確には地図の『C』の鞍部から若杉峠までの短い距離だ。あまりに中途半端な距離なので いつまでたっても行けないままだったが、夏の暑い時にMTBと組み合わせると適度の達成感に浸れる ルートである。梅雨の晴れ間をねらって単独で登ってみよう。
若杉峠の空き地に駐車する

予定通りに若杉峠の空き地に駐車してMTBを組み立てて10時50分スタート。 道谷方向に戻って左(南方向)にある分岐で立ち止まる。今回はここから南下して藤無峠手前にある 昔からの登り口を利用する。 その三叉路の曲がり角にはこんなものがあった。
藤無峠方向に曲がる立派な道標だが・・・

ガードレールに隠れていて車などで走っていると発見しにくい、 しかもそのガードレールにワイヤーでぐるぐるに巻かれていて残念な姿であった。 年代などは彫られていなかったが、表は指さし(線刻で着物のそでも彫られている)の 道標になっていた。『左ハたぢまみち 右ハやまみち』と彫られている。 そのやまみち方向へ向かうわけだ。

道谷集落は小さいにもかかわらず、因播街道である国道29号線、そしてこの道標が示す 但馬を経て京都へ向かう街道、そして一宮へ抜けるこのやまみち。 道谷集落はまさに道の集まる谷の名前にふさわしい。

三脚を忘れたので自分撮りに苦労する登山口付近にあった

林道は舗装されており、さほどの傾斜は無く楽に登れるがスピードは普通の人よりは 確実に遅い(脚力が無いため)。大きくS字ターンしたあたりから未舗装になりスピードはさらに落ちる。 スタミナはまだまだあるのだが、とにかく暑い。未舗装は続くが平坦になったので一気に スピードアップ。峠の手前にある、何度か使った登山口に到着。11時25分。 この周辺には沼谷の名前のとおりに湿地が多い。見上げるとモリアオガエルの卵があった。
白矢印の杭にあるテープが目印鞍部に到着。向こうに林道

何年か前は笹が生い茂って入り口がどこにあるのかすらわからなかったが、今は しっかりとした入り口が確認できる。木の杭に巻かれていたテープが目印になるだろう。 古い林道の跡を行く。すぐに分岐になるが左を進む。ここから踏み跡をたどれば良いのだが、 ずいぶんと荒れていたので驚く。初めての人ならきっと迷うだろう。 倒木を乗り越え、乗り越え、稜線上にある鞍部には11時45分着。

鞍部で、話に聞いていたスキー場から伸びる林道を確認。なんのための林道なのかは不明。 これで完成なのか、あるいはここよりさらに伸びるのかも不明。 『ふじなし登山道』と手製の看板から植林の急登りを開始する。 頂上からはピストンでこの鞍部まで帰るのだが、この急斜面を乗ることはこの時点であきらめる。

982手前から見る藤無は遠い山頂近くにはブナもある

登り切ったところから山頂までは基本的に緩やかな尾根になる。これなら帰りは乗れそうだ。 だが、昔と違って倒木が多かった。でかい木が横倒しで尾根を塞いでいるので 登山道も真下をくぐったり、横にエスケープしたりしている。 それにならって登っていくがここも帰りは下車しないと駄目だな。
藤無山山頂

山頂には12時35分。鞍部にあった看板には山頂まで50分と書かれていたが その通りのタイムだった。林道と鞍部付近は暑かったが、標高が上がると共に涼しくなり、 山頂は風が吹き抜けていて快適だ。 しかも平日なので誰もいない。汗で濡れたシャツを着替えて食事にする。

山頂からは唯一東方向に展望があるがかすみがひどくて写真も写さなかった。 昔は笹に囲まれて展望どころか座る場所も限られていたのだが、 今はある程度広く、南に志倉への下山道、東には分水嶺の道が出来ている。 山頂のちょっと手前にも小さな広場があるが、ここは昔権現を祀った祠があったと聞く。 たしか、南の公文と北のどこかに分かれて降ろされたと聞いたことがあるがこれまた あやふやな記憶でしかない。

その権現が祀られる以前、 神話の時代に新羅から渡ってきたアメノヒボコという神と伊和大神(大国主命)が 領土を巡って戦をするのだが、最終的に この藤無山の山頂でお互いの納める国を決める勝負をすることになる。 それは三本の黒葛(くろかずら)に石を付けて投げ合い、その落ちた土地で領土を決めるものだった。 結果、アメノヒボコは但馬、伊和大神は播磨となるのだが、その時、黒葛(くろかずら)ではなく、 藤のつるが欲しかったのにそれが無かったことからここを藤無山と言うようになったという。

山名はともかく、 この山を領土の境にしたのは、古代の人たちもここが中央分水嶺であるということ知っていた ということだ。知識でどうこうというわけではなく、経験的に水の流れがここからは違うということを 理解して、川の流れに従って境界を決めたというのはまさに自然の流れであったように思う。

さーて走るぞ下をくぐり抜け・・・

そんなことを思いつつリュックに入れていたオカリナを取り出して数曲奏でてみる。 身体も気持ちもクールダウンできたのでそろそろ帰るかな。13時20分。 登りで感じたように、倒木さえなければ982ピークまでの乗車率は高い。 バランスを取るのに筋肉を使うため下りでも汗びっしょりになる。 激斜面を担いで降りれば林道出合いの鞍部になる。13時50分。
鞍部着間伐材で歩きにくい

とりあえず鞍部のどこから登ろうかと廻りを見渡すと、広場の奥に踏み跡があった。 そこから登っていくと稜線上にはしっかりとした踏み跡がある。その踏み跡は 右巻きに山腹を巻いていきスキー場へ下っているようだったのであわてて稜線へ戻る。 そこは間伐材で足元がわずらわしい。
大屋スキー場が見える点名『若杉』

しかし、三角点ピークが近づくにつれてミズナラなどの雑木が多くなってくる。 やはり植林と雑木とではまわりの空気自体が違うように思う。木々のすきまから 大屋スキー場が見えて、なにやら騒がしい音楽も聞こえてくる。ここは向こうと違って廻りで 鳥のさえずりが聞こえる別天地だ。 三等三角点、標高992.3m、点名『若杉』には14時25分。 カップゼリーを食べて小憩する。
ヒャッホー!!

ここから若杉峠まではずーっと下りが続く。藤無山頂からの下りに続いて、ここからも MTBが楽しめそうだ。最初は気持ち良く乗れるがやがて倒木が現れ、さらには植林帯になって どうにも乗れないようになる。気を付けないといけないのは、いくつもの分岐があるので 地形図を読みとって変な所に降りないようにしなければ・・・。
若杉峠をのり面上からのぞき込む

国土調査のマーキングもあるのでそれも目印にして峠の上に着いた。14時50分。 上からのぞき込むとよくわかるが、手前の旧道、奥にある新道、そのあいだに 島のような台地がある。つまり、この峠道(旧道、新道を含む)が整備される前は、 少なくともこの台地ぐらいの高さ(あるいはそれ以上)が峠の位置だったということだ。

旧道には『若杉峠開通記念の碑』があり、それには陸自の101と105建設大隊が 約2年の月日を掛けて昭和44年3月に開通したと書かれている。 このころ、県内では同様の工事が陸自によって行われており、加西市などでもその道が残っている。 四国では109峠という部隊の名前が付けられて峠もある。

旧峠はどんな風だったのだろう。道谷の人たちはその利便性から大屋に通うことが常だったという。 峠から大屋へは急激な下り斜面になっている。さぞかし苦労しただろうと思うのだが、最新の地形図を見ても 一部旧の峠道の残っている箇所がある。それらを辿ってみるのもおもしろいかもしれない。 いつも思うのは峠は歴史の残りやすい場所なのでいろんな発見がある。 記念碑の裏にはこんな一文があった。『いつの日か またたずね来む 山青き 若杉峠に のこすあしあと  105隊員』

今回の藤無山〜若杉峠の地図は こちら(約110k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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