はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『音水湖』、『戸倉峠』を参照していただくようお願いいたします。 2008. 6. 1. 日曜日 晴れ 気温ふつう
引原から登る三久安山は稜線上でブナを愛でることが出来るのだが、音水湖を挟んで
西に位置するこの山にはブナやら花はあるだろうか?
音水、赤西というとチシマ笹の激ヤブを想像するがこの山はどうだろう?
県境に近づくほどにチシマ笹ははびこっているが、この山は南部に位置するので
大丈夫では?よし、確かめてみよう。熊が出たら怖いのでTQFさんに盾になってもらう。
どこから登ろうかと考えたが、一番ストレートな引原ダムの堰堤付近から取り付くことにする。 地形図には崖マークもあるが。うまく迂回出来るはずと楽観視だ。ダムには9時ジャスト着。 このダムは昭和16年に着手されたものの戦争などで一時中断。結果昭和33年に完成を見たという。 ずいぶんと古いダムだったことを初めて知る。 |
矢印のルートで登ります | 建設時の遺構がたくさんある |
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堰堤を歩いて湖畔の西側に来ると、道標があって『展望公園』とある。これを行けば 簡単に支尾根に取り付けそうだ。そちらへ歩いていくとコンクリート製でドーム状の 建造物があった。説明版によると『バッチャープラント』といって屋根の上で 練り混ぜられたコンクリートを穴から落として台車に積み込んだ施設らしい。 穴はドームが被されてふさがっているが、 その柱には当時の工事中の写真パネルが貼られている。ダムに沈む前の引原集落とか、 周囲の山並みとか、現在とあまりに違うので見ていておもしろい。それにもまして 戦後10年ほどでこんな工事が出来る当時の日本人の馬力はすごい! 今歩いているのは 当時の工事用作業道で、それがそのまま遊歩道になっているようだ。道すがらには いろんな遺構が連続してある。その終点にある展望台は周囲の木々が育っているために 肝心の展望は皆無に近い。でも通り過ぎる風は涼しい。 |
展望台の脇から取り付く | 支尾根上にも建造物あり |
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展望台の階段手前からフェンスを乗り越えて支尾根に取り付く。 予想外にも明確な踏み跡とマーキングが続いていた。しめしめ、 これだったら楽勝で山頂まで行けそうだ。と、ちょっと広くなった支尾根上に 石組みの平坦地を発見。その脇には下界へ向かってきれいな道まである。 「これって、きっと祠かお堂の跡やで〜」と二人して結論を出す。引原の老人に聞くと 正解がわかるだろうか? お堂跡などかわいいもので、そこからいくつもコンクリート製の 馬鹿でかい遺構が現れる。ダムを造る際のアンカーだったり、 あるいは水を貯めるプール状のものだったり、それらはすべて50年以上前のものだ。 麓からはすべて木々に隠れているので実際ここまでやってこないと見ることは出来ない。 |
緑がまぶしい | 傾斜のゆるい所もある | 迷子のひな鳥 |
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最初は傾斜のきつい植林の支尾根だったが、気が付けば周囲は雑木になっていた。 その傾斜も緩くなるともうそこは極楽のようだ。ついつい足も止まって 視線を上げて、口をポカンと開けてうっとりする。すると地面を眺めていたTQFさんの驚きの声でこちらもどきっとする。 熊でも見たのかと思ったら、何の鳥かわからないがひな鳥が地面を歩いているのだった。 どこかにあった巣から落ちたのだろうか。怪我はなさそうだったが自ら飛び立つほどは 成長していないので地面を走るのみ。近くに親鳥が居るような雰囲気もないが、 我々も手を出すことは自然の摂理に反するので 見守るだけだった。
山頂が近づくにつれて緑色が濃くなっているようだ。期せずしてTQFさんも 同じことを言う。目の前にはだかる正面の急斜面を登ると三角点のある山頂だが、 あえてそこへは行かずに山腹を南に巻いて930mのピークを目指す。
頂上直下を巻いて南北に連なる稜線上に出たら、これまたよい尾根でびっくり。 下草はまったくない。枯れた笹すらないので元からこの辺は笹がなかったのだろう。 ここから5kmほど稜線を北にたどると兵庫・鳥取の県境尾根となる。 そこはすさまじいほどの笹ヤブだが、ここはそれを感じさせない快適さだ。 930mピークには11時ジャスト着。ここは引原川と音水川に挟まれた山塊にある 最南端のピークでもある。 若干の展望でもあればと期待したのだが、北方向がわずかに見えるだけで 周囲はただただ緑一色。 とりあえず二人とも腹ぺこなのでここで食事とする。 周囲が高いので期待していなかったが 駒の尾に登っているOAPさんとなんとか繋がる。 |
寄り添ったり | 跨いだり | 登ったり | 覗いたり |
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11時半にピークを離れて尾根を引き返す。15分ほどで三等三角点のある 山品山の頂上だ。標高945.8m。写真のようになんら見どころのない頂上である。 これで標高が1000mを越えるようなら物好きハイカーが登ってくることも あろうが、ちょっと寸足らずなのが惜しい。『宍粟50名山』にも漏れてしまったので やまあそが認めるところの『宍粟裏10山』に認定する。 そのまま山頂から北へ稜線を下る。ここから待望のブナが現れる。それも 若くて勢いのあるものばかり。肌もきれいでツタや宿り木などの寄生もない。 所々東方向がかいま見える箇所もあるが展望と言えるほどではなく カメラも構えにくい。 |
ブナの尾根 | 鞍部着 |
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大きな杉が一本すくっと立つ鞍部には12時25分着。標高は840mほど。 ここから北へ行くとしたらどこまで快適な尾根なのか興味あり。 でも予定通りにここから音水湖へ下山を開始する。 東の谷をのぞき込んで難路のようなら違うルートで下山も考えていたが、 植林の谷なので案外簡単そうに見えた。
最初のドンと下った所に炭焼き窯跡があった。ということは これに通うためのソマ道があるということだ。安堵してそれをたどる。 ところがその先で小滝が連続していた。道が崩れていたりして 不安定な箇所がいくつかある。 その一つで左岸を下れば簡単だったのに、なぜかTQFさんは右岸を下っている。 つい、それにつられて右岸を行ったのはよかったが、あやうく滑落するところだった。 山育ちのTQFさんはスイスイと下るが都会っ子のやまあそには無理なルートでした。 |
林道に出た | 鞍尾権現社 | 音水湖着 |
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水のきれいなのは特筆ものだ。冷たくきれいな水で顔や腕を洗って生き返る。 地形図にある林道には13時05分合流。ここからはのんびりと林道歩きだ。 林道の入り口にはゲートは無いものの、ここまで車で登ってきている形跡ははなかった。 途中にブロックを積み上げた祠を発見。祠の後ろには苔むして木の根が張り付いた巨石ある。 それらがご神体なのかもしれない。正面にはガラスドアがあって それを開けると小さなお社と、さらにその中にはお札がある。 明治30年という年号と『鞍尾大権現』という文字も確認できた。 聞いたことのない名前なので、この地域独特のものかもしれない。 あるいは尾という文字があるのでこの山域にある山の名前かもしれない。 などといろいろと想像してみる。 ダム湖周回の舗装路に出ると暑い。30分ほどそれを歩いて駐車場には13時55分着。 もうちょっとロングコースでもよかったかな。 今回の山品山の地図は こちら(約100k) でごらんください。 |