はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『北条』を参照していただくようお願いいたします。 2008. 1.27. 日曜日 曇り 気温ふつう
今週も加西市の里山探訪です。これまでもそうでしたが、古い歴史のある加西市なので、
山行き道中でもいろいろとおもしろいものも発見できて、単なる山歩きだけでは終わりませんでした。
はたして今回はどうでしょうか?
スタート、ゴールは加西市ですが、実際に歩くのは姫路市の山です。
加西市の吸谷(すいだに)町の公民館に駐車しますが勝手に止めるのは気が引けます。周りを見渡しても 朝が早いために誰もいません。しばらく佇んでいると、たまたま散歩中のおばあさんに出合い、許可を得て一安心。 8時40分スタート。 公民館の奥は道が分かれていて『耕地整理記念碑』の足元には古い 石仏道標がある。『左 別名 か志(濁点あり)や』『右 余田 庄村』。現在の地図には書かれていない 地名もあるが、別名、鍛冶屋、余田、庄はそれぞれその方向に該当する地名です。 その記念碑のさらに奥にあるのが慈眼寺観音堂だ。ここに吸谷廃寺があったという。 奥に小さな庭があり、そこには石造の多層塔がある。てっぺんにある相輪は無くなっているが 四角い五重の塔です。塔身の四面には四仏の種子が彫られており、さらに基台には消えかかった 彫り文字があって、それには弘安六(1283)年の年号もある。 |
貴重な多層塔です | 慈眼寺の裏手にある | そこのおばさん、何を笑ってるん? |
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その慈眼寺の裏手にはさらに怪しいものがある。最初は古い墓石が並べられているのかと思ったのだが、 表に回って見ると、それは五百羅漢を思わせるような石仏群だった。ここは『石彫宛』と言うらしい。 中には石仏とは思えないような過激な姿態の像もあり、一種パラダイスの様相をしている。 彫りが似ていることから個人がこれらすべてを彫ったのではないかと想像する。興味のある方はどうぞ・・・。 いよいよ山へ向かうが、その途中にあると思われる『かえる岩』も探してみる。 予備知識無しで来ているので、 どこにあるのかはまったくわからない。とりあえず北方向に伸びる谷をたどってみる。 地形図にあるため池を過ぎても踏み跡は続く。かえるはどうも居そうにない雰囲気だ。
ゆるい谷の最奥まで来たがかえるはいなかった。その代わりに右手に切り通しが見える。 行ってみるとそこは峠だった。畑町、西谷町方面に通じる峠だったのだろう。 かえるが見つからなかったのでここから目的の山へ向かう。
峠からはちょっとヤブっぽいがちゃんと小径がある。加西と姫路の境界に出ると 俄然道は良くなった。左手を下ると吸谷町から姫路の余田に抜ける峠に至る。 右へ行くと目的の八千種山から住吉山への縦走路だ。そちらへ歩くがなんとも良い道で MTBで来なかったのが悔やまれる。 すぐに分岐となる右に下れば中国自動車道の加西SAだ。MTBで来るならここから 登ってくるのが正解かも。
何年か前に一度手ぶらで登ってきたことがある。たしか加西SA付近から登ったと 記憶がある。その時は倒木もあったり、ヤブもあったりで住吉山までは簡単ではなかった。 当然MTBで遊ぶには躊躇するような尾根でしたが・・・。 誰が整備したのか、現在では見違えるような尾根になっています。 三等三角点のある八千種山には10時ジャスト。標高257.4m。北方面にちょこっとだけ切り開きがあり、 七種山方面が見える。あちらは七種類の穀物の種が山名の由来となっていますが、こちらは なんと!八千の種です。山の風格では向こうが上ですが、山名ではこちらの勝ち。
まこと、MTBを持ってこなかったのが悔やまれる。 地形的にも八千種山から住吉山まではゆるやかな下り基調になっていて初心者も 十分楽しめます。尾根の途中にはいくつかの分岐が南北どちらにもありますが、 それらはそれほど明確ではありません。しかし『E』地点には左右にはっきりとした分岐になってます。 そこだけが注意ポイント。
最後にちょっと急登りをクリアーすると四等三角点のある住吉山。標高200.4m。10時30分。 こちらは南方向に切り開きがある。それを眺めながらおやつにする。 あっけなく縦走が終わってしまったのでこれからどうするか?ピストンするか、 下山して道路を歩くか・・・。 |
南方向の展望 |
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住吉山からの下山道は二つある。西方向には明確は道あり。 もうひとつは南方向にある。こいつで下山してみましょう。 最初は急下りだが等高線がゆるくなるとこれまたMTB向きのよだれの出そうな 極細シングルトラックとなる。最後は竹林を抜けて畑の畦に出た。11時05分。 何の標識も無いので振り返ってもここが住吉への登り口とはわからない。
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耕作地から住吉山を振り返る。白矢印が下山路 |
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行き止まりと思えるような谷のどん詰まりへ向かって歩く。 途中で小さな道標を発見。『左 やま道 □□条 吸谷』とある。たぶん『右 北条 吸谷』 だと思われるが、昔は生活道だったのだろう。これで峠があるのが確信できる。
畑仕事のおじさんに話をうかがうと、この先にも石仏があるという。そして、峠を越えた 吸谷への下る途中に探し求めていたかえる岩があるらしい。こりゃ、ラッキーだ。 石仏を拝んで、横手にある道に一歩踏み込んで息をのむ。これはヤブっぽいぞと第六感が警笛を鳴らしている。 その通りにだんだんとヤブがひどくなってくる。つまりだーれも峠を利用していないと いうことだ。しかも地形図のルートは最低鞍部を通過せずに、鞍部から南よりの 送電線鉄塔付近を通っている。どれを信ずるべきか・・・。
谷の終点付近から左右に踏み跡が別れている。最低鞍部へは左、点線ルートを信ずるなら右。 ちょっとマシだと思える右を選んだのが間違いだった。頭上を仰いで送電線を探すと 真上にあった。方向は間違っていないが峠道ではなさそうだ。しかも倒木などで進めないので、山腹を 鞍部方向に巻きつつ尾根に登る。 汗びっしょりで尾根に到着。ちょうど鞍部と鉄塔の中間付近。12時のサイレンが鳴った。 鉄塔へ向かえば巡視路があるのでそれで下山出来るのだが、やはり峠へ行ってみたいので 鞍部へ向かう。 鞍部には12時08分着。こぢんまりとしたきれいな峠だった。 しかもヤブと倒木で途中で道のわからなくなった余田方向にも明確な道が下りていた。 う〜ん、どこで見失ったんかな。 気を取り直して吸谷方向へ下っていく。ここも峠道は倒木などで通りにくかったが、迂回したりくぐったりで 下りていく。そして、ほとんど里に近い所でそれを発見!!
まさしくそれはかえるだった。もちろん見る方向によってはタダの岩です。 うれしくなって下から覗いたり、上に乗ったりしてかえるの感触を楽しむ。 実はこのかえる岩には言い伝えがあって、それは年に米一粒づつ里に向かって下っていき、 『修布の井戸』へたどり着いたとき、吸谷の集落は水に沈むという・・・。 温暖化の危機が叫ばれている昨今、ただの伝説とは思えないのは私だけか。 では、その『修布の井戸』とはどんないわれのある井戸で、どこにあるのか?実は13時過ぎには帰宅する必要が あったので、実見出来ないにしてもとりあえずその場所だけでも知っておきたい。吸谷集落の派出所で聞いてみると 区長さんのお宅を教えてもらえた。 その区長さんに井戸のあり場所を聞くと、なんと現存するという。 これはぜひ訪れなくてはいけません。「ところでそのかえる岩はどこにあった?」と、変なことを聞く 区長さん。「峠から下って里の間近でありましたけど・・・」と私。「ああ、 それは子供のかえるや。実は親のかえるもあって、それは違う場所なんや」な、なんと 親もいたのかあ!!区長さんの言うには親蛙が子蛙の居る位置まで下りた時に 水害が起きるという伝説のバリエーションもあるらしい。 『修布の井戸』と親かえるの位置はばっちりと聞いたので次回はこれを 確認したい。ちなみに、ここ吸谷は風土記では修布(すふ)の里と呼ばれていました。 ある女性がその井戸で水を汲もうとして井戸に吸い込まれて落ちたことから、 その『すふ』が『すう』→『吸う』に変化し、修布の谷が吸谷となったという。 今回の八千種山〜住吉山の地図は こちら(約120k) でごらんください。 |