志方城山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『加古川』、『笠原』を参照していただくようお願いいたします。

2008. 1.13.  日曜日  曇り  気温ふつう
リハビリハイクの第二弾です。天気が良ければもっと北方面へ行きたかったのですが、 朝の予報でも好転は望めなかったので近場のここにします。思い起こすと 10数年前にMTBで初日の出を見に登った時以来です。その時は志方町岡にある舗装路の 通常ルートで登りましたが、今回は歩きなのでどこからでも好きな所からチャレンジできます。

地形図を見ると志方町野尻から城山の東稜線にある鞍部に向かって林道が のびている。そいつが利用できそうだ。山陽自動車道の高架下に車を駐車して 歩き始める。8時25分。

権現ダムへ向かって南下する。一番最後の民家を通過してすぐに田圃を横切るように、 南西方向へのびる未舗装の林道がある。路面は落ち葉が覆い隠しておりサクサクと音を立てる。 道幅は車一台がようやく通れるほどのもの。それもやがて人だけが歩けるシングルトラックになる。
田圃を横切り奥へ向かう
城山の頂上も見えています
やがてシングルトラックになる

登りにさしかかるが依然として道は良好である。倒木もヤブも皆無だ。 MTBでもまったく問題無し。周囲は雑木ですこぶる感じがよい。鞍部まではすぐの所だったが、 身体が暖まってきたのでジャケットを脱ぎ、シダにそなえて 足元にスパッツを装着する。そして鞍部に着。8時55分。
鞍部には道標があったその文字を解読する

驚いたことに道標の石碑が眼に飛び込んでくる。つまりここは野尻と一本松を結ぶ峠だったのだ。 ただ、正面に下る(一本松方向)道はほとんどヤブに帰っていた。それとは別に稜線の 東方向に明確な道が続いている。その先には電波反射板があるので たぶんそれのための管理道として使われているのだろう。

彫られている文字を読んでみる。実はその場ではすべて解らなくて、 帰宅後に掲示板で画像をアップしたところ、ハインリッヒさんという方から 解答をいただくことが出来た。調べる苦労もせずに簡単に答えが得られるネットの 利便さを実感できた例である。

左、一本松・加んき(神吉)は現在でもある地名で想像通りの方向と地名だ。ところが右が難解だった。 ハインリッヒさんの助太刀で解ったのは、 加し於(お)・吉ひろとは昔は柏尾・吉広という集落だったのが、明治9年に 合併して広尾(現在の志方町広尾)となったという。なーるほど、 いくら地形図を見ても似たような地名が無かったわけです。 ただ、方向がどうもおかしい。野尻なら合点がいくのですが・・・。

左右の面にも文字がある。『ノじリ(野尻)世話人 又兵ヱ』『安政四丁巳(1857)四月建之』 と読めた。実は真裏にも彫り文字の形跡があるのだが、完膚無きまでに崩れているので まったく判読不能だった。実はこの又兵ヱさんはこれと同じような道標を寄進しており、 その一つが現在平荘湖にある自然の家の敷地内にあるという(ハインリッヒさんからの資料提供)。

その資料写真とこれを見比べてみると、ふたつはまさにうり二つにそっくりです。 ただ、自然の家にあるものには裏面(この場合表ですけど)にも『すぐ 法花山 ほう条』と大きな彫り文字が あるのに、ここのは剥落しているので、どういう文字が彫られていたのがわからずまったく残念としか 言いようがない。

未練を残しつつ文字解読はそれくらいにして、肝心の城山方面へ歩き出す。 稜線上の踏み跡は怪しいが、それとは別になにやら水平に山腹を巻く道があるのを発見する。 試しにそちらへ行ってみるが、10mほどで歩きにくくなったので引き返して稜線に乗る。 今考えると、それが道標にあった広尾への道だったのではないかと想像する。 とりあえず稜線と突っ切れば城山の遊歩道に出るはず。 (後日、城山の麓にある安楽寺にたずねてみると、それらしい道があったらしい)
城山遊歩道へ飛び出る歩いてきた稜線

峠から城山遊歩道までの稜線は、踏み跡があったり、なかったり。 うるさい小枝をかき分け、シダを踏みしめ前進する。蜘蛛の巣が無いのがせめてもの救いだ。 そうこうしているうちに無事に遊歩道へ飛び出た。9時30分。小憩を兼ねて たどってきた稜線を眺めてみる。

このまま遊歩道(ずーっと階段)で頂上まで行くのは簡単すぎてつまらない。 そこで、いったんこれを下っていく。階段が終わると舗装路に出る。それをさらに下ると 『旧登山道』という標識がある。せっかく頂上まであと一歩のところだったのに わざわざ下ってしまうのはこの旧登山道を登ってみたかったからです。
旧登山道の入り口にある毘沙門近くで見ると・・・

その登山道入り口を見上げると、せり出すように存在する大岩と、その下には岩で祠が造られて毘沙門天の 石仏があるのが見えた。これこれ!こいつを見るのも今回の目的でした。 さっそく祭壇のあるテラスまで登ってみるが、石仏を写真に撮るには角度があまり良くない。 そこでちょいとよじ登って接写してみる。

台座は石垣を模して切り込みを入れている。毘沙門天はその上に半伽で座っている。ずいぶんと立体感を出して彫られている。 頭上には火炎、丸くくぼんだ光背から浮き出るように卵形の顔があるが、表情は摩耗してわからない。 右手には三叉戟か宝棒、左手にある宝塔も崩れて形をとどめていない。 本来すっくと立って、邪鬼などを踏みつけているのが普通だが、のんびりと半伽の姿をしている 毘沙門天は珍しいのはないだろうか。
毘沙門の岩からの上から
むこうは平荘湖の飯盛山
ええ道です
下りはMTBできます

この旧登山道は予想以上に快適です。山腹をジグザグに刻まれた登山道は、道幅も傾斜も適度な ために歩きよく、下りに使うならMTBでも充分楽しめます。階段登山道よりこの旧登山道がおすすめです。 るんるんで登り切るとそこは大手門跡。右手に『空のこみち』とあるので行ってみると、 高御位山方向に開かれたパラグライダーのフライトデッキでした。 車でここまで来れないので担ぎ上げで来るんでしょうね。

電波反射板のある二の丸、第一櫓門跡を過ぎると、いよいよ頂上の入り口にあたる第二櫓門跡に到着。 ここから左右を眺めてみたのが下の写真です。
本丸前の櫓門跡に立つ
正面に大日如来を祀ったお堂があり、その裏手を覗くと井戸と搦め手に通じている。 左方向は三の丸をぐるっと周回するように四国八十八箇所の石仏がある。右方向が本丸跡で まずはそちらへ行ってみる。 普通は志方城山と呼んでいるが、その昔、中道寺というのが山上にあって、 その跡地に城を建てたことから『中道子山城』というのが正しいらしい。
ただただだだっ広い

だだっ広い芝の平坦地だ。『赤松城趾』と彫られてでかい石碑が目立つ。 その正面にはこれまたでかい一等三角点がある。標高271.6m。本丸の外周には ロープの柵が張り巡らされており、そばにはベンチも数基あってまったく公園の雰囲気だ。 ただ、そこからの展望はすばらしく、いくら眺めても飽きが来ない。時計は10時20分、 昼食には早いのでベンチに座っておやつとする。
明石海峡大橋先週登った経の尾と毘沙門洞窟の位置

遠くから熊鈴の音がする。空耳かと思っていたら単独男性のハイカーがやってきた。 私にとってはリハビリの山でちょうと良いが、 普通に登るには物足りない山だと思う。明石の大久保から来られらその人と ちょっとお話して、『山であそぼっ』の宣伝も忘れずにして、下山にかかる。

下山コースはこうだ。八十八箇所の最奥から二つある堀切を通過して、 そのまま西尾根を行けるところまで行き、志方東公園付近に降り立とうというものです。 頭では想像出来てもそう簡単にいくのでしょうかね。
第二堀切その奥にある第一堀切がすごい

八十八箇所の霊場石仏は昭和三年に造られたとある。三の丸をぐるっと回って 最奥にある『生木山 正善寺』の石仏から曲輪の斜面を下り、最初の堀切(説明版には第二堀切とあった)へ。 ここまで来る人は城跡マニアぐらいかな。そして次なる第一堀切へ下るが、 こいつは注意が必要だ。自然の断崖を利用しているの堀切で、そこからは 降りられない。端この安全な所から降りましょう。
稜線上に林道が!!ツリーハウスか?

それを乗り越えていよいよ道無き稜線へ突入!!のはずだったが、な、なんと、 そこには林道があるではありませんか!!地面にはキャタピラーの轍があります。 どこからやってきているのかと見ると、先ほどの第二堀切横をなめるようにして北へ下っている。 ということは志方東公園からか?

稜線上を林道はどこまであるのだろうか?100mほど進むといきなり北へ急下りしている。 これまた志方東公園の敷地内へ下っているようだ。志方東公園から城山への新しい 遊歩道が尾根を伝って周回するように造られているのか?謎は深まるがその林道から離れて稜線を行く。 古いツリーハウスの残骸を過ぎて徐々に道は怪しくなる。 やがて進むことも出来ないほどヤブになってきた。

ナタがあればなんとか前進が出来そうだったが230+mのピーク手前であきらめる。 あきらめてどうする?もちろん引き返して先ほどの林道を下ってみて 志方東公園へ降り立つつもりです。
キャタピラー道を北へ下る

赤土がむき出しでキャタピラーの轍を踏みながら下っていく。 最近造られたように見えるが、古く細い道をキャタピラーで 踏み広げたような感じだ。

ずいぶんと下った。右に同様の道幅の分岐があったのでこれは第一堀切へ行っている道では ないだのだろうか。 さらに下って公園内の平坦地になったと思ったら目の前に思いもしないような ものが現れた。
個人の別荘?他人の敷地から出てきました

それはどう見ても個人の別荘です。 周囲も廃車寸前の四駆やら、林道を造ったと思われるキャタピラー車などがあった。 公園の敷地内のはずだったのに、これはいかに? 誰もいないのを幸いにトラブルを避けるために足早に通過する。 門扉を越えると先に見えるのはほんとの公園でホッとする。
公園に出た野尻の公園で『とんど』

この個人所有の敷地へ行くにはどうしても公園内の道路を通行しなければ行けません。 つまり飛び地のようなものでしょうか。 それにしてもキャタピラーで道を勝手に拡幅していることは大丈夫なのでしょうか? あの堀切近辺も所有地なのか疑問です。大事な史跡が破壊されてからでは遅いです。 市の関係者は知っているのかも疑問。疑問、疑問、世の中疑問だらけです。

そんなこと考えていると野尻に到着。町内の公園ではとんどの準備が整っていました。 駐車ポイントには12時05分着。お昼ご飯は家で食べることになりそうです。

今回の志方城山の地図は こちら(約105k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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