安田坂〜嫁入り坂〜小野尻峠

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『中村町』を参照していただくようお願いいたします。

2008.12. 6.  土曜日  晴れ  気温寒い
寒波がやってきた。車のタイヤをスタッドレスに替えていないので 北方面には行けません。さらに早く帰宅しないといけないために、近場で短距離の コースをあれこれ考えてここに決める。小野尻の集落を起点にして ぐるーっと扇形に周回が楽しめるというコースです。

小野尻トンネルを抜けて細い集落の道を進む。 とりあえず邪魔にならないような所に駐車する。吐く息が白い。 9時10分スタート。

歩き始めてすぐの分岐で石の道標を発見する。彫りが浅くてなかなか文字が読みとれない。 いつもなら写真に撮って家に帰ってから解読するのだが、今日は距離も短く余裕があるので 座り込んで指で文字をなぞってみる。 『左ハ やまみち 右ハ やすだみち』とある。
さっそく道標を発見立派な猪垣が続く

今回の最初の目的地は安田坂という峠だ。なので、右を行くかというと、そうではなく 左を行く。右は谷道なので倒木などで道悪が予想されるため、あえて左にある林道で 安田坂の手前まで楽をしようという計画です。

立派な猪垣を過ぎると地形図にない分岐がある。正面が正解だが、そこにも 石の道標があった。見ると『是ヨリ右延命寺山』と彫られている。

ここより3kmほど北の山南町小畑に延命寺というお寺があってその裏山が延命寺山と呼ばれている (が、地元の人によるとそういう名前の山ではないという)。 もうひとつ、北西2kmに三組尾と呼ばれる539.7mのピークがあるが、ここは点名『延命寺山』です。 石柱に書かれている延命寺山はそのいずれもでなく、この近くに延命寺が所有している山を指しているらしい。
ヒューム管の分岐を右にさーて、安田坂へ行くど〜

この林道をそのまま進んでいけば山南妙見山との鞍部を越えて小新屋へ至る。 その途中にヒューム管がゴロンと転がっている林道分岐がある。 それを右に行く。適度な高度で山腹を巻いていき、安田坂の取り付き地点となる。 地形図では林道はここまでだが、実際はさらに奥に続いている。 9時40分。

明確な道があった。これなら楽勝かと思いきや、目の前に鹿避けネットがあり道はそこまで。 峠は奥に見えているのだが・・・。はてさて、このままネットに沿って行くか、 ネットを越えて伐採地を行くべきか。
峠は目の前だが・・・

ダイレクトに峠を目指すにはネット沿いに行けばよい。単純にそれを選択する。 しかし、それは倒木だらけで左に逃げ、上にはい上がり、右に戻り・・・と、 苦労する。斜面をよじ登るとそこがドンぴしゃで安田坂だった。 とりあえず汗びっしょりである。
峠に着けたお礼やさしい顔のお地蔵様

ちなみにネットを越えた伐採地を行くのが正規の峠道のようだった。 しかし、峠からそちらを見ると目の前に倒木が通せんぼをしているのだった。 こちらも難路のようである。

峠には岩を積み上げた祠がある。中には柔和な顔のお地蔵様。前回来たときは 真新しい供物があって驚いたものだったが、今見るとしばらく誰もお詣りした形跡は なかった。 お世話をしていたのはきっとお年寄りだと思うが、その方がいなくなると誰も来る人は いないのだろうか。ちょっとかわいそうな気持ちになる。ちなみに 中町の安田方面にはしっかりとした道が残っている。
370を過ぎて恐竜の卵の化石

しばらく快適な道が続く。所々でわずかだが展望がある。北を見ると笹ヶ峰、赤井、古天神など。 南は色づいた山腹とその下に長坂池。400mに満たない標高なので里も手に届きそうだ。 そろそろ分岐に注意しなければいけません。 というのも、前回はそれに気が付かずに直進してそのまま下山してしまいました。 今回は注意深く歩いたおかげでなんとか左折ポイントを発見。
ヲコサカ手前の鞍部ヲコサカ着

広い鞍部からヤブっぽい斜面を登り返して点名『ヲコサカ』に着。10時55分。 よーし、安田坂に続いてこれで二つ目の『サカ』に着いたわけだ(^_^;)。 ここには大柿さんのプレートがあった。それには石金山から三組尾まで行くとある。 やはりとんでもない御仁です。 私も負けずに次なる三つ目のサカである『嫁入り坂』を目指す。

ここからの下りも要注意だ。そのまま切り開きを下っていくと中町に降りてしまう。 コンパスをにらみながらここぞと思うところを下っていく。 ちょっとコースから外れそうになるも、なんとか尾根に乗れて小さな鞍部に着く。
嫁入り坂?ここが嫁入り坂のようだ

峠とは呼べそうにないが細い踏み跡が左右にある。 ここが嫁入り坂だろうか?どうもそうは思えずとりあえず先に進んでみる。 すると次の鞍部がそれらしい雰囲気だった。 石仏とかでもあれば間違いないのだがそういうものは無い。 だいたいこの付近だということしかわかっていません。

小野尻から牧野へ行くには普通は小野尻峠が便利です。 そうやって両村を結ぶ婚礼もその峠を通って行われていました。 ところが、昔、ある花嫁が今まさに小野尻峠へ向かっている時、 花婿が婚礼の前夜に亡くなってしまったと知らされる。女性もそれを悲しんで その場で自殺してしまう。それいらい小野尻峠で嫁入りすることは無くなり、現在 私が立っている峠で嫁入りするようになったという。
この辺、秋には来ては行けません良い道が続く

嫁入り坂を過ぎると尾根は歩きやすくなる。それとともに周囲は松茸山となって、 それを示すプレートがいくつも表れる。355を過ぎて次のピークで 軽食を摂る。無線で西ヶ嶽付近のIRCさん、自宅のTQFさんと繋がる。 コーヒーはうまいが冷たいパンはおいしくない。

明確な松茸道を進んでいくが、このまま行けば小野尻側のどこかに降りてしまいそうだ。 ちょうど良い感じの所から真北に踏み跡がある。 やはり小野尻峠への踏み跡だった。素直にたどっていくとばっちり小野尻の峠だった。 ここの4つ目の『坂』でゴールとなる。12時35分。
小野尻峠です立派な石垣です

土砂に埋もれているが道幅も広く、両側は石垣でしっかりと補強されている。 これなら牛馬、軽車両のたぐいは通行可能だろう。 一段上に石の祠跡と踏み跡があることから、昔はそこが街道で、私が立っている所まで 掘り下げられたのかもしれない。石垣の続く峠道をジグザグに降りていくと 多可町側の旧小野尻隧道入り口付近に降り立つ。
旧隧道の入り口(多可町側)今日が寒い証拠

久しぶりにこの隧道にやってきたが、いよいよ崩壊が進んでいるように思えた。 アーチに組まれた赤煉瓦の上部も崩れ落ちている。さらに上にある金網にも瓦礫が 蓄積されており、いつ落ちてきても不思議ではない状態だった。 そこから水がシャワーのように落ちてきて、金網で凍り付いている。

入り口は封鎖されているがウエスト80cm以下ならすり抜けられる。リュックを先に放り込んで その後に続く。中町側の路面はドライで見える限り障害物もない。隧道の両側は正方の石で6段に積み上げられて、 そこからは煉瓦が天井を成していた。隧道はカーブすることなく直線で200mほどなので向こうの出口の明かりも確認できる。
露出時間が長いので明るく見えるが行けません・・・

向こうは見えていてもヘッドランプを点けなくては真っ暗です。そろそろと歩き始める。 天井やら周囲を眺めながら歩くが、 100年が経っているとは思えないほどしっかりとした造りで感嘆する。あと30mほどで 出口というところで路面は水没していた。さほど深くはないが、当然靴は水没してしまう。 向こうに出たかったが足がグズグズになってでも行くほどマニアではない。

明治42年の竣工というから来年でちょうど100年になるわけだ。これだけのものを放置して 崩れるにまかせてもいいのか?なにか記念の行事でもしてあげてもよさそうに思う。
小野尻トンネルを歩く行政区は新しい表示だ

旧隧道をほぼ平行にある新トンネルを丹波市方向に歩く。当然だが車の往来があるので トンネル内に騒音が反響してうるさいことこの上ない。

歩きながらつらつら考えるに、普通、昔からある峠の通行が困難なために、その下に隧道を造るという プロセスがある。ところがここ小野尻峠はさほど標高もなく、5分ほどで峠に行けるぐらいだ。 ちょっとした工事で自動車の通行も可能であったはず。それを その真下に煉瓦造りの隧道が明治に出来て、さらに昭和53年には私の歩いているトンネルが 新たに出来ている。それもほぼ平行に位置して・・・。

ずいぶんと無駄なように思える。それなら、両方のトンネルを利用してそれぞれ片通行に利用すれば 安全かつ合理的だと思うのだが。

嫁入り坂は思ったより明確な峠ではなかった。名前だけ存続していて実際に使われることは希だったのかもしれません。 あそこを越えて嫁入りなんて、一種嫁いびりのようなものです。 嫁入り坂で苦労して嫁いでいった花嫁は現在はこのトンネルで嫁いで行くのだろうなあ・・・。 駐車ポイントには13時半着。

今回の安田坂〜嫁入り坂〜小野尻峠の地図は こちら(約90k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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