遊屋廃村

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『音水湖』を参照していただくようお願いいたします。

2007. 3.31.  土曜日  曇り  気温風強し
宍粟市一宮町の北部には東山、一山、阿舎利山、三久安山、そして藤無山と1000mを越える ピークがひしめき合うようにして存在しています。そして、それらの麓には阿舎利、溝谷、小原、志倉と それぞれ10軒にも満たない(中には一軒しかないところもある)集落が点在しています。 いずこも少子高齢が当たり前の昨今、はたして10年、20年後にはこれらの集落は 存在しているのかどうかも危ぶまれます。 その近くに、遊屋と呼ばれる早くから廃村になった所があります。

ちょっと前の地形図ならその地名も地点も確認出来ますが、最新の『ウオッちず』には 地名は削除されてしまってます。 なんだかかわいそうなその遊屋に一度訪れてみたくなりました。 地形図を見るとその遊屋から富土野へ抜ける峠道もあるようです。そこも行ってみましょう。

別途地図の『い』から始まる林道を歩けば難なく遊屋へ行くことが出来ますが、 それではあまりに面白くない。小原にある神社の裏手から点線ルートが遊屋へ向かっています。 それを歩いてみましょう。 道路沿いにあるスペースに車を止めて9時40分スタート。
小原の集落がスタート地点山神社にあるトチの大木

その神社は『山神社』でした。この小原は古くは木地師の里であって、住んでいる人はすべて小椋姓なのです。 当然ながらこの神社は山の資源と生活の安定を願うためのものだったのでしょう。 境内にはトチとカジカエデの大木があり、ご神木のような威厳すら漂っています。 その裏手から山道は始まっていました。

廃村への道でありながら 地形図にある点線のルートがしっかりと残っているのは一種感動を覚えます。 神社の隣にある民家のご主人は子供の頃よくこの道を通って遊屋へ 遊びに行ったと言います。
雑木の斜面を行く遊屋タワに着きました

斜面からは下界がよく見え、先ほどのおじさんが歩いているのも見える。 この小さな雑木の山塊を越える地点は『遊屋タワ』と呼ばれています。 そこまではすぐの距離なのですが、周囲の雰囲気がバツグンに良いので ゆっくりと歩いてそれを楽しみます。タワには10時ジャスト、 石仏か何かがあればと周囲を探してみるがそれらしいものはなかった。 振り返ると一山のピークが大きい。左右に踏み跡がありどちらへも 行けそうだ。だが左方向は赤松林なので秋は遠慮したほうがよさそうです。 そして正面に遊屋への踏み跡あり。ただし、左手は檜の幼木帯がありネットに沿って 下ることになるのがちょっと残念。

さらに残念だったのはいきなり林道に出てしまったことです。 嘆いても仕方ないのでその林道で谷まで下りましょ。 地図の『い』から始まる林道と合流してそのまましばらく歩いていく。 谷川に沿って林道はあるが対岸を見ると古い道が残っているのを発見する。

川を飛び越えてその古道を歩く。すると左手に墓地発見。 数基の墓石が裏返しになって転がっています。 それはわざとそうしているようにも見える。横手の年号を見ると明治のそれが見えた。 裏返している物をわざわざ表にする気にもなれずその場を離れる。
遊屋廃村林道の終点に重機が見える

小さな平坦地に杉の植林があるがきれいな石垣が残っていることから棚田跡だとわかる。 それらを横目に見ながら明るい所に出ると、そこにはぺっしゃんこになった 廃屋があった。10時30分。

内部が覗けるような状態でないのが残念。もし見えたなら生活に使っていた道具などから いつにここを離れたのかが推測できるからだ。 後で聞いたところではここにはこの1軒だけで、なんと名字は集落と同じ 『ゆうや』さんらしい。最初からそれがわかっていたら先ほどの墓石を表に返してよく調べるのだったが、 墓石にはくずし文字で『遊谷』とあったように見えた。(自信な〜し)

林道に下りて先を進む。次は富土野へ抜ける『タクミ谷越』という峠を目指す。 未舗装の林道なのだが、昔はここが終点だったのでは?と思える地点から さらに奥へ延伸されており、なぜかそこからは舗装路であった。 今日は休日で作業はされていないが、重機とトラックが止められており、そこが 現在の終点となっていた。林道の工事は今の終点からもさらに延びていきそうな雰囲気だった。

この終点からよーく見ると、小さな谷が三つある。そのうちの一つ、東に向かった谷を 登っていく。小さな谷だがちょっとよじ登るような急斜面だ。 少し登ると正面と左とどちらにも行けそうな感じになるが、地形図の点線を信じて 正面を選択する。

点線に相当するような道どころか踏み跡すらない。 とりあえず登っていけるが激登りの斜面なので右にある枝尾根に レーンチェンジ。フーフー言いながら登りきって 稜線にたどり着き、チョイ北にある鞍部に降り立つ。ここがタクミ谷越かな? 11時13分。
タクミ谷越に着く?ずーっと快適

右にも左にも踏み跡はない。鞍部には違いないがどうも富土野へ抜ける峠には思えない。 さて、ここからどうするかしばし思案する。というか、ここは風がすごい!! まるで台風のような風で帽子が飛ばされそうでじっとしていられない。 稜線をぐるーっと回り込んで799.6mの点名『由宇屋』へ行ってみようと思う。

北へ稜線を歩き始める。次の鞍部(地図の『E』)へ来てパッとひらめいた。どうやらここが 『タクミ谷越』のようだ。というのも左右に踏み跡もあるし 最初谷を登り始めたときに点線ルートを信じて正面を行ったが、左に登っていくと ここにたどり着くように思える。小原のおじさんが「初めての人が『タクミ谷越』へ 行くのは無理や」と言っていたがそんなに難しくはなかった。

しかし、行きにくい峠には違いない。こんな峠はさほどの利用がなかったのではと思っていたら 阿舎利のKさんから面白い話を聞く。それは阿舎利の人が大屋から嫁をもらった際、この峠を利用したという ことだ。つまり、富土野峠、タクミ谷越、溝谷坂と三つの峠を越えての嫁取りだったらしい。 朝の3時に出て夕方の5時に到着したというからなんともしんどい嫁取りです。

810ピーク付近からは植林越しに大杉山やら須留ヶ峰。さらには 自然林がすばらしかったうちおくから大路越への分水嶺の稜線にいたっては ここから見てもすごい!!残念ながら いずれも植林が邪魔でカメラでは撮せない。(T_T) 首を伸ばすがまだ藤無山は見えない。

このまま稜線沿い(地図のブルーのコース)で点名『由宇屋』まで行くつもりだったが、 風が強くて途中でお昼ご飯を食べれそうな所はないだろう。 そこでショートカットで『F』を経由して行くことにする。 『F』はゆるやかだった谷からいきなり急激に遊屋へ落ち込む地形上の大きな変化点だ。 844から南西へ下る緩い尾根へ。ここも超快適で思わず駆け出したくなる。
地図の『F』地点点名『由宇屋』手前

あっさりと『F』に降り立つ。12時20分。ここは地形図通りで左側はゆるやかで湿地帯のよう。 右はドーンと急激に下っているがひょっとしたら先には滝があるかもしれない。 ソマ道があるみたいでそれをたどれば案外簡単に遊屋へ降り立てそうだ。 ここは風は無いが食事には適さない。やはり点名『由宇屋』まで行ってみよう。

登り返してすぐに稜線に出る。いつのまにか藤無山が目の前にあって、その近さに驚く。 12時35分、三等三角点、799.6mの点名『由宇屋』に到着する。 これも思ったより早く着いた感じだ。 周囲、特に北斜面は雑木が広がっており、ここまで来て良かったと思える所だった。
藤無山(志倉権現山)を見ながら食事

この頂上も梢がしなるほどの強風で食事が出来そうにないが 数m下の北斜面では無風になる。風が止んだんかと思って頂上を見ると 相変わらずの強風だ。きつねにつままれたような感じだったが安心してコンロを使うことが出来た。 食後は藤無を見ながらオカリナを楽しむ。

さて下山だが、どこから下りようか。三角点から真南に下ると遊屋タワに下りられそうだ。 でも三角点から南西に下りている点線ルートが気に掛かる。 ちょうど志倉と小原の分岐にある三叉路に下りています。 物は試しとそちらへ下ってみる。

しかしこれは失敗でした。 まったく面白みもなく、しかも踏み跡もあるような無いような・・・。 方向だけ間違わないように、それと転げないように足元注意で下りていく。 これで合っているのか不安だったが、やがて道路が見え始めるとホッとする。
三叉路に降り立つ

狙い通りに三叉路に降り立つ。14時ジャスト。

今回の遊屋廃村の地図は こちら(約120k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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