大栗峠

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『丹波大町』、『和知』を参照していただくようお願いいたします。

2007. 8.15.  水曜日  晴れ  気温超暑い
暑〜いお盆の真っ最中。どこかに涼しい低山はないものか。道中は暑くても 山頂の木陰で涼しい風さえ吹いていればどこでも良い。 そこで寝そべってオカリナでも吹けたら満足です。 そうそう、石仏もあればなおよろしい。これらの条件で考えたすえにここに決定。

単独で行くつもりでしたが、たぬきさんから「かき氷しよう」とメールが来る。 「かき氷かあ、それもええなあ」とあわてて準備に走り回る。 矢問さんも来るというので楽しくなりそうだ。

綾部側からも登り口はありそうだが、判りやすくかつショートコースな 和知側から登ることにする。『和知山の家』の前の道路が広いので そこに駐車する。矢問さんは1時間半も前に到着済み。 すぐ近くにあるログ小屋風の『山の家バス停』の側壁には『大栗峠・あやべ山の家』という 標識があって目印になる。9時05分スタート。
和知山の家からスタート民家の脇に登り口あり

仏主林道というのがあってその途中に『ふれあいの森 散策道』という看板がある。 そこから大栗峠へ向かえば簡単なのだが、それは下りに使うつもりで、登りは 368.4mの三角点ピーク経由の枝尾根点線ルートを使う。いくら夏場はショートコースと言っても これくらいの距離でないと、私はともかくたぬきさん矢問さんには物足りないはず。

『長谷橋』という小橋の向かいにある民家から地形図通りに点線ルートの入口があった。 出だし好調と喜んだが、小さな祠ですぐに終点。しかたなく真竹の生える斜面をよじ登る。 こんどは害獣除けの金網があるが それもゲートをクリア。ゲート奥にある小さな墓地までは良い道があったが、それから三角点までは ひたすら蜘蛛の巣だらけの斜面をよじ登る。三角点には9時35分着。

さすがに三角点からは踏み跡があったがいかんせんここも蜘蛛の巣が多い。先頭を歩くとこいつが べっちゃりと顔に貼り付く危険あり。
赤松地帯クワガタ地帯

標高430mのピークから右斜面は手入れの行き届いた赤松帯になる。 秋には地元の人が来ているのだろからその時期に訪れるのは御法度だ。 そこを過ぎるとまた植生はガラッと変わってクヌギ、コナラが多い。 地面を見ると受精、産卵が終わったのか死んだクワガタが多く転がっている。 ここも或る意味お宝ゾーンだった。

地形図にある点線が終わる頃から、いきなりの激登りとなる。 自転車無しの空身なのがありがたい。登りきった所は傾斜の緩い、 731mピークから西に延びた枝尾根の先端付近だ。そこから市町境界の尾根が 見えているので山腹をトラバースして行く。
トラバースで市町境界尾根に出たアップダウンも少なく快適

ここからはほとんどアップダウンも無いのでホッとする。時計を見ると11時35分。 今までとはペースが違うはずなので、お昼頃には峠付近にたどり着けるだろう。 吹いてくる風もそれまでとは違って海の匂いがしてくる。 所々で北方面の麓と山が見える。その向こうの日本海もチラッと見えた。

さて、峠でお昼にするか、あるいは点名大栗ピークでお昼にするか。 ちょうどたどり着いた峠手前のピークがころ良い広さで風も少しある。 ここでお昼にしましょうと提案。時間もちょうど12時を5分過ぎてます。 今日は終戦記念日。食事の前に矢問さんの提案で黙祷をする。
チラッと見えたよ一心不乱に回します

食事もそこそこに、いよいよかき氷パーティーの始まりです。 たぬきさんのパンダ君も一年ぶりのお仕事のようです。 私のマシンはリュックに入りきらなかったので矢問さんに 担いでもらいました。それらをテーブルの上に置いてガ〜リ、ガ〜リ、ガ〜リ・・・。 いつもより余計に回しましょう。
商品名『弥仙山』商品名『芝桜』
商品名『越前クラゲ』商品名『俺の皮で滑るなよ』

かき氷の器は我が家の家宝のガラス製。まずは抹茶を振りかけてミルク宇治金時、 うま〜い!! こういうのもあります。それは普通のシロップではなく、粉になったシロップがあるのです。 それを振りかけて2杯目、うま〜い。 次から次へ5杯ぐらい食べたかなあ・・・。身体はひえびえ〜。

さて、忘れ物がないか確かめて出発。13時25分。 出発と言ってもここからすぐ下が峠でもう見えています。 1分で到着。
大栗峠です

中央左手に石組みが見えました。そこには2体の石仏があります。 そしてここからは見えませんが右手奥には石の道標もあります。 道はと見てあれば、上粟野の方向にも、上林(かんばやし)の志古田へも 明確な道があります。さらには道標のある方向にも道がある。 ようするに三叉路の峠になっていました。 まずは石仏を拝見といきましょう。
石組みの祠跡に石仏が2体とても良い表情です

2体のうち、右の石仏はごく普通の舟形をした地蔵菩薩立像ですが、上部半分が割れて顔も一部が 欠落しています。基台を見ると半分ほどが地面に埋まっていて、掘り出そうとしましたが 素手では無理。そこで見えている文字だけを書き出してみる。中央に『奉納地蔵経一石・・・』、 右には『右 志・・・・ わ・・・・』左には『左 ゆげ 坂下』

左の石仏はほほえみを浮かべた優しいお顔で姿もきれいに残っています。光背も変わった形をしています。 持物は数珠と蓮華、横手には鉢植えになった蓮華もある。 『慶応元乙丑歳(1865)』となるから、明治になる直前のものだった。 それの基台には『施主 ワチ川合村中 カンバヤシ志古田村中 同長野村中』とあった。

いや〜、なかなかのものです。でもちゃんとスコップとかたわしを持ってこないと きっちりと文字が読みとれません。どなたかの追記をお願いしたいところです。 さて、この三叉路の峠の『ゆげ道』を利用して大栗の山頂へ行ってみましょう。 そのゆげ道に入った途端に今度は石の道標(かなりでかい)が転がっていました。 峠には帰るのでその時にじっくりと拝見します。
ゆげ道を行くそして大栗山頂

地形図を見ると 上林にある弓削から大栗山頂に向かって点線のルートがあります。 ところがそれは標高460m付近でぱったりと途絶えています。 実際いまその『ゆげ道』を歩いてみると、まことにしっかりとした道でした。 このまま弓削まで続いている可能性は大とみた!

大栗山の北尾根と合流したところで向きを変えて山頂へ向かう。 三等三角点のあるピーク(大栗山)、標高681.4mには13時50分。 古いプレートがぶら下がっているが周囲はブッシュで多くのハイカーが 訪れているとは思えない。座るところもないのでここで食事をしなくてよかった。 さて、峠へ戻りましょう。
道標石碑を見ようこんな看板もありました

再度峠に戻って、今度は道標石碑をしげしげと眺める。 優に1m以上ある大きなものだが、ゴロンと横転しており、表だけは全面が見えているが 裏は土砂で覆われて微かに文字らしきものが見える程度だった。 その表には梵字で『アーンク(大日如来)』の一文字。そして『右 わち 左 志古』とある。

たぬきさんが丹念に裏面に着いた土、苔などを払い除けてみると、そこには 『文政七甲申(1824)十月吉日』 『本願 山田村世話人中 阿波国行者長治郎』という文字がくっきりと浮き出た。 山田村がどこか?なぜ阿波の修験者がここに石碑を建てたのか?古代の疑問が脳を駆けめぐる。
ええ道ですおっとここにも石仏が

峠に戻って下山開始です。14時20分。下り始めた峠の道はとても快適。 というのも、いつ整備されたのかは不明ですが、この峠道は車を止めた『和知山の家』と綾部にある『あやべ山の家』を結ぶハイキング道 (8.4km)だったのです。

道ばたにはイワカガミの葉っぱが多い。「ここにも石仏が〜!!」ちょっと広くなった所に1体の石仏があった。 周囲には瓦が積み上げられていることからお堂もあったのだろう。 両手で宝珠を持った地蔵菩薩の坐像と思うが、あまり良い表情ではない。 彫られた年号は『弘化五年 申四月日』とあった。弘化は二月二十八日より嘉永元年と改元されているので ちょっと先走りで彫ったものか?

ボブスレーコースのようなくぼんだ道をたどっていきます。 これを行けば間違いなく林道へ降りられると思っていましたが、そうではなかった。 どうやら途中で分岐があったのかもしれない。いつの間にか道は不明瞭になる。 遥か下に林道が見えているので強引に降りる。林道着15時ジャスト。
黒矢印で降りたが
白矢印に峠道の入口が
林道出口のゲート

「こっちに入口があるで〜」そこには『ふれあいの森 散策道』という立派な看板がある。 この散策道の奥ぐらいに降りてくるのが正解だったのです。まあ、なんとか無事に下山出来たのでよしとしましょう。 あとは暑い林道歩きです。

私とたぬきさん夫婦はヘロヘロ歩きですが、矢問さんは長身に見合った速い歩きで どんどん先を行く。追いつくころにはまたもや汗びっしょりであのかき氷の冷たさが恋しくなる。 駐車ポイントには15時50分。 今年も無事に恒例のかき氷が楽しめました。(^_^)v

今回の大栗峠の地図は こちら(約140k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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