雲頂山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『矢名瀬』、『大名草』を参照していただくようお願いいたします。

2006.11.18.  土曜日  曇り  気温寒い
去年、たぬきさんと登ろうと約束したまま登れなかった雲頂山でしたが、 「週末はどこ登るん?」というメールに「雲頂山でも行こうと思いますがどうですか?」という返事で 即決となる。雲頂山だけ登るのはおもしろくないので、大稗の集落からお杉地蔵のある 粟鹿峠、中央分水嶺のけえ坂、そこから黒川ダム湖沿いの尾根をたどって雲頂山を目指ざす コースです。はたしてなにが待ち受けているのでしょうか。

そもそも雲頂山といっても誰も知らない山名なのですが、某丹波のガイド本には雲須山と 記載されています。これは国土地理院の『点の記』に書かれている点名なのですが、 地元(生野町黒川)では雲頂山と呼ばれており(黒川にある大明寺の山号が雲頂山です)、 地元の人も役所を通じて地理院に訂正を求めたという 話を聞いたこともあります。どうやら点の記に書かれる時に 『頂→須』と間違われたと思いますが、郷土の山を変な名前で呼ばれることに同情を禁じ得ません。
大稗集会所をお借りしました
矢印がお杉地蔵の峠だが 写ってない。(^_^;)
矢印の方向に曲がる
バックの黒煙は陶芸の煙

大稗集会所の駐車場をお借りして8時50分スタート。 ここからだと粟鹿山の仏岩付近の笹原が気持ちよさそうだ(実際は歩くのも困難な 笹ヤブだが・・・)。さらに最初の目的地である粟鹿峠も よくわかる。それは峠である鞍部にある3本の大杉が目立っているからだ。

たぬきさん夫婦の後ろを付いて歩く。目の前にもくもくと派手な黒煙を出している 煙突がある。田舎には不釣り合いな小粋な建物で、どうやらその敷地内にある陶芸の窯が正体らしい。 「近所の洗濯物が煤で汚れそうや・・・」 それを横目に見ながら関電の火の用心の巡視路を行く。

害獣除けの金網を抜けると古い棚田跡の間を抜ける道となる。 やがてしっかりとした峠道となり何度かターンを繰り返しながら 標高を稼いでいく。 峠道は倒木などは無いが多くの杉の枝が散乱しており歩きにくい。
しっかりした峠道お杉地蔵のある峠

9時30分、粟鹿峠に着く。 手前に地蔵菩薩の石仏があって、これが『お杉地蔵』と名前が付けられている石仏だ。 光背を見ると頭頂部に『カ』という地蔵菩薩を表す梵字がある。 その下に『天下太平』右手に『文政元年(1818)七月吉日』左は『施主大稗邑』とある。 不思議なことに峠付近で撮影した写真はすべて真っ暗だった。 どうにかレタッチで復元したのが上の写真だがモノクロのようになってしまった。

お杉地蔵は名前が付いているぐらいだから当然ながら昔話が残っている。 話は二つあって、一つは但馬に住むお杉という娘が大稗に住む好きな男の元に通っていたが 雪の降る夜に帰ろうとしてこの粟鹿峠で凍死したというもの。もう一つは 奉公先の和田山から父の知らせを聞き、いつもは通らない粟鹿峠の途中で凍死したというもの。 この石仏はそのお杉の供養に建てられたという。

峠は5mほどの高さの切り通しになっており、見上げると麓から見えていた3本の大杉が 確認できた。しかし、切り通しが崩れつつあるのでこれらの杉もいずれ倒れそうな感じだ。 切り通しには倒木が1本あってそれをくぐり抜けて下り始める。 道はちょっと崩れているところもあったり、倒木をくぐったりする。

下りきったところは暗くて細い道を想像していたが、明るい林道だった。ところが 出合いの箇所は前年の台風のために路面はえぐられ、倒木があり、 たぬきさんが言うには前回来たときより大きく様変わりしてしまったらしい。 しばらく歩くと路面も普通になり、次の谷の入口付近に石の道標が見えた。
石碑のある次なる峠への分岐

それには『左 たしま道』とある。さすがのたぬきさんも前回はこれに気が付かなかったらしい。 私には石仏の精霊が降りてくるのか、こういのは遠くからでもすぐにわかってしまうのです。(^_^;)

取り付き付近だけちょっと不明瞭だが、その後はしっかりした踏み跡が谷の右斜面に続く。 斜面の道はどんどんと標高を上げて谷底はやがて見えなくなる。 先ほどの粟鹿峠の登りもそうだが、ここも登りは暑くて汗ビショビショになる。さらに お腹も減ってきて力が出ません。峠でおやつにしようと言いながらがんばる。 周囲は植林だが峠の直前から色づいた雑木が目に飛び込んでくる。峠には10時25分着。
峠に着きましたけえ坂で神戸からのハイカーに出会う

たじまのガイド本には『大名草峠』と書かれていますが、私は 『けえ坂』 と認識しています。ここは何度か訪れていますが、このけえ坂にも先ほどの粟鹿峠と 似たような伝説が残っています。どちらが本物とかいうのでなく、 但馬と丹波を結ぶルート上にある同じような双子の峠なので同じような伝説が残るのは当然かもしれません。。

たぬきさんからおやつの大福をいただいていると、粟鹿山方向からハイカーが降りて来るではありませんか。 こんなルートのこんな時間にまったく奇遇としか言いようがありません。 お二人(熟年のご夫婦)は神戸からのハイカーでよふど坂からのピストンだった。ずいぶんと早い下山ですねえ。

彼らはよふど坂へ戻りますが我々はその途中まで同行して青垣町、生野町、山東町の三町境界ポイントから 雲頂山へ向かいます。そのポイントには『一七』の石標があります。地形図で位置の確認をして ご夫婦とお別れして南に下りはじめます。もちろん道もマーキングもありません。10時55分。

中央分水嶺の尾根を離れて 谷に向かって降りていく。谷の左手青垣町は大きく切れ落ちており小さな滝のようになって水が 流れ落ちています。その横手を歩くのですが滑りやすい黒土なので滑り落ちると ちょっとヤバイ。
母たぬきさんの後ろは滝たおやかな尾根に着きました

谷には水が流れており、歩ける道もないのですぐさま正面の斜面をよじ登るが・・・・。 そこは今までとはまったく雰囲気の違う別世界だった。植林は1本もなく 色づいた雑木とほどよい起伏の尾根でした。 「丹波にもこんなええところが残ってたんや〜」と、興奮気味の母たぬきさん。 遠方の有名な山に行けばこれ以上の所もあるのでしょうが、地元にあるということが うれしいじゃないですか。

お腹は減っているので急ぎたいが、せっかくこんなに良い所ですからのんびりと行きましょう。 「無線で西光寺山の矢問さん呼んでみたら?」と母たぬきさんが言うので 父たぬきさんがさっそく呼んでみる。 すぐさまそれに応答して矢問さんが出てくる。 私は初QSOでしたが、このすばらしい尾根を無線では説明しきれません。 矢問さん、来てみてね!!
よか尾根じゃう〜ん、よかよか

最近行われたのか、真新しい地籍調査のプラ杭やら、金属標が等間隔に地面に打ち込まれている。 それをたどるように進んでいきます。 途中から青倉山が見えたりしますが、黒川ダム湖はなかなか見えません。 後ろを振り返ると粟鹿峰もくっきりと見えています。 今日の空は高曇りで空気が澄んでいるようです。

下山に使用する関電の巡視路分岐を越えるとすぐに馬の背ピークだ。 標高868m、三角点無し。12時10分着。
馬の背に着きました

広々としているし、時間もちょうど良いのでここで昼食とする。 食事中に蘇武岳(肉眼でもピーク確認)のJCLさん、、生野とんがりさん(すぐ近くだが 木立に隠れて見えない)のOAPさんとも 無線が繋がる。さすがに11月の後半ともなると、 じっとしているとみるみる寒くなる。 コーヒーも飲み終えて雲頂山の三角点を目指す。
馬の背から見た北方向
雲頂山頂上

標高差もほとんどなく、西方向に350mほど行くと三等三角点のある雲頂山となる。 標高876.4m。13時10分。 プレートのたぐいはまったくなく、静かな山頂だった。 登る途中で見えていたのだが、山頂から黒川ダム湖へ下る尾根も 色づいた雑木にまみれています。それを下るのもよさそうだね。しかし、 ここでも黒川ダム湖が見えないし、山頂自身からの展望も無い。
馬の背南にある鉄塔そこから黒川湖が見えた

では、展望の良い送電線鉄塔へ向かってみましょう。 雲頂山から馬の背へ戻り、そこから南へ少し行くと赤白の巨大な 送電線鉄塔があります。無線でOAPさんと話をしたときも とんがりさんからこの鉄塔を確認してもらっています。

6年前に この赤白鉄塔に訪れたときには、はっきりと粟鹿峰が見えたのに 今では成長した杉のためにまったく見えません。 木の成長って思った以上に早いんですね。

代わりにここからは黒川ダム湖といつ見ても回っていない風力発電施設(写真の矢印。 段が峰に建設予定の施設も張りぼて風車になるかも)、さらには生野の10座以上の山々。 千が峰にマタニ山、三国ヶ岳。おっと、はるか遠くに雄岡、雌岡山。青葉山に弥山、 篠山の三嶽、京都の愛宕山。ひょっとしたら富士山も見えるってか??(うそでっせ)

周囲の山々にはうっすらとガスが漂っており、まるで墨絵の世界を見ているような感じだ。 かといって、ぼやけているわけではない。シルエットはあくまでもくっきりとしていて、 遠望も効く。山座同定が得意に我々には至福の時間が過ぎていきます。
下山の巡視路尾根

予定の巡視路尾根で下っていきます。馬の背ピークにも巡視路マークがありますが、 どこに続いているのか未確認なので、ピーク手前で確認した 巡視路で下っていきます。プラ階段もあるのですが、枯れ葉などで埋まってしまって 判りにくい所も多々あります。尾根は急で細いので迷わずドンドン下りましょう。

紅葉の尾根を下りきると未舗装の林道に降り立つ。14時40分。 さてここからが問題です。予定ではそのまま巡視路を使って地形図にある 582と537のピーク間にある鞍部を通過して大稗に降りるはずでした。 ところがその巡視路入口はとんでもない倒木で通行不可。
林道を奥に進む

かといって長い林道を出て、県道を歩いて帰るのはいかにも退屈だ。 そこでお杉地蔵の粟鹿峠を再度通過して帰ろうということに決定。 現在いる林道を遡れば粟鹿峠から下った出合いになる。 順調に歩いていき出合いには15時15分。ここまでの林道はなんともなくて、 林道が荒れているのはこの出合いの所だけでした。

お杉地蔵にたどり着いたとき、周囲はもう暗くなっています。 お杉さんに無事にここまで帰って来れたことを感謝して手を合わせます。 そこからは足早に下って集会所には16時05分。 紅葉と展望を堪能したためにけっこう時間が圧してしまいました。 でも予想外の良い尾根を歩けて大満足。

今回の雲頂山の地図は こちら(約130k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


ホームにもどる