鎌倉山〜河内城趾

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『西脇』、『北条』を参照いただくようお願いいたします。

2006. 2.11.  土曜日  曇り  気温ふつう
久々に鎌倉山に行くことになりました。ほんとは単独の歩きで登る予定をしていました。というのも稜線上にある行者道と 呼ばれる修験の道にはたくさんの石仏があるので、それらをもう一度ちゃんと目に焼き付けて、写真にも撮って おきたかったのです。それを知ってか知らずかM氏が「久々にMTBで走ろうぜ〜」と脳天気に誘ってきます。 う〜ん、MTBも捨てがたいなあ。この人と一緒だと知的な登山は無理ですから今回はMTBで行ってみますか!

となると、下りが長いルートの設定を考えなくてはなりません。天理教の教会から始まる行者道の全コースではなく、 普光寺から一気に大天井まで登ってそこから長い下りを楽しむのはどうでしょう。さらに、鎌倉山の頂上から鎌倉寺経由の ハイキング道で下山するとほとんど乗れないので、派生する尾根に乗っかって河内城趾へ向かうのはどうでしょう。 これは初めてのルートですがこちらも乗れ乗れだったら楽しいなあ。

M氏は6年ぶりの鎌倉山となる。スタート地点の普光寺も6年前とはだいぶん様変わりしている。 ハイカー用の駐車場も作られていていて加西ライオンズクラブの設置した立派な石の案内板(地図と説明文あり) が目立つ。さらに 横手には小さな小屋があり、そこには行者道の地図やら 河内城趾の地図、記念のスタンプなどもあって自由にもらうことができる。いたせりつくせりや〜。 9時15分スタート。
林道を行く稜線には

駐車場の向かいにグラウンドがある。たしか昔は学校だったと聞いたことがあるが、今は老人達が たむろしてこれからゲートボールでも始めるような雰囲気である。 「確か昔は校舎とかあったよなあ・・・」とM氏は言うが、この人の記憶はあの老人達以上に あやふやなのでまったくアテにならない。そのグラウンドの角から右折れに林道は始まっており (正面は普光寺)、関電の巡視路マークと『登山道』の立派な標識もある。

林道をしばらく走ると終点に着く前に分岐がある。ここにも標識があるので 間違うことはない。ようするに巡視路を利用して稜線まで登っていくわけだ。 途中に倒木帯(一昨年の台風)もあるが、巡視路にかかっている所はちゃんと 処理されています。そうこうしているうちに稜線に着。 まあ、驚くほどにぎやかな標識が出迎えてくれました。9時45分。

ここから北向きに大天井まで登りますが、その前に釈迦如来の石仏があるピーク(389m)へ寄り道してみます。 そこは逆方向の南へ数分登るだけで到着します。なにかの本にこのピークのことを『釈迦岳』と 書かれていましたが釈迦如来がいるから釈迦岳とはヒネリもなんにもない命名ですなあ。さあ、大天井へ行きましょっか。
大天井にて大天井からの下り

大天井の登り手前左手に巻き道がある。標識には『近道』とあって確かに楽が出来そうですが、 せっかくのピークをパスする手はありません。しんどい目をして汗ビショビショで登ったピークにはそれなりの ご褒美があるはず・・・。

大天井ピーク(別名鉢尾峰、標高460.5m)には10時05分着。大天井を彫られた古い石柱は昔のままだが、 ライオンズが設置した『大天井』と抜き文字で彫られたステン製の標識がまぶしい。 昔は樹木に覆われていたが現在はすべて伐採されて大展望が楽しめる。特に東方向の展望は鎌倉本峰から見えないので、 ここでしっかりと楽しみたいところだ。ところがモヤがひどくて全くの期待はずれだった。 せいぜい見えて五峰山、遠くにあってもシルエットの特徴的な西光寺山とか白髪・松尾はなんとか確認ができる。 「いやぁ、残念やなあ」「仕方ないねえ。ほな、下りまひょか」

南からの登りではわかりにくかったが、北への下りでは曲輪跡がはっきりと確認できる。 つまり大天井は城跡でもあったのだ。蓬莱山城跡と言うらしい。 その下り路面はちょっと泥っぽい黒土でグリップの効かない分スリリングで楽しい。 たどり着いた鞍部には先ほどの巻き道との合流点でもあり、原山へ向かう巻き道もある。

M氏は原山へも行きたそうだったが、あまり乗れないと言うとあきらめたのか、 そのまま次のピークへ進んでいく。ここのピークの手前にも巻き道があるがそのまま登る。 三町町界(西脇市・加西市・八千代町)のこのピークにはは『小天井460.2m』という ライオンズの標識がある。10時25分着。おやつにおはぎを食べて出発。 冷たい風が寒いのでフリースを着る。ここからしばらくは乗れ乗れです。
大日如来ピークダウンヒル、フォー!!

大日如来ピークにやってきました。ここも伐採されていてずいぶんと明るくなっています。 ここから南に下っている尾根にも道があって『普光寺・元宮へ下山』と標識もある。 地形図を見るとなんとか乗れそうな等高線と見たが、今回はもちろんパスして 柳峠へのダウンヒルを楽しむ。
東の覗き。足元には行者石仏ありさらにその下には不動明王が

途中に東の覗きと呼ばれる岩場があります。ほぼ垂直に切れ落ちた岩場ですが、さほど高度はありません。 その足元の一段低い所には行者の石仏があります。そこよりもさらに下にも 石仏があると聞いていたのですが・・・・。 MTBをデポしてその岩場の一番下まで降りてみましょう。 もちろん岩を伝って降りるのではなく、横手にはちゃんと道がありました。 ふと横手の岩盤を見ると鉄の鎖が垂れています。ってことは、昔はここでほんとに行をやってたんやろか?

下から見上げるとちょっと上に岩棚があるみたい。よじ登ってみると、おぉ!!不動明王の石仏があるでは ありませんか。普通に稜線を歩いているだけではこれは見つけられません。 片手でデジカメを操作してなんとか写すことが出来ました。 石仏に夢中になっている私を見てM氏はあきれ顔。 いいんです、人それぞれ、人生いろいろ。
さらにダウンヒ〜ル柳峠に着きました

MTBの走行シーンを写真に撮りたいけど、止まるのがもったいないほどの 極楽ダウンヒルコースです。頬に流れ落ちるうれし涙をぬぐうこともせず着いたところは 柳峠。11時05分。ここから左に折れると下りっぱなしのまま鎌倉山の登山口を経て普光寺へ 帰ることができます。反対に直進すると鎌倉山への激登りが待ちかまえています。

またまたフリースを脱いでMTBを担ぎます。途中の鉄塔からは笠形山がきれいに 見えるはずなのにモヤのためにまったくだめ。仕方なく前進あるのみ。 汗だくになってたどり着いたのは鎌倉山の北峰。そしてそこには・・・。

大きく広げた翼に抱えられるようにして蓮華座があり、その上に孔雀明王の座像がある。 光背は線刻で描かれた孔雀の羽、宝冠をかぶっていて目は閉じているようにも見える。 四本の腕があり、それぞれ開蓮華、孔雀尾、吉祥果、倶緑果を持っています。 吉祥果とはザクロのことで魔を除く果物、倶縁果は気力を増すレモンらしい。 孔雀そのものは毒蛇を食らうとされ、人間の煩悩も食ってくれるという。 山を駆けめぐる修験者にとって毒蛇は危険なものだったので孔雀明王を 祀るのは実利を求めるごく自然のなりゆきだったと想像できる。
孔雀明王法起菩薩

昭和11年と新しい石仏であるが、孔雀明王の石仏を目にするのは珍しいため ついついじっくりと眺めてしまう。石仏に興味のないM氏は揺らしたり叩いたりして 遊び始める。やはり知的な山行きは単独に限る。で、本峰へ移動。

11時37分着、三等三角点、標高452.7m。 時間も時間なのでここで予定通りの昼食にする。 朝に登った釈迦如来ピークから見ると 鎌倉山は南北に二つのピークがある双耳峰である。その北峰にはさきほどの孔雀明王、 南峰には三角点と法起菩薩の石仏がある。この行者道に点在する石仏の中でも最大の 大きさを誇る立派なものである。さらに驚きは周囲が刈り払われて展望が開けていることです。 家に帰って7年前の写真を見るとほとんど藪といっていい山頂であった。

さらにこの法起菩薩について考えてみる。写真の石仏を初めて見て、これが日本の仏様と 思う人はいるだろうか?どう見ても中国の道教の道士のような姿をしている。 右手で剣印を結んで、左手に持っているのは密教の法具にある五鈷鈴のようにも見える。 (姿形はまったく違うが持物と印相だけで見ると、修験の仏である蔵王権現に思えなくもない) これを彫った石工はどんな原画を元にしたのか非常に興味のあるところだ。

ちょうど昼食が終わった頃に北峰からご夫婦のハイカーがやってきた。 山頂は河内城趾への分岐でもあるので入れ替わりにそちらへ下山をしようとも思ったが、 その前にどうしても見たいものがあった。それは西の覗きにある磨崖仏である。 MTBを山頂に残したままM氏と二人で山頂から南へちょいと下る。 残ったハイカーはあの二人どこへ行くんやろといぶかしく思っただろう。
西の覗きに立つ。矢印に視線を向けると!!行者の磨崖仏がぁぁぁ!!!

西の覗きは昔通りの大展望だった。しかし、その時に気が付かなかった磨崖仏がこのどこかにある。 覗きには二つの岩の出っ張りがある。その左の出っ張りから右を見ると、な、なんと!! とんでもなくすごい磨崖仏だ〜。興奮しすぎて岩から落っこちそうになる。 あんなにツルツルに岩盤を見たら誰だって磨崖仏を彫りたくなるね? この下には法道仙人が入定した洞窟があるといいかぐわしい香りが絶えなかったことから 抹香岩と言う。

かぐわしい香りははるか昔の事だと思っていたら、微かに香りが漂っている・・・。 下を覗き込むと登山口にある鶏舎からの鶏糞の香りだった。 法道仙人が入定したという洞窟が見えないかと方向を変えていろいろと見てみるが それらしいものは確認できなかった。明治35年に普光寺の住職が開いたという 行者道だが、この磨崖仏も明治のものなのだろうか??それともそれ以前からあったのか? 知っている人がいたら教えて欲しい。(実はもっと根本的な謎もあるんやけど・・・)

山頂に戻ってハイカーに別れを告げ河内城趾へ向かう。鎌倉山山頂からの下りは 等高線通りに急下りだった。そして反時計回りに円弧を描くように尾根はある。 途中には再度急下りがありトラロープを頼りに下っていく。 そして円弧の先端へ向かっては高畑展望台という標識がある。

鹿避けネットをくぐってそちらへ行ってみると南から西にかけての展望があった。 ようするに伐採斜面になっているので展望があるのだが、今日のモヤでは楽しめるはずもない。 さらに鎌倉山方向には立木が茂っているため樹間からようやく眺めることが出来た。 抹香岩からの香りはここまでは届かないようです。
高畑展望台から鎌倉山を見るけっこう乗れるんよね

高畑展望台からもロープ伝いの下りなのでほとんど乗れません。 降りきってからは小さなピークをいくつか越えることになる。 見える範囲の木々はすべて枯れていて、なんとも荒涼感漂う尾根である。 普通なら藪尾根間違いなしのはずだが、刈り込まれているので 下りに関しては案外乗れます。

いつになったら三角点ピークになるのか?あるいは知らぬ間に行き過ぎたのか? 地形図を見たらもう着いてもよさそうなほど進んだはずです。「あった、あった」と M氏が吼えています。 行き過ぎてはいませんでした。点名『小鞍掛』、四等三角点、標高294.9m。13時43分。 歩きだとペースは一定ですが、MTBだと下りは早くなり、逆に登りは遅くなるため 距離感が狂ってしまうことがあります。

この三角点からの下りもなかなか面白いです。登り返すと城跡と下山道との分岐になる。 ここにMTBをデポして歩きで城跡まで登ろうと思っていたのだが、傾斜を見ると 下りが面白そうな角度だった。M氏も同様に感じたのか二人して担いで登っていく。
河内城趾爆走で帰路につく

着いたところは一目で城跡とわかるピークだった。というのも 城跡の所がすべて刈り払われていて丸見えになっているからです。 目の前の木に手書きの看板がぶら下がっています。 非常に詳細な手書きのイラストで、現在立っている地点は 標高が280mの東郭。イラストどおりに二本の掘切のあいだにあるのが 中央郭で向こうは西郭。室町時代に築城されたとあり、敷地面積は300坪とある。

西郭まで歩いてその向こうを覗いてみましたがヤブっていてMTBでの下山は無理っぽい。 やはり城郭手前にあった下山路が適当であろう。その前にここで最後のコーヒータイムとしましょう。 おあつらえ向きに丸太のベンチまでしつらえてあります。眼下にはゴルフ場、遠くは霞んでモヤモヤ状態。 ほろ苦いコーヒーに網で焼いた甘いあん餅がよく合う。

下山道はトラロープが設置されていて、ズルズル滑る激下りだった。 こんな道が里まで続いているのはごめん被りたい。すると祈りが通じたのか 突如乗れ乗れ路面に変身する。今回のコースの最後を飾るにふさわしい下りです。 耕作地を抜けて村道に出ました。ところがここにはなんの道標もないため、ここから城跡へ 行くのは難しそうだ。14時40分駐車場に着。

初めて行者道に来たときは倒木も多くハイカーの姿もなかった。年に一度、近在のおじいさんが 道普請のために登っているというのを聞いたことがあった。今は完全なハイキング道に なっていて変化の大きさに驚くばかりである。

今回の鎌倉山〜河内城趾の地図は こちら(約210k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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